第31話 碧頭の滝1 留まりの主

 日が傾き、影が長くなってきた。

 俺たちは、シャンヤの街の上流、『碧頭の滝』エリア内でロータスさんを待っている。彼は、集まった宝玉4つを碧巫女ロンムーさんの元へ持って行った。クエスト報酬として2枚目の正封獣札をもらうためだ。


 目の前には、豪快にして流麗な二筋の滝。高さ30メートルはあろうかという上段で分岐し、それぞれ滝壺に流れ落ちている。

 一方は直瀑ちょくばく。30メートルを一息に落下し、滝壺に落ちるとともに大きな飛沫しぶきを飛ばして轟音を上げている。

 もう一方は段瀑だんばく。3段の階層に分かれ、水が身を捻るように順番に落ちてくる。こちらは飛沫も音も控えめで、女性的な印象を受ける。


 俺は手持ち無沙汰に滝を眺める。すると、別のパーティがやって来て、挨拶を交わした後追い越していった。

 彼らの後ろ姿を目で追う。滝壺の周りには崖を削ってできた通路があり、彼らはそこを進んでいき、滝の裏側に入っていった。街の行商人NPCの言によると、滝の裏に上流へ上る階段があるとのことだ。


「○×○×○×!」

「ハルちゃん、何? ごめん、聞こえんかった!」


 離れた場所でみどり色の滝壺に釣竿を向けるハルハルちゃんが何か告げてきたが、大きすぎる水音のために聞こえなかった。リリィレイクさんが近寄っていき、また戻ってきた。


「ロータスさんはまだ来ませんか、やって」

「まあ、見ての通り……うん? おお、噂をすれば」


 街の方からロータスさんが右腕を振りながら向かってくる姿があった。気付いたハルハルちゃんも竿を大きく振り返した。

 彼は合流すると、申し訳なさそうに手刀を切った。


「ごめんごめん、あの街やっぱ迷路だ。出口になかなか辿り着けなくてね」

「いえ、カードもらえました?」

「この通り」


 彼は封獣札を具現化し、空白ブランクのカードを見せてくれた。


「よぉーし、これで『鐘』を鳴らせるわけやね」


 俺たちは、エリアの入り口に吊るされる『登竜とりゅうの鐘』へ向かう。日本のお寺にある物より一回り小振りなそれを鳴らすことで、碧巫女へきみこロンムーさんを呼び出し、彼女が滝越えの神事を行なってくれるはずだ。


「なあ、誰が鳴らすん?」

「このクエストを見つけた、諸悪の根源がいい」


 ミレーさんの酷い言い様に、ロータスさんがこちらに笑みを向けてくる。

 鐘を叩きたそうにしていたハルハルちゃんも譲ってくれたため、仕方なく俺が叩くことになった。


「行くぞっ」


 鐘とともに吊られた鐘木しゅもくを引っ張り、力を緩める。コァーーンと、お寺の物よりも遥かに高い音が響き渡る。滝壺を囲む崖に音が反響し、まるでエリア全体が楽器になったように音が長く残る。

 滝を取り巻く空気が変わったかのようだった。空気が清められたような印象だ。


 ややあって、ロンムーさんのいたやしろから、こちらに伸びる通路に一気に灯りが灯った。

 イベント発生に起因してか、システムが滝の水音を小さくした。そのおかげで向こうから笛と鈴の音が聞こえた。


 ピィーー、シャララン、ピィーー、シャララン……。


 人の列がこちらに向かって来る。先頭は全身真っ白な装束の人。その人に追従して10人ほどの人々が続く。


「こんなに大掛かりだとは……」


 思わず言葉が漏れる。

 予想以上の神事の規模に圧倒されていると、一団が到着した。

 やはり先頭の白装束は碧巫女ロンムーさんだった。浴衣のように生地が薄い装束は無防備そうで、彼女の豊満な胸の大きさと色気を余すことなく伝えていた。ハルハルちゃんがコノハ君の両目を手で覆った。


「うふふっ、安心してください。中にも着ていますわ」


 言われたハルハルちゃんは渋々といった様子で、コノハ君から手を離した。


 気付いたが、ロンムーさんの娘の姿がない。さすがにお留守番のようだ。

 彼女の背後にいた女性が一歩進んだ。その手には、鈴がいくつも付いた短い棒があった。その仏教だか神道だかで使うような鈴付き棒を、ロンムーさんに渡した。


「それでは滝越えの神事を始めましょう。旅匠りょしょうの民の皆様、《碧竜鯉ヘキリュウゴイ》はどちらですか?」


 言われてからリリィレイクさんが『しのぶ』を実体化した。大掛かりな一団に圧倒され、誰しも気が付くのが遅れてしまっていた。


 水槽を地面に置くように指示され、岸の砂地に置くと、俺たちは少し離れた。

 ロンムーさんも一団から離れると、素足のまま水に入っていった。濡れた裾が脚に張り付いていく。ふくらはぎの半ばまで浸かると、そこで鈴を鳴らした。それを開始の合図に、一団は銘々の楽器を短く鳴らす。


「川の恵みよ。流れのように、親から子へ、子から孫へ、脈々と続く水の系譜よ」


 ロンムーさんは祈りの言葉を口にした。

 すり足で移動し、蝶が舞うような腕の振りで鈴を動かす。何事かを呟き、また鈴を鳴らす。彼女の動きを追うように、一団も各々楽器を奏でる。

 その厳かな演舞と合奏は数分に渡って続いた。


 すると、何ということだろう。『しのぶ』の体が燐光を帯び始めたではないか。


「こ、これは……?」

「はぁ……ふぅ……、碧巫女の加護ですわ。これでその子が無事に滝を越えられれば、必ずや幼竜となることでしょう」


 額に汗が浮かび、張り付いた装束から下の服が透けたロンムーさんが教えてくれた。


「さあ、名残惜しいかもしれませんが、お別れです。その子を放してあげてください」

「え……もうお別れですか」

「もっと一緒に旅をしたい」

「ミレー、無茶言ったらあかんて……」


 この数日ですっかり愛着が湧いた『しのぶ』。沈痛な空気が漂った。特に餌に気を配っていたミレーさんの表情は、いつものポーカーフェイスとは違う。

 停滞をはらうように、このクエストを引き寄せた俺が歩み出る。水槽に手を掛けると、誰かが「あぁ」と悲痛な声を上げた。


「じゃあな、『しのぶ』。成竜になってくれ。他のモンスターにやられるなよ……」


 十分な深さのある所まで運び、俺は顔を歪めながら水槽を傾ける。淡く光る『しのぶ』が川の水に入り、一度こちらに頭を向ける。そして、何事もなかったかのように向き直り、段瀑の方を目指していった。

 『しのぶ』の光が夕暮れの滝壺を進んでいく。


 異変はその時だった。


 滝壺の中から何か巨大な影が浮上してくる。

 俺の視界にも「!」マークが点き、警報音が鳴る。警報音は続き、みるみる影は大きくなっていく。

 気付いたのか、『しのぶ』も逃げ惑い、滝に尾びれを向けて下流に引き返し始める。


 そして、ついに巨大な影が水面を割り、盛大に水飛沫をまき散らしながら空中に飛び出た。

 躍り出たその体長、4メートルはあるか?

 全身は碧色の鱗。姿は、力強い尾びれを有す、竜のような顔をした魚。

 つまり、『しのぶ』の種族である《碧竜鯉》と同じ特徴。しかし、その大きさはけた違いだった。

 その巨大魚が落水すると同時に、飛沫どころか波が起こる。膝下まで浸かっていた俺は巻き込まれ、水中を転がされて押し流されていく。


「げほっ! げほっ!」


 俺はようやく水から顔を出し、咳き込みながら滝壺に目をやる。すると、巨大魚は潜行していき、魚影はどんどん小さくなっていった。

 光ったままの『しのぶ』は、『碧頭の滝』エリアを出て、シャンヤの街の方へ逃げ下っていく。

 以降、あの巨大魚は姿を見せなかった。滝壺には呆然とした俺たちだけが取り残された。


「あれは……《臥竜鯉ガリュウゴイ》」


 放心した様子のロンムーさんがぽつりと呟いた。


「……かつて滝越えに敗れた滝壺のあるじです」



【踏破距離:155キロ】

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