第24話 碧の谷筋1 山道

 碧尾街へきびがいを朝に出発し、碧鱗川へきりんがわ沿いに上っていくと山道に入り、やがて『みどりの谷筋』というエリアに入った。

 

 碧の谷筋は、雨が降ってもいないのに湿り気を帯び、整備された道でさえ時々ぬかるんでいる。

 左手側、眼下の碧鱗川がゴウゴウと唸るように後方に流れていく。碧色の水が大岩にぶつかるたびに砕け、生まれた白い飛沫しぶきがより細かな粒となり、岸の木々を濡らしていく。


 俺たちはそんな碧の谷筋を一日中歩いている。目指すは上流。碧頭の滝近くにいるという2人目の巫女の所だ。しかし、森と湿気に包まれた山道が延々と続く。


「ハルちゃん、ミレー、速い。ウチらを置き去りにせんで~」


 リリィレイクさんの声が前方に飛んだ。先頭のハルハルちゃんと、そのすぐ後方のミレーさんが止まった。


「ホンマにあんたらは元気やな……」


 出発した時は気力に満ちていた俺たちだったが、川の蛇行に伴って山道も曲がりくねり、おまけに終始上り坂とあって気力が落ちてきた。

 モンスターと出会う頻度は増えているし、あの竜滅隊の妨害だってあるかもしれない。いまだに活力を保っているのは、ハルハルちゃんと、表情を変えずに淡々と歩くミレーさんくらいだ。


「ははっ、女の子が元気だとパーティが明るくなるねえ」


 同行してくれている隻腕のロータスさんだ。

 俺が襲撃されたことに端を発したプレイヤー同士の交流会の後、なんと彼は碧頭の滝まで同行すると申し出てくれたのだ。

 ソロプレイヤーゆえの身の自由さで、竜滅隊からの護衛役を買って出てくれた。


「ロータスさん、『女の子が元気』って……ウチは女の子じゃないん?」

「おぉ、そういう意味じゃないって。リーダーさんは……そう! 女の子じゃなくて素敵なレディ」


 取って付けたような言い訳だ。それを悟ってか、リリィレイクさんは頬を膨らませた。しかし「素敵」やら「レディ」やら言われて、悪い気はしていないようだった。今後のリリィレイクさんのあしらい方の参考にしてみたい。


 その後しばらく進み、川が大きく右に曲がり始めたところで、前方のミレーさんが声を発した。


「ハルハル、止まって――リリィ」


 見通しが悪い。すわ、敵か? モンスターか、竜滅隊か? と警戒し、俺は腰のなたに手を伸ばした。


「3時。おやつにするべき」

「紛らわしいわ!」


 ミレーさんの頭が弓で叩かれた。




 川底の見えない碧鱗川のほうに降りていくと、ちょうどいい平地があった。テーブルと椅子を出し、碧尾街で買った碧色饅頭と水出し緑茶をロータスさんに供した。


「たまには人と食べるのもいいもんだ。ゲーム始まってからはしばらく1人だったからねえ」


 俺が上顎うわあごに張り付いた饅頭の皮をお茶で流していると、隣のロータスさんが感慨深そうに呟いた。彼はちょうどいいサイズの倒木に座り、その上に湯飲みを置いている。


「パーティ組まなかったんですか?」

「まあ、こんなだしねえ。1人も気楽っちゃ、気楽だよ」


 飄々とした彼にしては、今の発言は強がりに聞こえた。本当は苦労があったのだろうか。


「にしてもあの子ら、楽しそうだね」


 右手が塞がっているロータスさんが顎で指し示す。おやつを終えたコノハ君とハルハルちゃんが釣竿を川に向けている。


「あの2人、最近釣りにハマってるんですよ」

「羨ましいねえ。俺もあのくらいの頃にやったなあ」


 俺は気付いた。隻腕では、糸を巻き取るリールと竿を同時に扱えないのではないか。

 現状ゲーム内の釣竿は全て手動でリールを巻くタイプだけ。ロータスさんは容易に釣りができないのかもしれない。


 俺が釣りの話題を続けるか迷っていると、コノハ君たちが揉め始めた。


「ハル、もっと静かに釣り出来ないの? 魚が逃げるだろ」


 コノハ君がイライラした様子で言う。ずんぐりした小魚タイプの疑似餌ルアーを、ボッチャンと派手に落水させたばかりのハルハルちゃんが噛みついた。


「そっちこそ、さっきからミミズで同じところばっかり。地味なことばっかりしてても全然釣れてないでしょっっ!」


 ずっと同じポイントにワームタイプのルアーを沈めていたコノハ君は、しばらく動かずにいたが、とうとう怒った。


「バカハルっ」

「バカコノハっっ」


 口喧嘩が始まり、変声期前の子供たちの声が森に響く。見かねた俺もリリィレイクさんも仲裁に入るが、なかなか収まらない。

 年長者ロータスさんは別のパーティの問題だからか静観の構え。ひとりっ子の俺も、同じくそうだと言っていたリリィレイクさんも仲裁には慣れておらず、ほとほと困ってしまった。

 そうしていると、輸送中の《碧竜鯉ヘキリュウゴイ》を実体化させて、餌をやっていたミレーさんがおもむろに立ち上がり、近づいてきた。


「コノハ。女の子を大切にできない子にはこう」


 言うや否や、ミレーさんはコノハ君を正面から抱きしめるように密着すると、腕を絡めて首をきゅうっと締め始める。俺たちは呆気に取られた。

 驚いているコノハ君に、首絞めとミレーさんの細い体が襲い掛かっている。


「うみゅみゅ……」

「ミ、ミレー先輩っっ、コノハを離してくださいっっ! むううっっ!」


 コノハ君が別の女子に抱きしめられている。それが面白くないハルハルちゃんは、ミレーさんを引き剥がそうとする。が、なかなか離れない。


「口の悪い女の子もこう」


 言うとミレーさんはコノハ君をあっさり解放した。だが、今度はハルハルちゃんに同じことをし始めた。


「むきゃーーっっ」

「おお、コノハより柔らかい」


 そうして、すっかりヘロヘロになった子供たちがやっと解放される。険悪な空気は、もはやミレーさんの行動に上書きされて、霧散してしまっていた。

 喧嘩していたことを馬鹿らしく思ったのか、子供たちはお互いの釣竿を交換して釣りを再開した。


「すごいね、ミレーさん。あの2人、仲直りしたよ……なんか、アレはあんまりされたくないけど」

「言ってダメなら体に教える。後は勝手に反省してくれる」


 あっさり解決したミレーさんの手腕、というより腕力におののいた。そういえば彼女は中学生の弟がいると言っていたような……。その弟君を俺はとても気の毒に思った。


「ミレーのペタンコには誰も敵わんわけやな」

「セクハラリリィには拳で教える」


 ボクシングポーズのミレーさんから、リリィレイクさんは「ひー」とわざとらしい悲鳴を上げ、距離を取った。

 ロータスさんの笑い声と、俺のため息が同時に起こった。


 * * *


 コノハ君の釣った《碧鱗川のフナ》、ハルハルちゃんの《オオサワガニ【緑】》は、共有ボックスの食材スペースに保管された。

 それら2種は、モンスターではなく一般生物に分類された。モンスターと一般生物の違いは、カーソルが表示されるか否か、襲って来るか否か。生物学的な違いはよく分からない。


 休憩で少しだけ気力を取り戻した俺たちは歩みを再開する。

 日が沈みかかると、向こう岸は影が増え、逆にこちらの岸では西日が横から差すようになった。そのため、むしろ周囲が明るくなった。


 まだ体力が残っているミレーさんが大岩によじ登った。

 ただでさえ背の高い彼女がそんな物に登るものだから、みんな体を反らして仰ぎ見る。そして彼女が指差した。


「あれ」


 見ると、斜面の上に小屋があった。

 猟師か木こりが使うような簡素な木造小屋だ。


 注意深く凝視すると、窓の向こうの誰かと目が合った。

 小屋の扉が突然開く。飛び出してきたのは敵性カーソルの集団だった。



【踏破距離:141キロ】

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