第14話 立ち聞き
昨夜、ベッドに引き摺り込まれた後、瞼が段々と重くなり、ゆっくり睡魔に引き寄せられていった。
…が、2時間程経った頃。
空調のせいもあるのだろうけど、課長の体温が高過ぎて額から珠の汗が。
このままだと脱水症状起こしかねない、と(課長と一緒に寝たいが)渋々隣の布団に入り直したのだった。
***
そして朝7時を回った頃、けたたましい携帯の着信音が響き渡り、課長の寝起きの声が聞こえてきた。
私は、どうせ9時前しかお金が下ろせないんだからもう少し寝かせておいて欲しい、とまた目を閉じた処で、本社で鍵が見つかった、と課長が叫んだ。
「井之頭!着替えろ!」
「いえっさー!」
そこから私達はマッハで着替えてチェックアウトを済ませると、本社に猛ダッシュ。
鍵を受け取ると車に飛び乗ったのだった。
気を利かせた桜さんが早めに出社して、落し物をチェックしてくれたお蔭で見つかったのだが、課長の意外な一面に私は帰りの車内、大笑いし続けた。
そうこうしているうちに会社は近づく。
一度、着替えに戻るか考えたが、課長は車に着替えを乗せてある事と、私のアパートに戻るとかなりの時間ロスしてしまう事になるので、会社近くの衣料品店でシャツとストッキングだけ購入してトイレで着替え、化粧を整え会社に向かった。
「財布、」
「はい?」
「財布の事までは支店長に言うなよ」
「…………」
「何だ!その間は!」
「言う訳ないじゃないですかー(超棒読み)」
「今度、コース料理でも食べに行こうか!」
必死な課長を見ていると本当に可笑しくって、私は会社に着いても思い出し笑をしてしまい、課長に頭を何度も叩かれてしまった。
ーーー
定時を迎え、既に2時間。
殆どの社員が帰宅する中、案の定、私は残業。
2日分の仕事が残っているので、明日も早めに来てやらなければ、そう思いながら給湯室に向かうと、聞こえてきた声に私の足は止まった。
「言えずにいたんですけど、その、愛、ずっと、課長の事が、その、好きでした…」
か細く震える愛子の声が聞こえ、私の足は止まってしまった。
私がいるのは給湯室入り口の1歩手前。
室内に課長と2人で居るのか分からず、恐る恐る入り口に近づいた。
もしかしたら愛子が一人で告白の練習をしているのかもしれない。
こっそり、と中を覗けば、課長の後姿。
『…本当に、告白したんだ…。』
しかし、課長はただ黙っている。
震える愛子を見下ろして、可愛い、とか守ってやりたい、と思っているのだろうか。
「お、お願いです…。何か、言って下さい…」
この中に入って行くべきか。
人の恋路を邪魔する莫迦な真似はしたくはない。
でも、課長がOKを出したらどうしよう。
ごくり、と唾を飲み込んだ途端、課長が後ろ頭を掻き、大きくため息を吐いた。
そして
「悪いが、お前は恋愛対象じゃない」
淡々と課長は愛子に返事を返した。
その返事に渡しは大きくため息を吐き、胸を撫で下ろしてしいると、また、愛子が口を開いた。
「じゃぁ、嬉子さんは?嬉子さんは恋愛対象になりますか?」
『…え?』
私は慌てて顔を上げ、壁の向こうの課長の後姿を見詰めた。
聞きたいけど、聞きたくない。
聞きたくないけど、聞きたい。
どうしよう、と思っていると
「……何で井之頭が出て来る。ったく、そんな事で呼び止めたんなら帰るぞ」
課長が振り返るのが分かり、私は慌てて部屋から少しだけ遠のく。
「待ってください!ちゃんと、お返事聞かせて下さい!じゃないと愛は、諦めがつきません!」
「はぁ…。悪いが、井之頭も恋愛対象じゃない」
「なら、愛の事をちゃんと見て下さい。部下じゃ無く、女、として…」
私はそれ以上、聞く事が出来ずに音を立てないようにその場から逃げ出す。
課長の事を好き、というのも私が言ったから愛子は意識しだしたのだろうか。
そんな事はどうでもいい。
やはり、私も対象外なのだ。
完全に失恋決定じゃないか。
「っていうか、お見合いしたんじゃん、あの人」
デスクに戻って椅子に座ると何だか笑えてくる。
課長の言葉に、そして、何も動かなかった自分に。
完全に振られてしまったのだから、本当に諦めなければ。
母が釣書を貰ってきている、と言っていたし
「本当、私もお見合いするかな…」
はは、と力無く笑った処で後ろから声を掛けられた。
「見合いするくらいならさ、合コンでもしないか?」
「鹿島さん…」
振り返れば、書類を抱えた5つ年上の鹿島さんが優しく笑っていた。
この人は傍観者タイプの人で、私からしたら付き合うのはありえない人だが、課長の次に仲の良い職場の人間。
「なーに言ってるんですか。私なんかと合コンした、なんて知られたらハブられますよ?」
「え?あ、いやいや、そんな事、されないし…、いや、怒られるか…」
ゴモゴモ、と口ごもるこの人は、本当にまわりの視線を気にするし、押しが弱い。
こういった処が、男らしくなくって好きになれない。
私はニッコリと笑って
「んー、鹿島さんがハブられたら困るんで、止めときましょうよ」
前に向きなおした。
少し私を後ろから眺めていた鹿島さんは
「もし、気が変わったら声かけて」
それだけ言ってデスクに戻って行った。
鹿島さんが椅子に座った音が聞こえ、私は静かにため息を吐いて、一気に残りのデータをパソコンに打ち込んで行った。
無心で打ち込めばいつも以上に早く終わり、こんな事なら給湯室に向かわずにやってしまえば良かった、どうしてこう、タイミングが悪いんだろう、と自分のタイミングの悪さを呪うしかない。
データ―を保存し肩を揉んでいると、廊下に愛子と課長が楽しそうに笑っているのが見えた。
そして、愛子は課長に頭を下げて玄関に向かって行く。
『…あぁ、そういう事なんだ…。』
あの笑顔からすると、愛子は課長の心を掴む事に成功したのだろう。
胸が痛い。
胃も痛い。
こんな年になって子どもみたく、可愛い顔に生まれたかった、なんて思っている自分がいる。
子どもじみているし、私らしくない。
蟀谷を抑えて目を閉じたまま下を向き、必死で自分に言い聞かせる。
『…泣くな!泣いて何になる!課長の側に居れるだけでいいって決めたのは誰!?課長が幸せだったらそれでいいじゃない!恋愛に必死になるなんて私らしくない!』
ゆっくりと目を開けたところで、課長が部屋に入って来た。
そして、私の方に歩いて来るのが分かり、気づかないフリをして席を立ち
「鹿島さん」
作業をしていた鹿島さんに声を掛けた。
「あ、な、何?どうした?井之頭」
「さっき言ってた合コンの話ですけど、鹿島さんの方は何人集められます?」
急に合コンの話をされて頭がついて行かないのか、鹿島さんは莫迦みたく口を開けっぴろげていたが、あぁ、と首を小刻みに上下に振った。
「俺入れて5人、かな?」
「じゃぁ、私の方も5人揃えますから来月辺り、合コンしましょうか」
「え!?マジで!?」
「はい。来週あたり打ち合わせしましょう」
「サンキューな、井之頭!」
「いえいえ、お互い寂しい独り身ですからね。じゃぁ、私、ひと段落つきましたんで、帰ります」
おお、と返事を返す鹿島さんに、にっこりと笑いかけてパソコンの電源を落とした。
そして、カバンを持つと何を驚く必要があるのか、課長が目を大きく見開いて立っている。
「あら、課長。まだ居らしたんですか?お疲れ様でした。お先に失礼します」
普段通りを装い、私は頭を下げて課長の横を通り過ぎた。
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