第22話 急行

「地震か?」


 微細に振動する窓枠を注視し、俺はソファの前に置かれている机に手を当てた。

 振動の大きさは小さく、棚や机のものが落下する程のものではない。まして、建物が崩落するような危険はないだろう。

 小さな地震はものの数十秒ほどで鳴りを潜め、再び一人だけの静寂な空間に戻った。

 地震は影獣の支配領域でなら何度も体験したことがあるが、この街では初めての経験だ。耐震性能は脆弱な街なので、大きな地震が起きれば町全体の建物は音を立てて崩落することだろう。

 耐震工事なんて、するわけがないがな。

 なぜなら、この皇国は大陸プレートの境目にあるわけでもなければ、領内に大きな活火山があるわけでもないから。現在考えられている地震の原因は、この二つのみ。

 つまり、そのどちらもない皇国では地震なんて本来起こらないのだ。勿論、第三第四の自然的原因があり、それらはまだ発見されていないだけなのかもしれない。

 だが、俺はその可能性を切り捨て、自然的ではない原因の可能性を高く見る。

 即ち──。


「影獣によって引き起こされた地震、か」


 一週間程前に街の中で影獣が確認されているため、可能性はゼロとは言えない。しかも、俺が今まで体験した影獣によって引き起こされた地震はいずれも、今のような微弱なもの。影獣の足音、特殊能力、咆哮によって主に引き起こされるものだが、流石に建物全てを崩壊させるほどの威力はないらしい。

 もうここまでくれば俺の妄想と言ってもいいレベルになるが、俺の直感はよく当たる。ここは深く考えず、猪突猛進に行動してみようか。

 鞄を手に取った俺は大急ぎで塾を後にし、全速力で家に向かって走る。

 忘れがちだが、俺は片足を失って義足を使って生活している。この義足は特注品で走ることも可能なのだが、踏み込みと着地の瞬間、接合部分──即ち足の断面に激痛が走る。俺にはもう慣れたものだが、あくまで走ることも可能、というだけなので、本来無理は厳禁なのだ。

 だが、足から全身に伝わる痛みにはガン無視を決め込むことにし、俺は構わず雪の積もった道を駆け抜けた。



「あ、おかえり。今日は──」

「すぐに準備をしてくれセレーナ」

「え?」


 家に到着してリビングに入るなり、俺は夕食の準備をしていたセレーナにそう言い、持っていた鞄をソファに放り捨てた。

 突然俺にそう言われたセレーナは大きく数回の瞬きをし、手にしていた包丁をまな板の上に置いてこちらにやってきた。俺の雰囲気がいつもと違うからか、彼女は真剣な面持ちで問う。


「何があったの?」

「……確証はない、俺は荒唐無稽な仮説を立てた」

「?」


 その前置きに首を傾げたセレーナに構わず、俺は早口で続ける。

 何しろ、俺の仮説が正しければ、ほとんど時間がないのだ。


「さっき地震があったのは、わかるな?」

「うん。小さかったけど」

「プレートの境目も火山もない皇国内で、微弱であっても地震が起こること自体がおかしいことだ。勿論解明されていないメカニズムがあるのかもしれないが、その説は今除外する。除外した空白部分に、俺が知るその他の地震の原因を当てはめると、影獣によって引き起こされるものだ」

「つまり、さっきの地震は影獣によって引き起こされたもの、だってこと?」

「可能性はゼロではない。で、ここから先が俺の無理無茶な仮説だ」


 セレーナなら笑わず、真剣に聞いてくれると信じて、俺は話した。


「一週間前に影獣が出現したのは、カルミラが宝石に触れた日の晩だった。あの時、カルミラが触れたことで放出されたマナは、彼女の存在を何かに知らせるものだったんじゃないか? そして、存在が何者かに知らされたため、彼女を捕縛するために動き出した。と俺は考えている。その線で考えれば、地震を起こした影獣……でなくとも、それに関連する者たちがカルミラの元に向かった可能性がある。現に、俺は帰路で中将に連絡を取ったが、カルミラはまだ帰っていないそうだ。直帰すれば、十分家に到着している頃だというのに」

「よくそこまで頭が回るものだね……」

「洞察、考察力がなければ外の世界では死ぬからな。で、俺は自分の立てた荒唐無稽な仮説を信じて行動することにした。セレーナ、力を貸してほしい」


 俺は深々と彼女に頭を下げる。如何に見知った仲とはいえ、最も信頼の置く相手とはいえ、無茶な頼みをする時には頭を下げるべきだ。

「馬鹿なこと言わないで」と言われる可能性だって十分にあるだろう。でも、俺は自分の考えを捨てきることができない。この仮説を証明したい、確かめたい。少しでも教え子が危ない可能性にあっているのなら、助けてあげたいのだ。

 沈黙が降りてから、十秒ほどが経過した頃か。

 小さな溜息が聞こえたと同時に、視界の端でセレーナが身に着けていたエプロンを外す姿が見えた。


「セレーナ?」

「いいよ。付き合ってあげる」


 そう言ったセレーナはコートを手に持ち、戻ってきた。


「ソテラが頭を下げてまでお願いしてくるなんてほとんどないことだし。それに、教え子さんが危ないかもしれないんでしょ? 確かに荒唐無稽で妄想に近い仮説だとは思うけど……貴方を信じるって決めてるからね」

「……悪いな」

「今更だよ。ほら、早く行くよ」

「あぁ」


 セレーナがいてくれてよかった。いや、俺の傍にいるのが、彼女でよかった。

 俺は心の中で再び彼女に感謝の言葉を告げ、カルミラの自宅がある方向に向かって走りだした。

 

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