第11話 呼び出し
「昨夜はラーメンご馳走様でしたー」
次の日、会社に着くと入り口で一緒になった課長にお礼を述べると、くっと喉を鳴らして口が弧を描く。
この顔は意地悪を言う時の顔だ。
「あのさーお前、替え玉頼むとか女としてどうなんだよ。餃子もチャーハンも食っといて」
「ちょっと課長!餃子もチャーハンも小さいのです!私が余りにも大食いみたい聞こえるじゃないですか。周りが誤解するような言い方止めて下さい。…そう言う課長だって。帰りにコンビニでかなり高カロリーなお菓子買って帰ってたじゃないですか。あの時間から食べたらデブリますよ〜。もう“年”なんだから。お腹ぶよぶよになっちゃいますよー」
「お前の腹に比べたらまだマシだ」
「あらあら。そんな見栄張っちゃって」
態と口元を指で隠しくすり、と笑ってみせながら課長を見上げると、その目に飛び込んで来たのは、少し色を含んだ男の目。
「なら、調べてみるか?」
「え…?」
思わず課長を見上げたまま、私は動けなくなった。
そして、課長の手が私の手に重なった。
「き、」
「井之頭、お前本社から呼び出しがきたんだが…ってお前等」
課長の声を掻き消すほど支店長が大声を上げて登場し、慌ててその手を振りほどいた。
「頼むから入り口で喧嘩してくれるな」
「「え!?」」
支店長に手を握られた処を見られたかと思って振りほどいたが、喧嘩しているのだと勘違いしてくれたようだ。
何となく安堵し、2人してほっとため息を吐く。
「で、支店長。井之頭は何で本社に呼び出しなんですか?」
「あぁ…。多分、例の事が社長の耳に入ったみたいだ。社長直々に電話が掛かって来た。それでだな、井之頭」
「は、はい」
「今から本社に行ってくれ」
「え!?今から!?1人で!?」
「本当は俺が着いて行かなければならないんだが、嫁さん処の親が事故で入院してしまって子どもの世話を任されてるんだ。だから、悪いが南、井之頭と一緒に本社へ行ってくれるか?」
支店長は奥さんにベタ惚れ。
奥さんの話をする時は眉毛がハの字になって耳がしなだれた犬のようになる。
その姿を見たら断れない、と言った様子で課長は苦笑いを浮かべた。
「俺は構いませんよ。仕事を他の奴に振り分けてから車で出ても、昼には向こうに着けます」
「すまんな。向こうには昼過ぎに来る様に言われているから、そうだな、1時半には行く、と伝えておく。途中で飯食って行くといい時間だろう」
課長の悪ふざけが回避でき、安堵したのもつかの間。
本社に行った事無く緊張するのに、それも課長と2人で行くだなんて。
や、やばい、緊張してきた。
あれよあれよ、という間に課長はテキパキと仕事を振り分け、後は頼みます、と支店長に任せると、私の首根っこを掴んで車に押し込み、会社を後にした。
『…、ど、どうしよう、しゃ、喋らないと!』
そんな事を想いながらも緊張の余り固まっていたはずなのに、何故か寝てしまった私は高速のサービスエリアに着く度に課長に甘い声で起こされ、1人顔を赤くした。
その反応を見て、課長は1人大笑い。
しかし、そんな課長が財布を忘れて来た事を知り、ここぞとばかりに私は莫迦笑いをしてやるのだった。
ーーー本社に着いたのは1時を少し回った処。
そう言えば、私は社長を直に見た事が無い。
どんな方なのだろう、と車に乗った時と違う緊張した面持ちで降りるとそれに気づいたか、課長が口を開いた。
「社長は恰幅の良い老紳士、と言ったところだな。昔はヤクザじゃないかって噂されるほど怖い人だったらしいが、俺が入社する何年か前に事故に遭ってから人が変わったように優しくなったんだと。それ位から会社も急成長。…ま、取って食われる訳じゃねーからそんなに硬くなるな」
「わかってますよー!…って言いながらも、やだぁ、緊張きてきた…」
尻つぼまりになる私に課長は何時ものように目尻に皺を寄せて微笑むと、先導するように本社に入って行く。
私達下っ端は入社式で本社に来るくらいで、それ以外、来る事など稀だ。
『うちの支店は2階建てのプレハブなのに、本社は何度見てもやっぱり凄いわ…。ふぉっ!受付嬢美人過ぎる!って、あ、あの人、』
綺麗な内装に綺麗な受付嬢。
2人のうち、ひときわ綺麗な女性は、去年、課長に告白したあの事務員だった。
「お久しぶりですね。南課長。えっと、そちらが井之頭さん?」
ニッコリと微笑まれ、課長は顔色も変える事無く返事を返す。
私は慌てて頭を下げて、
「あ、はい、南課長と同じ支店勤務の井之頭です」
慌てて自己紹介をした。
「お前、緊張しすぎ。笑わせるなよ」
横で余裕綽々な面で笑う課長に、帰りの車内で絶対に財布の事をいじり倒してやる、とこっそり心に誓う。
女性は社長室に連絡を入れ、席を立つと
「社長に面会の方々をお連れしてきますので、席を外しますね。こちらです」
とエレベーターに案内してくれた。
「…で?結婚生活、上手く行っているのか?」
唐突な課長の言葉に私は思わず2人の背中を交互に見合う。
今、聞き間違いじゃなければ、結婚生活って言ったよね?
「えぇ。お陰様で。本当、去年は御免なさいね。彼が煮え切らないのに痺れ切らしちゃって、あんな事頼んじゃって」
「ったく。とんだ当て馬だ。あれから俺の泊まっていた部屋に奴が怒鳴り込んで来ていい迷惑だったんだぞ」
「だから、ごめんなさいって。全く。会う度にそれしか言わないんだもの。年ね」
話しが読めない私を放って会話は弾み、開いたドアのエレベーターに乗り込んだ。
隠すように話している訳ではない2人の会話からして、去年の花見の席での告白は、“演技”だったようで、そのお蔭でこの女性は付き合っていた男性をゲットした、という事のよう。
そう言えば、今回のお見合いの話は(愛子からだが)直ぐに耳に入って来たが、去年の事は誰も噂していなかった。
エレベーターのドアが閉まると、急に2人が私の方に振り返り、何事か、と思わず身構えてしまった。
「こうやってちゃんとお会いするのは初めてね。私、
「え!?又従妹!?」
「そう。親同士が仲良くってね、私達、近所に住んでたの。でも、他の人には私達が又従妹って事は内緒にしているから、井之頭さんも黙っていてね」
桜さんは私にウインクする。
だが、そんな内緒事を私にしても良い事なのだろうか。
すると、私の言いたい事が手に取るように分かったのか、桜さんは
「だって、井之頭さんは幸司のお気に入りだから」
嬉しそうに微笑んだ。
「桜!変な事言うんじゃねー!」
「あら。幸司、照れてるの?あ、着いたわよー」
軽く課長をあしらい、桜さんは直ぐに仕事用の顔に戻した。
エレベーターのドアが開き、私達は社長室に直に通されると、そこで桜さんは頭を下げて、受付に戻って行く。
「お久し振りです、社長」
課長がスーツのボタンを留め直し、深々と頭を下げた。
私も慌てて頭を下げると、のんびりとした声が降って来る。
「おぉ、来たか。鬼軍曹」
「その呼び名は止めて下さいよ。おい、井之頭、」
課長に腕を突かれ頭を上げると、そこにはにこにこと笑ったお爺ちゃん程の年齢の男性が座っていた。
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