第13話 ふたりの夜
課長が部屋に入って来ると、おじちゃんのお喋りに拍車がかかり、気付けば6時前。
以外に喋ったな、と思いながらふと入口の方を見ると痺れを切らした強面な秘書さんが蟀谷に青筋を立てていた。
「もう、これ以上キャンセルは出来ないので出かける支度をして下さい!」
「えぇ!まだ、儂、軍曹と話をして無いんじゃが…」
「もう無理だと言ってるんです!この会合は欠席できないんですから!はい、行きますよ!」
とおじちゃんは尻を叩かれ、やっと私達は社長室を出る事が出来た。
おじちゃんが車で出発するのを玄関で一緒に見届け、私達は車に向かう。
そこで目に入った立て看板。
『ディナーバイキング(ソフトドリンク飲み放題付き)。今月はケーキビュッフェ付き☆女性3000円・男性3500円』
ホテルの名前を言ってみれば、徒歩10分もしない場所にあると課長が教えてくれた。
先月、このホテルのケーキが旨い、と支店長に教えて貰ったっけ、と看板を見て思い出す。
ケーキが目当てなのだが、ここは『着いて来て貰ってのお礼』と称し、課長をディナーバイキングに誘ってホテルに向かった。
帰りの事を考え、徒歩で向かうとまだ込む前でテーブルはかなり空いていた。
すると後ろから声を掛けられ、振り返れば桜さんと男性(後にご主人だと判明)。
席を隣同士にしてもらった桜さんは課長をご主人と座らせ、私の前に座って来た。
会社の中では大人しそうな感じだったのだが、とても楽しい人で、小さい頃の課長の武勇伝を聞かせてくれ、私はお腹が捩れるくらい大笑いした。
そして、ケーキビュッフェを片っ端から食べて回り、喋り続けた。
ホテルを出ると折角きたのだから、とご主人の運転する車で夜景を見に連れて行って貰ったが、桜さんはご主人とラブラブモードで夜景を見入り、何となく気まずい私達は少し離れた処で見る羽目となった。
まぁ、夜景を見に連れて行って貰ったのなんて3年前のあの時以来で、私としては嬉しかったが。
暫く夜景を眺め、本社近くのコンビニで降ろして貰い、そこで桜さん達と別れた。
コンビニでお茶やガムなどを買い、スマホを覗けば丁度9時。
ノンストップで帰れば日付が変わる頃にはアパートに着ける、と頭の中で計算しながら歩いていると、課長の行動がおかしくなった。
慌てて駆け寄ると、課長は真っ青な顔をして私の方に振り返り、
「鍵を失くした」
と呟いたのだった。
「ど、どうするんですか?」
怒りを含んだ私の声が本社の駐車場で響き渡り、課長はバツが悪そうに後ろ頭を掻いた。
「どうするか…」
「あ、ほら、ジ〇フに来て貰って、鍵を作って貰ったらいいんですよ!」
「…いや、鍵を作って貰うって事は出来ない。手元にあれば作れるが、無い場合は無理だ」
その言葉を聞いて、私は本当にorzマークになりたくなった。
課長は慌てて食事を摂ったレストランや桜さんに連絡を入れたが、鍵は見つからず。
私は少し冷たく感じる夜風に身を縮め、腕を擦って課長を見詰めた。
課長は財布を忘れて来ているので、私の財布頼りだがこんな事があるだなんて想定して居る訳がなく、その上、私はこの年でカードを作った事が無い為、銀行のカードしか財布に入っていない。
コンビニでお金がおろせるかも、と慌てて先程のコンビニに行ってみたが、県外だからか私が使っている市銀は取扱いしていなかった。
桜さんにお金を借りようか、と聞いた処、年上で兄的存在の自分がそんな事は出来ない、と頑なに拒否し続けた。
見栄を張る場合じゃないだろう、と思ったが私も人の事が言えない。
おじちゃんに困った時は何時でも連絡しておいで、と携帯番号を教えて貰ったが、お金が無くてなんて電話出来るはずがなかった。
「お前、財布にいくら残ってる?」
そう聞かれ、私は財布をバックから取出して開いてみると福沢さんが1枚こちらを見上げている。
「…もう少し無いのか?」
「財布を忘れてきた人が言っていい台詞じゃないですよね」
キッと睨み上げると課長は慌てて顔を逸らした。
業務時間になればこちらの市銀でもお金がおろせるので、それまで時間を潰さなければならない。
だが、残高は1万円。
鈍行列車ならお金が足りるかも、と急いでJRを調べてみたが時間的な事もあり途中までしか行かない事が分かった。
なら高速バスだ、と乗り場まで行ってみたが、時既に遅し。
3分前に最終便がでた後で、お互い無言のまま夜道を歩いていた。
すると
「あ…、あそこのビジネスホテル確か4200円があったはずだ」
「どこですか!?」
「そこ、少し行った先の左手にあるホテル」
いつも使っているビジネスホテルの向かい側にあるホテルらしく、シングル朝食付きで4200円のプランがあった事を思い出してくれた。
「なら、急ぎましょう!」
私は課長の腕を掴むと猛ダッシュでそのホテルに向かった、が…。
「大変申し訳ありません。そのプランのお部屋は既に満室でして…」
と苦笑いを浮かべられた。
値段表を見るとシングル朝食なしで6300円。
2部屋取る事が出来ず、結局、もう一つのプラン、ツイン朝食付き8750円を取る事となった。
「「…………」」
鍵を受け取りエレベーターに乗るとお互い無言になってしまい、部屋に入るにもなぜか譲り合いを繰り返したり、2人して緊張していた。
やっと部屋に入ると、課長は支店長に今回のトラブルの件で電話を掛け、昼から出社する事を告げた。
電話を切った課長にそのままお風呂に入る様に促すと、課長は少し動揺した感じで返事をした。
「…あ、あの、課長、先にお風呂使って下さい」
「え!?あ、いや、お前から…」
「そ、それは駄目です。私、今生理中で」
その言葉に課長は思いっきり大きなため息を吐き
「お前、男の前でそんな事、言うもんじゃねーよ…」
頭を抱える。
弟がいるからか、そういう事をいう事が恥ずかしい、と思う気持ちが無い。
何故、課長がため息を吐いたのかが分からない私はクエスチョンマークを頭に付けたまま首を傾げた。
「…じゃあ、先に入らせて貰うぞ」
「どうぞー。ごゆっくり」
課長がお風呂場に消えて行くのを見送り、今度は色気むんむんのバスローブ姿で出て来た課長の姿に、今度は私が頭を抱えて悶える事となったのだった。
3年前だが課長にはすっぴんを見られているので、心置きなく洗顔をして化粧を落とし、ゆっくりと湯船に浸かる。
昨日から色々あり過ぎている。
ブラウスのボタンを外された挙句、胸元を指で触られ、真に受けるな、と言いながら今朝は手を繋いで。
課長の気持ちが分からない。
私の事は決して悪く思ってはいない、と思いたいが、社長令嬢とのお見合いは断らずにしているようだし。
「もしかしたら、お見合いはデマ…?まさか…。あの取引先のご令嬢も課長と同じくらいの年齢だったっけ。10歳も離れた私なんかよりもお似合いだし。向こうは金も名誉もある。私に張り合える物なんて若さくらいか?はぁ…。出るのはため息ばかりなり、だな…」
考えても埒が明かず、湯船から立ち上がりお風呂から出る。
そして、バスローブに身を包み、化粧水をつけるとドアを開けた。
「かちょ、ありゃ。寝てる」
見れば課長は既に昏々と眠っている。
余程疲れたのだろう。
課長のスーツと自分のスーツをハンガーに掛け、私は静かに課長のベッドに腰掛けた。
そして、寝ている課長にキスをしてみた。
「私は貴方の事が好きです。…幸司さんは、私の事をどう思っているのですか?」
眠っている課長に聞いてみても返事を返す訳が無く、黙って寝顔を見詰める。
暫く見詰めていたが、疲れもあって欠伸が止まらない。
隣のベッドに行こう、と思った途端、
「おい、何でこんなに冷えてるんだ」
急に腕を引っ張られ、私は布団の中に引きずり込まれた。
何が起こったか理解出来ずに目を白黒させていると、課長の寝息と心臓の音が聞こえ、寝ぼけただけだと分かった。
暫くパニックになっていたが、課長に抱き締められているのだけで私は嬉しくて、そのまま瞳を閉じた。
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