第20話 碧尾街2 宿の夜

 メイン棟の中華レストランで夕食を終え、小籠包しょうろんぽうで小さな口の中を火傷したハルハルちゃんをみんなで気遣いながら戻ってきた。

 コテージの椅子に座ると、俺は再び本を開く。

 年代物のライトノベルは冒険ファンタジー小説だ。読みながら、俺は時折考え事をしてページをめくる手を止める。


 フルダイブVRゲームでは、この本のように、実在する書籍をゲーム中に出現させることも時々ある。

 それは、著作権が切れた作品であったり、宣伝も兼ねて最新の書籍であったりと様々だ。ジャンルも、小説やコミックという娯楽分野から、スポーツやファッション関連まで幅広くある。


 しかし、《時間加速》対応のフルダイブVRとなると、少し状況が変わる。

 登場が規制される書籍ジャンルがあるのだ。


 「教科書・参考書」、「試験問題集」、「資格試験用の教本」がその筆頭だ。


 意外かもしれないが、勉強用の本はことごとくNGである。

 《時間加速》の最大の売りは、ゲーム内時間の長さ。このイベント中でも1年もある。その長い時間を勉強につぎ込んだらどうなるか。

 言わずもがな、その人は受験や試験で相当優位に立てるだろう。

 この問題はメディアで取り上げられ、仕舞いには国会でも議題に上がった。その結果が、ユーザーと非ユーザー間での不公平を生むため「登場不可」。

 俺としては妥当だと思っている。

 ちなみに《時間加速》中は、ゲーム回線以外のネット回線は遮断される。検索エンジンを連動できない不便さがあるが、それも醍醐味と捉えている。




 俺もコノハ君もかさりかさりとページをめくる。そうしていると、入浴していた女性陣3人が脱衣所から出てきた。

 みんなほんのりと上気し、湯気エフェクトが漂っている。

 寝間着姿のリリィレイクさんが、「あんたら、裸になるともや出るんやで」とテーブルに身を乗り出してきた。


「何ですか? 靄?」

「そ。胸と下がな、ちゃーんと隠れるんや。でも感触はあるん」

「なんでそれをわざわざ言うんですか」


 リリィレイクさんは自分が恥ずかしいことを聞かれると嫌なくせに、相手には時々こういうことを言ってくる。俺もコノハ君も反応に困ってしまった。


「ミレーのペタンコも残念ながら隠れとった」

「リリィ、抹殺」


 リリィレイクさんはミレーさんにお尻を叩かれ、「何すんのっ」と笑いながら怒るという器用な真似をした。ハルハルちゃんもキャッキャッと笑った。

 女子たちにテーブルを占拠される気配なので、俺たち男子陣は脱衣所に逃げた。


「うわ、ほんとに靄で隠れた」


 先に装備一切を外し、コノハ君の前で裸になった途端、腰の周りに白く濃い靄が現れた。中を透かして見通すこともできない。

 続いたコノハ君も腰が靄で覆われた。どうやら男子は下だけしか隠れないようだ。


「テントでシャワーしてる時は隠れてなかったから、他の人の目があると隠れるのかもね」


 タオルだけ握って俺たちは浴室の戸を潜った。


 中は広い。白とグレーのタイル張りの床は、女性陣が使ったばかりで濡れていた。

 奥の浴槽に近づくと、コノハ君が物珍しそうに覗き込んだ。

 碧鱗川へきりんがわを透かしたような、美しいみどり色のお湯だ。


「川の水じゃないですよね?」

「さすがに違うと思うよ」


 龍を模した湯口からトクトクと碧のお湯が注がれる。その湯量は、源泉かけ流しの温泉のように豪勢ではないが、これはこれで静かで心が安らぐ。

 俺はささっと髪と体を洗い、お湯に浸かった。

 しばらくぶりの湯船に「ぬあぁ」と声を漏らし、お湯に沈んでも靄が掛かった腰を投げ出した。


「いやあ、これは……生き返るね」

「そんなに気持ちいいですか?」


 丁寧に髪を洗っているコノハ君が聞いてきた。


「疲れた足に染みわたってくるよ」

「そんなにですか」

「女の子たちも結構長湯だったしね」

「うぅん……ハルは烏の行水かもしれないです」


 近所の幼馴染だし、もしかしたら小さい時に一緒に入ったのかもしれない。俺は足を揉み解しながらふと思いつく。


「こんなにいいお湯だと、ミレーさんは浸かったままくーくー寝てそう」

「あははっ、そうだと思います。静かだなって思うと、けっこう寝てます」


 昼寝の多いミレーさんを俺たちは話のネタにしようとして、しかし一瞬で終わった。


「ヒヨコ、コノハ、いくら私でもお風呂では寝ない」

「どあぁああ!?」

「ワァアアア!?」


 開いていた戸からミレーさんが覗いていて、反論してきたからだ。

 俺たちはそろってひっくり返った。


「あっ、ミレー! 姿が見えないと思ったら、なに堂々と覗いてんの!」


 脱衣所からリリィレイクさんの声も聞こえてきた。


「どうせ靄で隠れてる。問題ない。それより問題は、こいつら私の入浴姿――」

「ええから、さっさと戻るの! 2人はごゆっくり~」


 リリィレイクさんがミレーさんを羽交い絞めにして連れていく。だが、リリィレイクさんは去り際ちゃっかりコノハ君の裸体に視線を送っていた。それに俺は気付いた。しかし、コノハ君は気付かなかったようだ。言わぬが花である。


 * * *


 コテージには各自の個室があるのだが、リリィレイクさんの思い付きで、みんなでリビングに寝袋を敷いて寝ることになった。

 明かりを消すと、外からのわずかな光をランプのガラスが弱く反射した。


「この何日かあっという間だったけど、みんなお疲れ様」

「お疲れ様です。初日にリリィレイクさんが弱音を吐いてた時は、どうなることかと思いましたよ」

「あっ、なにバラしてんの! リーダーの威厳が無くなるやん」


 初日にリリィレイクさんを励ましていた身としては、歩きに慣れてきた今の彼女の姿は感慨深い。子供たちもミレーさんも華奢な体でともに歩いてくれて、本当にすごいと思う。


「歩きっぱなしだし、明日はお休みにするわ。各自、自由行動」


 リーダーからそんな休息命令が出ると、暗い室内が束の間賑やかになる。

 ハルハルちゃんは通過した村の釣り大会に出たいと言い出し、リリィレイクさんは服を買いたいらしい。ミレーさんは寝心地の良い寝具探し。コノハ君は陽華京に変化が無いか気になるらしく、探索がてら見て回ると言った。

 俺はこの碧尾街へきびがいの探索がしたい。一人でもできるクエストがあれば、やってしまって資金の足しにしたいと言ったら、みんなから承諾された。


 次の話題は恋愛話になったが、リリィレイクさんが恥ずかしがるものだから、後に続かずすぐに終わった。

 そして、この大陸には他にどんなエリアがあるのかという話題に変わった。こちらは盛り上がった。

 砂漠に湿原、湖、宝石の取れる鉱山……。

 根拠のない妄想に近い想像だったが、楽しかった。


 そうして1人、また1人と寝息に変わっていく。

 最後に残ったリリィレイクさんが、


「前のパーティメイトに会えたら、このパーティを自慢するんや」


と言ったのを、眠りに落ちる直前の俺は聞いた気がした。



【踏破距離:124キロ】

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