第2話 女装した真犯人は今だに藪のなか
私は好奇心から、さわやか青年に問いただす気になってしまった。
「あなたが今、ここにいるということは、あなたは真犯人ではなかったか、それとも保釈金を払って留置場からでてきたか、どちらかですね。
ところで、真犯人は見つかったのでしょうか?」
しまった、余計なことを言い過ぎた。
「よくぞ、聞いて下さいました。こんなこと、自分から言いにくいけど、僕は留置場に入れられたとき、人生終わったと痛感しましたよ。
しかし、国選弁護士が僕を弁護してくれたから、僕の無実が証明されましたがね」
私はまた、好奇心がうずきはじめた。
「実は、私の知り合いの男性も、強盗の冤罪をかけられた人がいたの。
留置場って、たとえ真犯人が現れ、自分が無実だったということが証明されても、規則だから、最低二週間義務があるなーんて話、聞いたことありますよ」
その途端、さわやか青年は身を乗り出した。
「申し遅れました。僕は春樹といいます。あなたは?」
「私はまゆかといいます。しかし、あなたはどう見ても悪党にも変態にも見えない。
もしそうだとしたら、こんなにさわやかな表情でいられる筈がないわ」
急に春樹はうつむいて暗い表情になり、頬が紅潮して泣き出しそうな顔になった。
「僕の冤罪の内容、知りたいですか? あなたは信頼できそうな人だから、今ここでお話します」
私は真剣に聞き入った。
「僕が8歳の女子児童にわいせつ行為をしたという容疑がかかったんですよ。
とんでもない話だ。そりゃあ僕は子供が好きで、ときおり公園で子供を相手に算数を教えたり、ドッジボールをしたりして、将来は保育士になりたいという夢を周囲に話していました。それが悪意に誤解されたのか、それとも女児わいせつに利用されたのか? まあ、両方に利用されたんでしょうね」
まあ、世の中には当たり前のことを、悪意にとり、悪口のネタにする人もいるが、これは単なるゴシップではなく、一人の犯罪歴と人生がかかった重大事である。
「もちろん僕は否定しましたよ。なぜなら、逆に僕はその8歳の女子児童が連れ去られるところを助け出したんから。
あっ、その女子児童の名は、本人の名誉のために出しませんがね。
その8歳の女子児童は、僕が公園で知り合った子でね、僕はその子を含む三、四人の男女の子供に掛け算の九九を教えてたんですよ。
すると、女装した中年男がその子にキャラクターのついたお菓子を見せて、連れ去
ろうとしたんですよ。その現場を追いかけて、僕は女子児童をなかば力づくで連れ戻したけど、その犯人もどきは、その様子をスマホで撮影して、いかにも僕がその子を連れ去っているように仕組んだんですよ。
また僕は、たまたまその子と同じキャラクターのキキ&ララが好きで一つだけ、シールを持ってたんだけどね、それに妙な落書きをした奴がいましてね。男の子のキキの上に僕の春樹という名を、そして女の子のララの上に女児の名を落書きしたんですよ。あたかも恋人同士で、僕に扮したキキがララを狙っているように細工してね」
まあ、落書きというのは、筆跡鑑定をしない限り誰が書いたかわからない。
「男の子のキキに僕の名前『春樹』ララにその女児の名を書いたんですよ。だから僕はいかにも計画的犯罪のように誤解されてしまったんですよ」
私は、思わずため息をついた。
まあ、警察は、犯罪の身近にいる人を、たとえ身内だろうといろんな観点から疑ってかかるのが捜査とは聞いていたが、ここまで悪者扱いされるとは。
悪者扱いされ、プライドを踏みにじられた挙句の果て、自暴自棄になり、冤罪を認めてしまうなんてケースがありかねない。
だから、妙な疑いをかけられた場合は、ひたすら黙秘を通すことが有利だという。
なまじ法律の知識に乏しい若者が一言でも反論しようなら、たちまち揚げ足を取ら
れてやり込められ、気がつくと犯人扱いされていたというケースもあるという。
春樹は続けた。
「僕は呆れてものも言えなかったですよ。まあ、幸いそのとき、女児に交じって九九を教えてた8歳の男子児童とその母親が8歳女子児童を連れ去った女装した中年男がいるという話をして、一部始終を話したから、僕の無実は証明されたことが救いでしたがね。
僕の子供好きが妙な冤罪の原因となったが、九九を教えていたことが、反対に冤罪から守られる原因となったんですね。勉強はしとくもんですねえ」
そういえば、分数はおろか九九のできない大学生が存在するという話は、聞いたことがある。
私は、目の前の春樹さんを励ます意味で
「じゃあ、今度は分数を教える番ね。でもラッキーね。公園での無料塾があるって。そういう子は孤独にならず、恵まれてるわ。
まあ落ちこぼれは、小学校四年の分数でつまずいたのがきっかけだというからね」
急に春樹は、自信を取り戻したような表情になった。
「そうだよなあ。そういえば僕も一歩間違えれば、分数のできない落ちこぼれになる
ところだったところを、近所のお姉さんに助けられたんだ。なんとその女性が、僕の無実を証明してくれた男児の母親だったんだ。
まあ、今はお姉さんというよりも、子供思いの立派な母親だけどね」
「でも、犯人はどうなったんだろうね」
私と春樹は、思わず声を揃えて発言し、顔を見合わせてふき出した。
「ひょっとしてこの世にいなかったりして、例えば自殺したか、殺されたか?
たいてい女装って、ロングヘアに足のくるぶしまであるロングスカートのパターンが多いわね。後ろ姿がガニ股だってことを除けば、正面からパッと見には女性だと見間違えるケースが多いからね」
春樹はまた、神妙な顔に戻った。
「ここだけの話、まゆかさんを全面的に信頼して言うけどね、女児を連れ去ろうとした女装の中年男から、レイプされかかったのはこの僕なんだ」
そういえば、アメリカではホモレイプが十五年前から増加傾向にあるという。
もうこの頃は、日本でもホモレイプの被害がマスメディアによって公けになってきている。
まゆかは思わず、口をついていた。
「しかし、アメリカでは子供の頃レイプされた被害者が、大人になると、今度はレイプの加害者に逆転するケースが多いというわ。そこにレイプの連鎖ができるので、差別がなくならないという話は、聞いたことがあるわ」
春樹は、まゆかの博学ぶり(?)に半ば感心して聞き入っていた。
「まあ、僕は女装の中年男の腕を引きちぎり、逃亡したけどね。あのときは怖かったよ。あとからになって、身震いがした。
だから、僕はレイプされる方にもスキがあるなんて意見、納得できないんだ」
「それは、男性のみならず女性も同じよ。ただレイプされて裁判になった場合、やはり女性は不利だけどね。たとえば、いくら残業や深夜労働とはいえ、夜八時以降に、人気のないところを歩いてたあなたに原因があったとか、夏だからといってタンクトップ姿なんて非常識だなんてね。相手が男性だとそういうこともないだろうにね」
春樹は急に冷静な顔で
「痴漢の場合は、昔とちがって女子の言い分が通用するようになってきた。これは大
きな進歩だよね。男性の場合も、そうなるといいのになあ」
被害者が加害者になるというケースがあるというが、これでは世の中が狂ってしまう。
まゆかも春樹も同じことを考えていた。
「これからどうやって生きていったらいいのか、誰しもが不安と取り越し苦労を抱えている。しかし、要らぬ取り越し苦労ってすごく心身に悪影響を与えるんだよ」
「そうね。だから、身障者が取り越し苦労をすると、筋肉が硬直して動かなくなるから、身障者ほどポジティブにふるまっている人が多いわね」
まゆかがそう言い終わらないうちに、まったく見覚えのない中年女がすごい剣幕で、まゆかに詰め寄ってきた。
まゆかは思わず後ずさりせざるをえなかった。
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