第5話 失恋

※冒頭の少し回想。現在に戻ります。



それから、私達の関係が変わる事はなかった。

次の日の課長は普段通り。

上司と部下の関係に元通りになった。





ーーー躰を重ねて2年後、去年の花見の席での事だ。

本社との合同花見で人がごった返す中、課長が本社の美人で有名な事務員に呼び出されている姿を見た時、彼を気になっているこの気持ちが恋だと気付いた。


消えた2人がどうしても気になり、私は居ても立ってもいられずに後を追えば、会場から徒歩5分程してあった樹齢700年の桜の木の下で、課長は事務員に告白されていた。

ライトアップされた桜も綺麗だったが、お似合いの2人がそれ以上に綺麗に映し出され、近づく事を許されなかった。

そして、『じゃぁ付き合おうか』とあの日、私に見せてくれた笑顔を事務員に向けていた。


恋に気づいた日が失恋記念日だなんて。

抱かれたのが3年も前の事なのか、とため息を吐いて仕舞うと同時、あれは夢だったのではないか、とも思ってしまう。

あの日の事を忘れられなかったのは、私だけ。



あの日に戻りたくって、泣いて。

あの日が恋しくって、泣いて。

情けなくなるくらい、女になってしまった自分に泣いた。







そして、斜め前の愛子は本当に可愛らしく、あんなに可愛かったら課長は私に好意を抱いてくれたのだろうか、と。


『…莫迦な事考えてないで、仕事しよ。』


パソコンに目を移そうとした時だった。

スマホが震えているのに気付き、目をやれば母の名前が記されていた。


『…やばいな。最近連絡すら入れてなかったから“帰ってこい”っていう催促の電話だなぁ。でも、ここで無視すると煩いし』


ちらり、と課長を見ればおにぎりせんべいを食べながら一息ついているので、トイレに立ち上がった。

女性社員は少ないので、トイレは何時も空いている。

母に電話を掛けると案の定、挨拶もそこそこに、帰って来い、と。


「今、仕事が忙しいの。落ち着いたら帰るし。…うん。え!?お見合い?もう、嫌だ!お母さん!…確かに、彼氏は居ないけど…。あ〜、もう!分かったってば!月末でも時間作って帰るから、見合いだけは勘弁してよね!?」


母の口車に乗せられ家に帰る事を承諾し通話を終えたが、私に帰ってこい、というのは弟・慶史よしふみの事を聞き出したいからに決まっている。


『…慶史に連絡入れても取らないんだろうな。しかし、ヤラレタ。』


大きくため息を吐いた途端、急にドアが音を立てて開き、涙目の愛子が立っていて目を丸くした。


「嬉子さ〜〜〜ん!愛、愛はどうしたらいいか分かりません〜〜〜!」


ハンカチを握りしめ、鼻を赤くした愛子。


『…今、貴女に構いたくないの、って言えたらどれだけ楽か。』


「どうしたの?愛ちゃん」


優しい先輩ぶりを披露すべく洗面台に連れて行き、ハンカチを濡らし目尻辺りについたマスカラを拭ってやる。

良い子ではあるのだが、20歳を越しても尚、自分の事を名前で呼ぶのはどうか、と思ってしまう。

私はそんなに高い方じゃないけど、愛ちゃんは身長が低いので見下ろす形で、背中を擦り彼女が落ち着くまで待つ。


2〜3分程で愛子は落ち着き、実はですね、と話を始めた。


「脇谷さんから告白されたんです…」


今日はよくため息を吐く日だ。


脇谷、というのは私の同期で専務の友人の息子らしくコネで入社した男なのだが、上司が居る時は真面目なフリをするが、仕事もろくに出来ない駄目男で、私は入社当時からコイツを毛嫌いしていた。

周りも分かるほど嫌っていたのに、コイツは入社半年で私に付き合おう、と言って来た莫迦。

勿論、『仕事が出来ない男はキライ』と振ったのだが、次の日から嫌がらせが始まり、頭を悩ませている。

未だに何かあると突っかかって来る迷惑男、と言った人物だ。

だが、愛子の前ではそんな素振りをみせた事も無い。

他の社員が脇谷の事を吹き込んでいる、とまでは無いようだ。

それに、愛子曰く、今迄誰ともお付き合いしたことが無いのでこういった事はよく分からない、とよく相談をされるのだった。


「愛ちゃんは、脇谷の事、どう思っているの?」


優しく聞くと首を傾げ、仕事のしない人、と返した。

その言葉に吹き出しそうになるのを堪え、コホン、と咳払いをすると愛子の頭を撫でた。


「確かにね、脇谷は仕事を御座なりにする事も多いから、私もどうフォローしてあげていいか分からないけど…、そうね、ほんの少し脇谷と話す機会を増やしてみたら?話しをしてみないと相手の事は見えてこないわよ?それに、彼も、愛ちゃんの事を思って仕事人間になるかもしれないし」


正直な話、脇谷の標的が私じゃなく他の人に移ってくれないか、と思っている。

それにこれで振られた、としても脇谷が愛子を標的にする、という事はないと思う。

愛子はこの支店だけでなく、全社員のアイドル、なのだから。

そんな子を標的にしたら社長の知り合い、としても居心地が悪くなる。

莫迦なアイツでもそれくらいの知恵はあるだろう。


「そう、ですね…。嬉子さんの言う通り、話してみないと相手の事なんて分からないですよね」


「無理に時間作って話す、とかじゃなくっていいと思うの。昼食時、お茶を運んだ時とかちょっと話し掛けてみるとか、呑み会で隣になったら趣味を聞いてみる、とかね。でも、脇谷だけと話すと周りが勘繰るから皆平等に」


「はい!」


元気よく頷くと急に何を思い出したか、『あ』と大きな声を出した。


「ど、どうしたの?愛ちゃん」


ドキドキする胸を押さえ、私は愛子を見詰めた。


「そう!さっき聞いたんですけど、課長!南課長、お見合いされたって」


「え…?」


「取引先の会社の、えーっと……、嬉子さん?…嬉子さん?顔色悪いですよ?…もしかして、嬉子さんは課長の事が好き、なんですか?」


「え!?そ!そんな、」


「顔、まっかっかですよ!」


私は慌てて両手で顔を押えた。

愛子の顔が見れない程、動揺している。

そこまで顔にでていたのだろうか…。


「…愛ちゃん、内緒にしていてくれる?」


「勿論です!そっかぁ〜。嬉子さんは、課長みたいな仕事が出来る人が好きなのか〜」


「でもね、私、去年、振られてるの。だから、ずっと片想い。ついでに、この恋が実る事は無し」


愛子にこんな事を言うつもりではなかったが、バレてしまったのは仕方がない。

こんな事を聞かされた愛子は私以上に泣きそうな顔をしている。


「さ、仕事に戻りましょ。課長の雷が落ちる前にね」


そう言って愛子の背を押してトイレを出た。





『この恋心を封印しよう』



そう、心に誓ったのに…。




あの事務員と別れていた。


安堵すると同時、やはり、私には目もくれない事に悲しみが湧きあがった。

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