第24話 地下の怪物

 予感的中。

 セレーナに抱かれたカルミラを見て、俺は安堵の息を吐いた。

 カルミラが普段から使っているという帰路を走り、不審なマナの痕跡を追跡することで短時間でこの場所──皇都南部にある古い礼拝堂の中を突き止めることができた。カルミラたちを誘拐したのは、今しがた地下に殴り飛ばした人の形をした化け物が率いていた影獣なのだろう。影獣は存在するだけで人間とは異質のマナを放出し続けるため、人間領内で奴らの痕跡を追跡することは容易だ。魔獣支配領域では、ほとんどがそのマナで充満しているためわからないが。

 しかし……やっと見つけた。半年以上、夜の街中を歩いて痕跡を探ったり、軍の機密資料を漁ったりしてきたが、まさかこんなに唐突に見つけることができるとはな。

 当たりではないだろうが、恐らく近しいものであることは間違いない。先程の姿を思い出すだけで、殺意が湧き上がってくる。


「セレーナ、先に三人を連れて礼拝堂の外に行ってくれ。俺はこの下にいる奴に話がある」

「了解だよ。でも……使うんだね?」

「ああ。心配すんなよ、飲まれやしない」

「……信じるからね」


 セレーナに返事はせず、俺は今しがた穿った地下への穴に向かって飛び降りた。


     ◇ 


「あの、セレーナさん」

「ん?」


 先生が一人で化物の後を追った後、私は二人を両腕で軽々と持ち上げて上階に運んだセレーナさんに声をかけた。


「ソテラ先生は……」

「あ~……」


 何故か目を泳がせたセレーナさんは、一先ず二人を礼拝堂の椅子に座らせ、少し考え込む素振りを見せてから言った。


「……大丈夫。ソテラは皆をさらったあの化け物を倒しに行っただけだから」

「で、でも、先生は片足が義足で……」

「うん。勿論、全盛期の強さはないよ。走ることができる特注品とはいえ、元々あの義足は走ることを前提に造られていないから、それをやる度に切断面に激痛が走るらしいし」

「じゃあ、尚更……」


 私は適当に遊ばれていただけだから、あの怪物の強さは全く知らない。だけど、きっと戦ったら強いと思う。目の前にいるだけで全身が粟立って、恐怖で身が竦んでいたし……。

 けど、私と違って、セレーナさんは何の心配もしていない様子だった。


「まぁ、大丈夫だよ。今は全力でも半年前の半分が限界ってとこだと思うけど……元々のソテラは滅茶苦茶強いからさ。あんなわけのわからない化け物、簡単に倒せちゃうよ」

「……」


 俄かには信じられないけど……いや、確かに先生は皇国の領土を二十%以上も広げた凄い人だ。私が先生の本気を見たことがないだけで、きっともの凄く強いんだと思う。だから……ここで先生が帰ってくるのを、信じよう。

 と、セレーナさんが不意に私の頭を撫で着けてきた。


「?」

「それにしても、よく頑張ったね、カルミラちゃん。一人で心細い中、二人を護ろうと必死になって」

「あ、あれは……無我夢中で」


 二人が殺されると思ったら、身体の震えが急に止まって、光武具を召喚することができたんだ。本当に、もう駄目だと思ったけど。

 あの時セレーナさんとソテラ先生が来てくれなかったら……きっと、殺されていたと思う。結果がどうなっていたかは誰にもわからないけどね。


「無我夢中なら、余計に凄いよ。二人を護ることだけを考えたってことでしょ? 変な打算とかがあるより、私はそっちの方が圧倒的に好きだなぁ。それに素晴らしい」

「そう、ですか?」

「そうだよ。だから、いつもネガティブなカルミラちゃんだけど、今日くらいは心の底から自分を褒めてもいいと思うよ? 大丈夫、私も目いっぱい褒めてあげるから」

「……」


 照れくさくなった私は顔を背け、無言で頭部に感じる柔らかな掌の感触に身を委ねる。こんな風にたくさん褒められるのは、あんまり慣れていないから、どう反応していいのか困る。けど、嫌な気持ちは全くなくて……心地いい。

 きっと、多くの子供たちは幼いことからこうやって褒められて、たくさんのことを学んで、自分を肯定することを覚えていくんだと思う。私みたいに見向きもされずに育てられた人には、この感覚は依存してしまいそうになる。

 掌の心地よい感触と緊張感が抜けたためか、私の身体にはどっと疲労感が押し寄せ、強烈な睡魔が襲って来た。


「いいよ。眠っていても。起きた頃には、全て終わっているから」


 セレーナさんが耳元でそう言ったのを最後に、私は眠りの中へと意識を沈めた──。


     ◇


 礼拝堂の地下に広がる、地下空間。

 かつて生け捕りにした影獣に対する様々な研究や実験が行われていた、高さ六十メートル、幅百メートルの正方形型に造られた空間は、かつての実験器具が幾つか残されており、鉄臭い香りが充満していた。

 過去、ここに連れ込まれた影獣が暴走して多くの死傷者出したことで廃棄された場所なのだが……なるほど、こんなところに潜伏していたとはな。


『……人間風情が』


 無事に着地を成功させた俺は遥か前方から響いた声の主へと視線を向ける。ガラガラと音を立てて起き上がったそいつは、亀裂の入った仮面を脱ぎ捨て床に叩きつけた。


「やっぱり、人型だったか」


 仮面の下に隠されていた顔を見た俺は、昂る感情を抑えるつける。

 酷く醜い顔だ。口は大きく裂け、見える牙は鋭く鋭利。三つの紅い目を有し、肌は漆以上に黒く染まっている。

 色、マナ、姿形。間違いなく人間ではないそれは、俺が追い求め続けた存在──人型の影獣だった。

 牙を剥き出しにした人型は蛇のように長い舌を出し、強い殺気を放つ。


『知っていたような口ぶりだな』

「知らなかったさ。だが、お前の姿を視界に入れた瞬間、もしかしたら俺の追い求める奴なんじゃないかと一瞬思った。だが、どうやら違うらしい。あいつは……お前みたいに醜い奴じゃなかった」

『……なるほど、探し人がいたか』


 やけに落ち着いた人型は静かに呟き、長い触手の腕を一度床に叩きつけた。


『残念だが、貴様がその探し人に巡り会うことはない。今から貴様はこいつに骨肉を噛み砕かれ、こいつの血肉に生まれ変わるからな』

「人の運命を勝手に決めるんじゃねぇよ」

「決めたのではない。そう確定しているのだ──来い」


 瞬間、濃密なマナが人型の背後に集まり、やがて闇に溶けていた姿を具現化するように、一つの巨大な肉塊が現れた。

 体長は二十メートルを優に超え、七つの獅子の顔に竜の身体、二股に分かれた蛇の尾という、悍ましいどころではない超生物。全身が黒く濁っているため影獣の一種で間違いないだろうが、かなりの改良も加えられているように思える。つまり、あの人型が作り出したオリジナルの種、ということになる。


『人間を嬲り殺すために生み出した、イーターとでも名付けよう。人間には魔法という対抗手段があるらしいが、貴様に何ができる』

「……」


 俺は人型の話をほとんど聞かずに、イーターとか言われた化け物を見上げる。

 体長は確かにでかい。こいつに影獣支配領域内で遭遇すれば、真っ先に退散するくらいには、危険度の高い奴だ。片足を失った俺では、まともに戦ったところで勝つことはできないだろうな。


「だが、雑魚か」

『やれ』


 呟いた瞬間に人型が命令を下し、イーターはその命令を遂行するべく俺に向かってとびかかってきた。そして、前足を横に振るい、俺を真横に殴り飛ばした。更に追撃とばかりに二つの尻尾で俺を床に叩き潰し、何度も執拗に殴打を繰り返す。

 衝撃が各方向に広がり、床がハチの巣状に割れていく。

 そして、駄目押しとばかりに俺を再び吹き飛ばし、壁に叩きつけた。


『何もできずに終わったか』


 猛襲が静まった直後、人型がその場に留まったイーターに近寄ってくる。

 まぁ、確かに何も叫ぶこともなく、一方的に攻撃を受けていただけだからな。死んだと思っても仕方がないだろう。今、床が砕けて舞い上がった砂埃で俺の姿は確認できていないので、身体がぐちゃぐちゃになって臓器を飛び散らせている、と勘違いしているはずだ。

 今は完全に油断している。自分たちの勝利は揺るがないものであり、今この場に敵はいないと認識している。

 つまるところ、絶好のタイミングだ。勝利は揺るぎないと信じている連中の心を折る、最高のパフォーマンスを見せてやる。


「宝玉竜・黒」


 俺はニヤリと口元を歪め──右手に出現した宝玉を砕いた。

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