第3話 食品偽装の疑いはとんでもないお門違い

 すごい剣幕でまゆかに詰め寄ってきたおばさんに、まゆかは思わず後ずさりした。

 春樹が

「お姉さん。どうしたんの? なにかあったの?

 この女性は僕の信用できる大切な友達なんだよ」

 その言葉が言い終わるやいなや、おばさんは一方的にまくし立てた。

「この女はね、息子を腹痛に追いやった加害者だよ」

 まゆかは、思わずキョトンとした。見ず知らずのおばさんが急になにを言ってるんだ。ましてや、おばさんの息子の存在すらも知る筈がない。

「なんのことなのか、私にはわかりません。それより、あなたは一体、どこのどなたですか?」

 まゆかは、落ち着いたポーズをとり、敬語で対応した。

 こういうときは、感情的になるとかえって相手を興奮させる。

 おばさんは、少し落ち着いた口調で発言した。

「あんただろ。息子に腐ったブリを食べさせたのは?」

 はあ、何のことだか? 不思議そうなまゆかの顔を見て、おばさんは続けた。

「あんた、つい一か月前まで、駅前のスーパーの鮮魚コーナーに勤務してただろう」

 ああ、思い出した。私は現在は配達業をしているが、一か月以上前まで、駅前にあるスーパー サンホープにパート勤務してたことは事実である。

 噂では、もうすぐ閉店するらしいが。

「あのサンホープの魚は、腐ってるって有名だったよ。あんたもそのことを、気づいている筈だ」

 私は、正直に告白することにした。

「はい、もうすぐ閉店するので恥を忍んで申し上げますが、私はおっしゃるとおりサンホープの鮮魚コーナーに勤務しておりました。

 そこの定年間近の男性主任から、賞味期限延長のシールを上に貼るように命じられていましたが、私は断固として断りました。

 それ以来、私は男性主任から目の敵にされましたが、やはり断ってよかったと思っています」

 おばさんと春樹は、身を乗り出し

「えっ、どういうことか詳しく教えてくれないかな」

 私は、恥を忍んで小声で話すことにした。

「たとえば賞味期限シールが7月7日と明記されていたとするでしょう。それになんと、一週間も延長した7月14日のシールを作成し、上から二重に貼るんですよ」

 おばさんと春樹は顔を見合わせ、同時に

「それ、バレバレの違法行為だよ。しかも一週間も延長するなんて」

 私はすかさず

「そうでしょう。だから私は、男性主任の命令を、解雇されるのを覚悟できっぱりお断りしたの。

 しかし、それ以来、私は男性主任からボロクソに当たられるようになったわ。

 でもある日、店長と男性主任との会話を聞いてしまったの。

 店長曰く『昨日も苦情が来てたよ。魚が3パック腐ってたって。週に4回もこんな苦情が来ているようじゃあ、売上が下がるのは当たり前じゃないか』

 すると男性主任は『ギャハッハ。これというのもあんたが頼りないからじゃい。わしは良いとこ取りじゃい』」

 春樹曰く

「その店長ってもしかして二十代の若い人? それにしても店長をあんたと呼ぶなんて、完全になめられきってるな」

 おばさんは、興奮したような表情で

「そうか。それでうちの息子は腐ったブリを食べさされ、腹痛をおこしたのか」

 私は頭を下げた。

「それは非常に申し訳ございませんでしたと言いたいところだが、私は賞味期限延長シールに直接かかわってなかったんですよ。だからそういうことは、サンホープの本社に抗議していただく以外、ありませんね」

 おばさんはようやく、納得したように言った。

「ごめんよ。息子の亮太のことであんたに八つ当たりして。まあ、あんたが鮮魚コーナーから出てきて店頭に品出ししている姿を見て、同性としてカア―ッと頭に血が昇ってしまったんだよ。とんだ筋違いのお門違いだね」

 私は、自分の体験談を話した。

「これは私の体験ですが、焼き魚の場合、ガスバーナーで表面しか火を通していないいわゆる生焼け状態の魚は、その内側が腐っているケースが多いんです。

 でも、表面は火が通っているから、腐ったことに気付かずに食べてしまい、三時間後、腹をこわすケースが多いんですね。

 だから、私は焼き魚を買うとき、必ず中身まで火が通っているかを確認して買うことにしてるんです」

 おばさんは、感心したように

「いいこと教えてもらったよ。私も参考にさせて頂きます」


 春樹は心配そうに

「亮太君、元気にしてますか? 僕は亮太君に九九を教えていたけれど、なかなか覚えてくれないので、つい厳しい物言いをしたこともありました。

 でも、算数は基礎ができていないと、後でついていけないし、中学の数学になるとチンプンカンプン状態になるのがわかっていたので、僕は無理やりにでも、九九を覚えさせようとしたのです」

「嬉しいよ。こんなに本気になって亮太を指導教育してくれて」

 春樹は

「実は僕も、小学校三年のとき、九九でつまづきかかったんですよ。かといって、塾に通うほどの余裕もない。だから僕は、ヒマさえあれば、九九を丸暗記したんですよ。中学では、方程式がでてきますが、僕はこの問題なら、この方程式が出てくると丸暗記し、一冊のドリルを最低三回リピートしたんですよ」

 まゆかとおばさんは、感心したように言った。

「なるほど。この方法なら塾に通えなくても、通用するかもね」

「さっそく、この方法、亮太にも教えようっと。残念ながら私は亮太に算数を教えてあげることはできないけどね」

 春樹はおばさんに言った。

「亮太君は、かなりやる気のある子なので、まだまだ伸びしろがあると確信しています。それと、僕の体験ですが、これからは勉強以外でも、簡単な掃除や料理くらい作れるようになるといいですよ」

 おばさんはうなづきながら言った。

「その点は心配ないよ。亮太は床磨きまで率先してしてくれるし、キャベツの千切りなんか、私よりうまいくらいだよ。これからは、煮物も教えようと思う」

 私は口をはさんだ。

「私流の煮物のコツお教えしますね。酢と炭酸水を入れると、早く煮えるし、芋も煮崩れしませんよ。また酢は腐り止めにもなるので、私は野菜炒めのときは、サラダドレッシングを使ってるんです。

 また煮汁が少し残った状態でふたをして、火を止めて二分間蒸らすと、味もよく染みますよ」

 春樹は感心したように言った。

「そうだね、酢は疲労回復にもなるしね。僕もさっそくためしてみようっと」


 すると奥から、春樹の祖母にあたる九十歳の女性オーナーが出てきた。

「ずいぶんなつかしい光景だねえ。昔はこの店で知り合った客同志、こんな風に気楽な世間話をしたものだけどね。今度は、私の話を聞いてほしいな。 

 あっ、一応お礼に珈琲ご馳走するよ」

 いつのまにか、四人掛けテーブルには、おばさんも含め三人は女性オーナーを囲んでいた。

 女性オーナーは、かちわり氷に香り高いアイスコーヒーを運んできた。

 おばさんは、お礼の代わりに小さなチョコレートを私たち三人に差し出した。

 なんだか、ホームパーティーもどきだなと、私はほっこりした気分になった。

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