第12話 社長と私
「…軍曹、悪いが席を外してくれんか?儂は井之頭君と2人で話がしたいんじゃ」
覚悟をして此処に来た訳だが、1人で、と言うのは想定外だ。
「井之頭と2人でですか?」
課長も驚き、若干戸惑った顔で私の方を見た。
ほんの少し迷ったが、大丈夫です、と1回瞬きをすると、課長は渋々といった風に社長室を出て行く。
「井之頭です。この度は騒ぎを起こしてしまい申し訳ありませんでした」
課長が出て行き、社長とふたりっきり。
何か喋らなければ、と慌てて頭を下げると、社長はゆっくりと椅子から立ち上がると私の方に近寄って来る。
「久し振りじゃのぅ」
「え、あ、はい。入社式以来のはず、です?」
「いやいや、嬉子ちゃん。儂だよ。覚えておらんかのぉ?」
皺皺の手が優しく私の手を包み、社長は涙ぐむ。
「しゃ、社長っ、」
「嬉子ちゃん家の斜め前に住んでいたオジちゃんじゃ。覚えておらんかのぅ」
「え?」
実家の斜め前は確か私より少し年上の子育て中の夫婦が住んでいたはず。
最近、帰れていないからハッキリは覚えていないが、近隣に社長程の年齢の方がいただろうか。
「もう、20年前に住んでいた場所の方は覚えておらんかのぉ…」
悲しそうな声に、私は必死で20年前の記憶を引っ張り出し、斜め前に住んでいた人物を思い浮かべた。
確か20年前、斜め前に住んでいたおじさんが居た。
奥さんには早くに先立たれて子どももおらず1人で暮らしており、小学2年の時にトラックが突っ込んだ家だ。
だがしかし、こんな感じの人では無かった。
見た目は強面な人だったが、近くに住んでいた私と弟には凄く優しい人だった。
「斜め前っていうと、
「トラックが突っ込んで、嬉子ちゃんが警察を呼んでくれたじゃろ」
「う、うそ…。八神のおじちゃん?」
「思い出したかのう。しかし、こんなに綺麗になって」
あんなに強面だった人がこんなにも優しい顔つきになるだなんて。
『事故に遭ってから人が変わったように優しくなった』その通りだ。
トラックが突っ込み頭に怪我をしたが一命を取り留めた、とまでしか聞いておらず、その後、おじちゃんが何処に行ったのかも知らなかった。
懐かしさの余り、思わず涙ぐむと
「おぉ、軍曹に怒られてしまうわい。ほれ、泣いたら駄目じゃよ」
そう言っておじちゃんはハンカチで涙を拭ってくれ、私をソファーに座らせると、自身もソファーに腰掛けた。
「嬉子ちゃんが早く警察に連絡してくれたお蔭で、儂は助かった。お礼も言えずにいて済まんかったのぅ」
「お礼なんて!生きていてくれただけで、私は嬉しいです。お聞きしたいのですが、今の苗字って…」
「あぁ、それはのぉ」
おじちゃんは一口お茶を啜ってから、事故に遭ってからの事を教えてくれた。
事故に遭い、暫くして移された一般病棟で同室になったのが少し霊感のある男性だった。
その男性によると、あの家は鬼門で引っ越しをした方がいい、と。
そして、今回は難を逃れたが、次は確実に死ぬだろう、と付け加える。
よくよく考えれば、あの家を購入してから妻は病気がちになり、最終的に子どもが産まれない体質になってしまった。
思い切って事業が上手く行っていない事も告げると、今の苗字より奥さん苗字を使った方がいい、と言われ退院後、思い切ってそのようにして見た処、徐々に、ではなく本当に急成長した。
ようやく会社も軌道に乗り、落ち着いた処で久し振りに住んでいた家に戻って来てみれば、区画整理で私達は引っ越してしまった後だったのだと。
会う事は叶わずにいたのだが、8年前、私の履歴書が。
事務職以外で女性の希望者は少ない為、始めから採用は決まっていたらしい。
その後、私がいる支店と花見や忘年会など企画を立て会う機会を作ったのだが、その度に何やかんや用事が出来てしまい、参加する事は無く会う事が出来ずにいた、と話してくれた。
既に2時間近く経ってしまった。
お喋りに夢中になっていて気付かなかったけど、もしかして、社長の仕事を後回しにさせてない?と思い始め、私は慌てて
「…あ、あの、そに、今回の事件、なのですが…」
脇谷との一件に話を戻した。
「おぉ!嬉子ちゃんもやるのう!脇谷に茶をかけたんじゃろ?軍曹から脇谷の愚行は聞いておった。それくらいしても構わんよ」
おじちゃんは膝をぱしぱしと音を立てて叩くと笑う。
十中八九怒られると思っていたので、驚いて私は目を丸くした。
「ち、違うんです!脇谷、さんが私のせいにしようとして、勝手に、」
そこまで言って、私は慌てて口を閉じる。
告げ口など自分らしくないし、そんな事で脇谷が辞めさせられる事になったら後味が悪い。
それにフェアーじゃない。
「すいません、今のは聞かなかったことにしてください」
「いやいや。本当の事を知るのも儂の仕事でもある。…嬉子ちゃんがかけた訳ではないのか。全くのぉ…」
おじちゃんは、ふむ、と小さく声を発し、腕を組んで皺だらけの顔をくしゃり、と顰めた。
専務から聞いていた話しと違うのだろう、と予測はしていたが、本当にそのようだ。
「どうしても身内びいきしてしまうのが人間じゃ。嬉子ちゃんには辛い思いをさせたのぅ。申し訳ない。専務にはちょっとした罰を与えるから、それで勘弁してくれんかのぅ」
「そんな、もう終わった事ですし、」
「大丈夫じゃよ。嬉子ちゃんは何も心配せんでいい。告げ口をしたと思われんように」
そう言っておじちゃんはウィンクを投げて寄こし、その可愛い姿に私は思わず笑ってしまう。
「そうじゃ、弟の慶史君も大きくなったんじゃろうな」
「はい。図体だけが大きくなって、大変です」
「男の子なんてそんなものじゃよ。で、今、何をしとるんじゃ?」
「大学の在学中からバイトしていたbarに就職して、バーテンをしています。まだカクテルを作るのが下手で晩くまで練習しているんですよ。休日練習してたらお呼ばれして頂くんですけどね」
「ほう、嬉子ちゃんはかなりイケる口なんじゃな」
「父に似て、のんべーです」
えへへ、と肩を窄めて笑ってみせると
「お、今度は儂と飲み比べじゃ!」
おじちゃんは嬉しそうに膝を叩いた。
「何時がいいかのぉ」
ウキウキした顔で言うので、これは何時か呑まないと。
そんな事を思っていると、丁度ドアがノックが。
失礼します、と入って来た課長に、私は慌てて顔を引きしめ直した。
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