第32話 碧頭の滝2 2度目の鐘

 《臥竜鯉ガリュウゴイ》。

 ロンムーさんは、その巨大魚をそう呼んだ。


 その正体は、過去に滝越えに挑み、果たせなかった《碧竜鯉ヘキリュウゴイ》が成長した姿とのことだ。

 滝越えに失敗し断念してしまう個体は時折いるようで、どこかへ去ってしまうらしい。碧鱗川へきりんがわに棲む個体もいれば、黄龍河こうりゅうがまで下って放浪する個体もいる。その中でごく稀に移動しない個体も存在するらしい。

 それが《臥竜鯉》。

 「臥」には「横たわる」という意味があることとのことだ。つまり「停滞」。

 滝壺のあるじは、碧頭へきとうの滝の豊富な栄養分を吸収し、巨大な姿に成長した。しかし、いまだ同じ場所に留まり続けるのは、滝越えへの未練なのだろうか。


「あの《臥竜鯉》を討伐しなければ、貴方方あなたがたが放ったあの《碧竜鯉》は滝までたどり着けないでしょう」


 ロンムーさんはそう言った。岸辺で《臥竜鯉》の説明をしてくれた後だ。


 しかしその一方、俺が『しのぶ』を放した時点で、『しのぶ』の輸送クエストは完遂とみなされた。基本報酬14万アジーに加え、『しのぶ』の健康状態を加味した2万Aが、俺たちパーティに均等割りで振り込まれたのだ。


「貴方方はすでに大仕事を終えました。《臥竜鯉》を討伐する義務まではありませんわ」


 彼女の言い方はどこか事務的に感じられた。労わっているようにも、しかし逆に挑戦的なようにも聞こえた。


「つまり、このままシャンヤを後にしてもいいと?」

「ええ、その通りですわ」

「ヒヨコマメさん、それは……」


 俺が確認すると、コノハ君が何か言いたげに俺の名を呼んだ。俺は頷き、彼に掌を向けて制した。


「逆に、討伐する場合はどうすればいいですか? どうやってあいつをおびき出せばいいんですか?」

「……おそらく『登竜の鐘』をもう一度鳴らせば浮上してくるでしょう。今思えば、鐘の音の後、滝の雰囲気に違和感がありました」


 巫女ならではの感覚だろうか。

 『登竜の鐘』とは、滝越えの神事の前に俺が鳴らしたあの鐘だ。それをもう一度鳴らすことが再戦の合図というわけだ。

 ロンムーさんが微笑みを向けてくる。


「すぐにでも討伐の依頼を出したいのですが、それでは貴方方もお辛いでしょう。明日の正午までお待ちしますわ」


 正午以降は、他のプレイヤーたちにも討伐のクエストが回るというわけか。


「もちろん、討伐に参加せずこの地を去っても恨みなどいたしませんわ」


 ロンムーさんは、簡単な挨拶の後、楽隊を連れて引き上げていった。






 もう日が沈みかけている。俺たちもシャンヤの街に戻った。

 何を決断するにしても早いに越したことはない。


「討伐したいかしたくないか、みんな決まったん? なら、いくよ。討伐したい人」


 リリィレイクさんが発した多数決。討伐側に6人全員が手を挙げた。


「そうなると思うてた。『しのぶ』もあんなんやし……」


 彼女が目を向けた先、川には光る魚がうろうろと泳いでいる。俺たちにはあれが『しのぶ』だと分かるが、他のプレイヤー数名は不思議がって、川に入って追いかけている。捕まりそうな気はしないが、あれでは『しのぶ』が気の毒だ。


「リリィレイクさん、街で情報を集めましょうか」

「そやね。後は明日のアタック時刻を決めて……」


 『しのぶ』の未来の為の戦いを前に、俺たちは準備に入った。


 * * *


 ゲームのシステム上の都合か、街の一部の住民は《臥竜鯉》が出現したことをすでに知っていた。情報を集めるには都合が良かったが、戦術の上で重要になる情報となるとかなり限られてしまった。

 結果、有益な情報は、《臥竜鯉》の弱点が【雷】の属性という事のみ。兵士の詰所の最古参と思しきおっさんが、過去に戦ったことがあるとのことで教えてくれた。

 

 翌朝、真っ先に魔杖まじょう屋に行き、【雷球】の魔杖を各々購入した。

 宿の対岸には、魔杖屋を含めた武器屋エリアがある。俺たちは武器と鎧を強化し、牛丼ならぬ「鹿丼」を出すという定食屋に入った。

 麦が交じった米の上に、鹿肉の煮込みが乗っていた。見た目は現実のチェーン店で売られる牛丼と大差ない。だが、やや筋張って歯ごたえがあるせいか、奥行きのある味に感じられた。繊維の解れ具合は牛肉よりも豚肉に近いだろうか。

 食べながら俺たちは作戦会議を始める。


「陣形はいつもと同じ2・1・2・1でええ?」

「そうですね。あんまり攻撃が厚いようなら、俺もタンクに加わります」


 最前列にタンクの2人、そのすぐ後ろにサブタンクの俺、その後ろにアタッカーのロータスさんとハルハルちゃん、最後尾に射手兼回復役のリリィレイクさん。

 最後尾から見ると、逆三角形が2つ描かれる配置だ。


「魔杖を使う時はどうするんだい?」


 一人スプーンで食べているロータスさんが尋ねてきた。


「できるだけ左右に広がるようにしましょう。ただ、みんなで一斉に撃った場合、タゲターゲットがリリィレイクさんに来るかもしれません」

「そやね、ウチは【属攻】が高いし、回ってくるかも。矢だけ撃ってた方がいいかな」

「そうですね。でも、余裕がある時は魔杖を使ってください」


 そうは決めたが、魔杖の一斉射撃は試したことが無い。魔杖自体が高価な消費アイテムなので、手軽に練習ができないからだ。ぶっつけ本番になるだろう。


「ロータスさんの『水上走行』はどれくらい走れるんですか?」

「7歩だよ。レベルが上がれば、もっと走れるかもしれないけど」


 今度の相手は水中を自由に移動できる。ロータスさんのスキルがどれほど有効か尋ねたが、過度の期待はできないかもしれない。

 先日のように船に乗り込む場合とは違い、今回は往復しなければならない。そうすると、行けるのは3歩か4歩までということになる。


「そもそも、向こうがどういう戦法取ってくるのか分からないからねえ。出たとこ勝負ってところはあるよねえ」


 ロータスさんの言う通りだ。

 ただ、正午までは時間はある。1回目は練習、2回目が本番と割り切った方が気楽かもしれない。

 食べ終わる頃には、大まかな打ち合わせが終わった。

 すると、大盛りを食べきって満足げなミレーさんが手を挙げてきた。


「倒したら誰が封印するの?」

「え?」

「そもそも1体しか出ないようなモンスターは1人しか封印できないの?」


 封印のことまでは考えていなかった。俺もリリィレイクさんもロータスさんも唸った。

 結局ロータスさんが正封獣札に封印する取り決めとした。2人以上封印できるような仕様ならば、カードが余っている人も封印を試すことになった。




 青空の下の碧頭の滝は、夕暮れ時とは違う表情だ。

 みどり色の水面に映る白い雲を波紋が揺らす。滝壺は相変わらず轟音が支配している。滝の音が今日は雷のように聞こえる。決戦を前にした嵐の雷だ。


 今回、『登竜の鐘』を鳴らすのはハルハルちゃん。

 好奇心を露わに鐘木しゅもくを引っ張る。そして鐘木にターザンのようにぶら下がったまま鐘にぶつかっていく。俺の時よりも大きな音が鳴り響き、空気の振動が水面も波立たせる。

 聞こえる滝の音が小さくなった。イベント開始の印だ。


「ハル! 早くこっちに来て!」

「ふぁーーいっっ」


 コノハ君が、鐘の音を間近で聞いてクラクラしているハルハルちゃんを呼びつけた。彼女が千鳥足気味に戻ってきたところで、俺たちの格好が鎧姿に変わり、滝壺の底から影が浮き上がってくる。


「来た!」


 巨大な影が水面を膨らませ、飛沫しぶきを散らして跳び上がる。人の顔ほどもある鱗を全身に纏った巨体が落下していき、全身をしならせてハンマーのように水面を打つ。

 発生した波が岸に迫り、俺たちの足元まで届く。


「ズジャアアアアアア!!」


 浮上してくると威嚇の遠吠え。魚でありながら、竜のような鳴き声。鎧の金属部がビリビリと振動させられている。

 《臥竜鯉》の瞳がこちらを視認してきた。そして歯の無い大口を開いた。



【踏破距離:156キロ】

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