好きになったらダメなのですか?

仙堂 りえい

第1話 課長と私

「だーかーら!何回も言わせんじゃねーよ!先月と同じ処間違ってんじゃねーか!」


バン!!!とデスクを叩く38歳の課長・みなみ幸司こうじ様。

課長の怒号に室内は静まり返り、キーボードを叩く音と時計の秒針が進む音だけがいやに耳に着く。


「すみません…」


か細い声が身を縮めた入社3年目の彼女から発せられると、男性社員の目が一斉に私、井之頭いのがしら嬉子きこ28歳に向けられた。


彼女は男性社員のアイドル的存在、愛子ちゃん。

彼女が怒られる姿は見るに堪えない、のだと。


男共の目が、謝ったんだからそろそろ解放してやれ、と訴えかける。

まぁ、男共が行っても課長の迫力に負け、そのまま一緒に怒られるのがオチ。

私が行くのが一番無難か、と


『…全く、やれやれだぜ。(ポーズ付き)』


ため息を吐いて小細工を取り出す。


「そもそもなぁ!」


「課長。私の指導不足で申し訳ありません。彼女が間違えたのも全て私の責任です」


彼女と課長の前に割って入り、私は頭を深々と下げる。

書類で彼女を叩こうとした手が止まり、課長は言葉を詰まらせた。

私は叩かれ慣れてるけれど、愛子は違う。

流石に叩かれるのを見るのは嫌なので、叩かれなくてよかった、とホッとしてしまう。


「ちっ、」


あぁ、眉間に皺よせ過ぎて皺が出来てる。

素敵な顔に勿体無い。


「お前はお前の仕事が、」


「月曜の生産会議用の書類、出来てます。チェックをお願いします」


10枚程の書類を挟んだファイルを机の上に差し出し、その横に課長の好きな“おにぎりせんべい”(2枚入り)を添える。


『…あ、今、口元が歪んだ。』


「愛子!」


「は、はい!」


「今日中に修正して提出!」


「はい!」


愛子は安堵した顔で書類を胸に抱え、デスクに戻って行く。

そして、私は課長の為にお茶を淹れに給湯室に足を運んだ。


短大を卒業して、この会社に就職。

社会人歴8年目の今でこそ仕事もそつなく熟しているが、私が入社した時、先輩方は何一つ教えてくれなかった。

新人教育は思い出すだけで泣けてくる。

課長(私が入社した時は係長)に毎日怒られて、泣きながら仕事を覚えたっけ。

本当に誰も何も教えてくれなくって、聞いても無視されるし、2年くらい課長だけが頼りだった。


私から言わせれば愛子は恵まれていると思う。

しかし、時代が違うし、私と愛子の人間性からして違う。

雑草の様にしぶとい私に対して、愛子は守ってあげなければいけない可憐な花。


『…ま。あんなに可愛くって、愛想が良ければな。』


心で毒付きながらお茶を淹れ、課長のデスクに向かった。

課長のデスクにお茶を置き、自分のデスクに戻ると斜め前に居る愛子に目をやる。

入れ代わり立ち代わり愛子の許へ男性社員がやって来ては慰めを言い、彼女は首を傾げて、ありがとう、と微笑む。


『…なんとまぁ、可愛いお人形さんなんざましょ。』


8年前、入社した時から居る輩も同期も私が怒られても慰めの言葉など1回も掛けてくれた事が無い。

その代り課長は怒っても叩いても、帰りに呑みに連れ出してくれ


『お前は怒られてもしがみ付いてくるからな。教え甲斐があるんだ。』


そう言って私の髪を何時もぐしゃぐしゃにした。

飴と鞭の使い方が上手な課長はとても優しく笑って、私のやる気を引き出してくれるのだった。




課長は私より10も年上で、大人な男性だ。

平均身長よりやや高めの175センチ。

あの頃からすれば白髪も目尻の皺も増えた。

中肉中背の課長の事が気になりだしたのは何時の事か。

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