第2話 3年前

※回想です。



…あれは3年前の秋。

付き合っていた男性に別れを切り出され私は可愛げも無く、『なら別れましょ』とその場に置き去りにして店を後にした。

泣きたかったが、あの男の前では泣きたくなかった。

変なプライドが邪魔をして、可愛げもなく強がる。

私の悪い癖だ。


そして、駅までの10分ほどの距離を歩いている時だった。


「私と仕事、どっちが大切なの!?」


と莫迦らしい女の言葉に足を止めてしまった。


『そんなセリフ吐く人なんて、本当にいたんだ。ウケるんですけど(笑)』


ちょっと気になってしまって、私は辺りを見渡す。


「お前いくつだ。比べる基準がオカシイだろうが。高校生の恋愛じゃねーんだぞ?仕事しなければ金も貰えない、生活していけない。仕事そっちのけでお前に掛かりっきりになれっていうのか?」


「違うの!そんな事、言いたいんじゃなくって、…それでも、…誕生日くらい一緒に居てくれても、」


「だーかーら。さっきも説明しただろうが。その日は本社で会議なんだよ。そのかわり週末に休みを取ってるから遠出しようって、」


「もう、いい!好きなのは、私だけなんだわ!」


「これ以上、どうしろって言うんだよ」


「だから、途中で抜けて帰ってくるとか、」


「…はぁ、悪い。もう、無理。別れよう」


『…あはは。男、キレた(笑)』


私も今しがた別れて来た分際。

これ以上修羅場を見ておくほど野暮な事はしたく無く、彼等の横を通り過ぎようとした。

すると、ぱんっ、と良い音がして思わず2人に目をやった。


そこに居たのは、目に入った男性は課長様で、女に叩かれたのはやはり、課長様。



私は一目散に逃げた。



この時、丁度、課長になりたての上に同僚が病気になり、2人分の仕事を熟していた時期だった。

あの様子からすると課長は彼女に忙しい理由を話していない。

課長らしい、といえば課長らしいが。


『…やばいな。明日、課長見て笑わきゃいいんだけど…。その前に、課長が私に気付いて無いといいんだが。』


私は自分が別れたショックも忘れ、布団の中で人の不幸を笑っていた。





次の日、会社での課長は普段通りで、私は拍子抜けした。


そして、会議の日が来て、課長は本社に向かった。


私などの成れても係長止まりの女共は会社に残り、仕事を熟す。

課長が居れば自分の雑用は自分でしなければならないが、今日は居ない。

だから、男共は鬼の居ぬ間に、とばかりに私に雑用を押し付けてくる。


『…畜生、今日は残業確定だおー。』


叫びたいのを我慢して、私はひたすらキーボードを叩いた。


そして、週明け提出の企画案も形になり、思いっきり背伸びをし、私は固まった。

拳が、何かにあたっている。

恐る恐るそのまま首を下げれば…、直帰しているはずの課長様が其処に居た。


「ぎゃーーーー!みみみ、南課長!な、何でここにいるんですか!?」


ひっくり返りそうになった私を慌てて課長は支え、元に戻してくれる。


「反り返り過ぎだろ!」


「反り返りますって!あ〜〜〜、吃驚した〜〜〜。課長、今日は直帰されなかったんですね」


服の乱れを直し、データを保存するとパソコンの電源を落としてから課長を見上げた。


「あぁ。お前に用があってな」


「へ?私何かミスしました?」


「いいや。…あーーーー、飯でも食いに行かないか?」


「はぁ…」


私は首を傾げたまま、彼の後に着いて行った。






ーーーそして、何時も連れて行ってくれた居酒屋では無く、小洒落たダイニングバー。


『…課長でも、こんなお店知ってるんだ。』


そんな失礼な事を思いながらも、開かれたドアを入っていくと、店員が何も言わずに席へ案内した。

不意に目に着いたのは店員がわきに抱えていたバインダー。

其処には“birthdayコース”と書かれた文字。


『…あ、今日って、あの彼女の誕生日。』


記憶がよみがえる。

別れた彼女の為に、不器用な彼は彼なりにサプライズを用意していたのだ。


見ていた、と言う勇気は無いまま私は促されるまま腰を下ろした。

課長は普段通り、会議の内容を聞かせてくれ、私は会社での出来事を話す。


その間にはシャンパンが運ばれ、赤鶏の生ハムと温泉玉子のサラダ、ズワイガニと水菜の生春巻き、自家製合鴨のスモーク、サーモンのカルパッチョ、とコース料理が次々と運ばれて来た。


最近、食事も御座なりになっていたので、食が進み、シャンパンも既に3本空けていた。




「お前、見てたんだろ?俺が引っ叩かれた処」


急な言葉にシャンパンが気管に入り思いっきり咽せた。


「!!!っ、か、ちょっ!」


「そんなに動揺する事か?ま、あんな処で修羅場ってれば誰に見られてもおかしくはないんだがな」


自嘲気味に笑う課長に私はハンカチで口を押えながら目をやった。


『…やっぱり気づいていたんじゃない。…でも、それを顔にも出さない処が課長だわ。』


しかし、何時も自信に満ち溢れた瞳は無い。

捨てられた子どものような、寂しげな瞳でシャンパングラスを見詰めていた。


「7年付き合って、本当は今日、アイツの誕生日で、プロポーズするつもりだった」


私は何と言葉を返していいか分からずに、ただ見詰めていた。


「別れを切り出して、アイツが“厭だ”と一言、言ってくれたらそれで良かった。だが、俺はアイツの心を引き留められなかった」


課長は大きなため息を吐き、お互い、無言のままシャンパンを飲み干した。


「あ、あの…」


「ん?」


「あの日、実は私も別れたんです。彼氏と。その帰りに課長の修羅場に出くわしたって言うか…」


課長は少しだけ驚いた顔をしたが、やはり何と返していいか分からないのか、無言でシャンパンを注ぐ。


「弟が居るんですけど、私、弟と仲良くって、買い物にも一緒に行くんですね。それを彼が見てて。始めは浮気と間違えられて。説明したらその事については理解してくれたんですけど、今度は“買い物なら俺が付き合うのに”って怒り出しちゃって。仕舞いには“俺と弟どっちが大切なのか”って。馬鹿馬鹿しくなっちゃって、別れ切り出されて、可愛げも無く別れて来たんです」


「そうか。…全く。偶然とは怖いモノだな」


「…うですね」


「「………」」


「…ね、課長。寂しさ、分かち合いますか?」




多分、私は酔っていたんだ。


でなければ、会社の上司に性行為を誘うようなマネなどしない。


いや、出来やしない。


断られたら『冗談』で済まされる話術ぐらい持っている。




多分、私は…。

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