第9話 過去に囚われたままの僕
次の日も、夏見は普段通りだった。いつものように明るく話しかけてきて、僕の車椅子を押しながら帰る。月日が経つごとに文化祭の準備も少しずつ進む。そしてようやく夏休みに入った。蒸し暑い外に出ることなく、クーラーの効いた涼しい部屋でゆっくり過ごせる夏休み。……の、はずだったのだが。
「なんでこの暑いのに学校なんかに……」
僕は教室で裁縫をしていた。
「しょうがないでしょ、文化祭の準備が滞ってるんだから。小道具や衣装は夏休み中に作り終わらなきゃ、演技班との合わせの時間がなくなっちゃうでしょ」
僕の隣で楽しげに小道具を作る夏見が言う。これの何が楽しいんだか。そもそも僕の台本が選ばれなければ僕はもう少しまったり出来たと思うのだが……。
小道具班は他にも何人かいるのだが、みんな部活に忙しく、なかなか作業をしない。部活に入っていない僕と夏見と他二人のみで夏休み中、ほぼ毎日学校に来てはこうやって作業をしている。みんな文化祭が楽しみな様子なのだが、生憎僕はそういう性分じゃない。いや、そもそも……。クラスメイト二人が遠くで楽しげに話しながら作業しているのを見計らい、僕は夏見に話しかけた。
「文化祭、出られないのになんでそんなノリノリなの? 頑張ったって君はそれを見ることが出来ないかもしれない。そしたら無意味じゃん」
「どうして無意味だって思うの? 小道具だって必要でしょ。それに出られなくたって楽しいし、周りの雰囲気壊すのも嫌じゃん? 湊だってほんとは楽しみなんでしょ?」
へらっと笑う夏見。僕の心には苛立ちが募る。
「別に。文化祭なんて好きじゃないしくだらない。君みたいな人ばかりじゃないんだよ」
「何意地張ってんのよ」
「別に意地なんか張ってない。無駄なことはしたくないだけだ」
「なんで無駄だなんて思うのよ。湊ってほんと頑張ろうとしないよね」
二人とも、だんだん語気が強まっていく。ズキズキと痛む心臓を隠すように、僕は声を絞り出した。
「頑張ったって意味ないから言ってるんだ。文化祭なんてただの行事でしょ。頑張って何になるのさ。君だって、文化祭の頃にはこの世にいないかもしれない。無意味じゃないか。僕は嫌いなんだよ。何かに夢中になるのも、頑張るのも、努力するのも……ダサいんだよ」
突然夏見が立ち上がり、声を荒げた。
「湊ってほんとつまらない性格! 臆病者! あなたはただ、結果が残らないのを怖がってるだけじゃない! 努力が実らないのを怖がってるだけじゃない! 形が残らなきゃ無意味なの!? 頑張ったって事実だけじゃダメなの!?」
夏見は涙をいっぱいに溜め、震えていた。そして顔を歪めながら静かに座り、また小道具を作り始める。
「……努力が嫌いならそれでもいいいけどさ、努力してる人を、頑張ってる人を絶対に馬鹿にしないで」
静まり返った教室で、僕はため息をついた。心臓が、頭が、ズキズキと痛む。あまりの痛みに僕は、意識を失っていた。
♢
全身が脈打つのに合わせて痛みがめぐる。ああ、まただ。何かに期待するとかいう意味のないことはしないと言いながらも、心の奥底が否定をする。
僕はずっと過去に囚われたままだ。仕方なかった。才能のない僕は努力するしかなかった。みんなよりもたくさん努力して、努力して……。それでも僕は何一つ出来るようにはならなかった。
「湊はほんとに勉強する気がないな」
先生にそう言葉を投げつけられた。結果が全てのこの世界で僕が生きていくには、あまりにも壁が高すぎた。
それでも諦めなかった。数多の成功者が口を揃えて言うから。
「努力はいつか必ず実を結ぶ」
何があろうと折れなかった僕に起きた出来事。中学一年の文化祭。クラスの出し物として、演劇をやることになった。僕はモブキャラだったけど、気合いを入れて練習していた。でも、クラスのみんなはやる気がなかった。男子数人が僕に言う。
「たかが行事だろ? そんな力入れることでもないじゃん。こんなのに必死になって、ダサくね?」
弱かった僕は、周りに合わせてただ笑うことしか出来なかった。
「……そうだよね」
ちょうどその時期にあった定期テスト。いつもの何倍も勉強したにも関わらず、その順位は半分より下。その結果に母親はため息をつきながら言った。
「遊んでばかりいるからでしょ。ちゃんと勉強しなさい」
結果だけの世界。努力の実らない僕。
僕は思った。努力が必ず実を結ぶのは成功者だけだ。僕みたいなやつには努力なんか無意味。
必死になったってダサいだけだから。
それ以来僕は頑張ることをやめた。中学二年の夏に倒れ、下半身麻痺になってもリハビリなんかしなかった。どうせ出来ないから。頑張ることはダサいことだから。
♢
「……と……! 湊……!」
夏見の叫び声で僕は目を覚ました。まだ夢現の僕に、夏見は安堵の表情を見せた。
「良かった……。急に机に頭ぶつけてそれっきり動かないんだもん」
辺りをキョロキョロと見回す。誰もいない。
「あれ、あの二人は……?」
「先生呼びに行ったよ。湊が意識失っちゃったから慌てて」
「そう……」
なんだろう。この場に居づらい。だって考えてみろ。女子と喧嘩した途端に気を失ったんだぞ。ダサすぎる……!
僕はおもむろに車椅子を動かし始めた。
「ぼ、僕、先帰る」
「え、でも──」
夏見の声を遮るように勢いよくドアを閉めた。最低だ。これじゃまるで怒ってるみたいじゃないか。でも、車椅子を漕ぐ手は止まらない。ゆっくりと進む。
明日、謝ろう。うん、そうすればいい。……でも、僕は夏見にひどいことを言った。あの日、僕が言われて嫌だったことを……。夏見を傷つけた。許してくれないかもしれない。僕はどうしたらいいんだろう。
──ドンッ!
突然後ろから車椅子を押され、僕は思わず車輪から手を離した。車椅子を押したのは夏見だった。眉を下げ、微笑む夏見。
「家まで送るよ、湊」
「……人が漕いでるのに急に車椅子を押したら、手が車輪に巻き込まれて怪我するよ」
「わ、そうだった! ごめん!! 怪我しなかった? 大丈夫?」
前にもあったな、この会話。でも……。
「違う。謝るのは僕だ、ごめん」
ひどいことを言ったこと。すぐに謝らず、教室を出ていってしまったこと。
夏見に怒られることは覚悟している。だが夏見はくすり笑った。
「いいよ。私もムキになってひどいこと言っちゃったし」
踏切まで来た。遮断機がおり、僕らは止まった。大きな音を立てて電車が近づく。
「ねぇ、湊。──」
通り過ぎる電車の音で、何を言ってるのか聞き取れなかった。
「ごめん、もっかい言って」
でも夏見は「なんでもない」と笑い、車椅子を押し始めた。
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