第19話 碧尾街1 碧の川
家屋がまばらに建つ村にお邪魔し、いくつかクエストを受けて回ると、俺たちは黄龍河の流れに乗った。
乗せてもらったのは、日本の渓流下りにでも使いそうなやや小ぶりで縦長の舟だ。
「すごい、すごいっっ、緑色の水っっ」
「ハル、見ればわかるって。ああ、落ちるってば」
ただでさえ揺れが大きい手漕ぎ舟だが、ハルハルちゃんが
コノハ君が彼女の服を掴んで、落ちないかと肝を冷やしている。そんな彼らの姿は微笑ましい。
ハルハルちゃんが手を伸ばすのも分かる。ちょうど舟は
あまりに幻想的な色合いなので、リリィレイクさんが寝ているミレーさんを起こした。
「入浴剤みたい」
「なんか、もっといい感想あるやろ――森の色、とか」
「リリィも入浴剤っぽい」
ミレーさんが返すと、2人の漕ぎ手NPCの内、年配男性のほうが「がっはっは」と笑った。その大きな笑い声にみんなの注目が集まると、男が朗々とした声で続けた。
「
男の指の先に、黄龍河へ流れ込む支流がある。その支流、名は碧鱗川を跨ぐように、街が両岸に広がっている。
「おじさん、なんで水の色が碧なん?」
「ありゃあ、
鯉が竜になる? どこかで聞いた話だと思い出そうとしていると、先んじてミレーさんが口を開いた。
「登竜門でもあるの?」
「おっ? 色黒の嬢ちゃん、なんだそりゃ?」
「すごい急流。もしくは滝」
そうだ、ようやく思い出した。たしか中国の故事だ。鯉がその激流を遡ることができれば、竜になれるという関門のことだ。
「おお、滝か。『
男が『碧頭の滝』と口にすると、俺の見ているマップ上で、滝の場所が点滅した。途端、俺は「んん!?」と声を出してしまった。
俺たちが目指す南西の巫女さんの場所と限りなく近いではないか。
「どうした? にいちゃん」
「その滝って、巫女さんがいる場所ですか?」
男の言葉を待つ。また「がっはっは」と笑い声が水面に揺らした。
「滝の周りは
* * *
舟は、碧色の水を辿るように進み、碧鱗川へ入った。両岸は街で、川は高い石積みの堤防に挟まれている。俺たちの舟は、まるで無機質な
見上げると、木造の建物の群れを通り過ぎていく。かなり川面より高い位置に街がある。時折石橋の下を潜った。橋には橋脚がいくつも並び、流れを分けている。
漕ぎ手たちは、他の船を避けながら数分ほど進む。そうして、この舟の係留場所であるという桟橋に着岸した。
俺たちは2人の漕ぎ手に礼を言い、街へ上がる石の階段に向かう。
すると、段の途中で下から声が掛かった。年配の漕ぎ手からだ。
「村長の依頼、お願いしまさあ!」
「はあい。養魚場のサンナンさん? その人に渡しときますね~」
村長から受けたクエストに念を押されると、リリィレイクさんが代表して返事をした。階段を上り切ると、高い
「どうする? なんか催促された気がするんやけど……」
「違うと思いますよ。もう夕暮れですし、時間制限のある
そう言って、西のほうを見ると、家屋の上に山々が見えた。稜線に太陽が迫りつつある。
ミレーさんがマイペースに大きなあくびをする。
「今回は宿が空いてるといい」
「そやな。なんだかんだ言って、ウチら、ちゃんと宿に泊まったことないなあ」
イベント初日の渡船街サンチュアンではどこも満室だった。他にもいくつか村は通ったが、宿自体が無かったり、午前の早い時刻に村に到着したりで、宿には縁がなかった。
数日間の旅に思いを巡らせていると、ハルハルちゃんが元気に言った。
「あたしはナースイの街で泊まりましたっっ」
「あっ! そや、この子、コノハ君とケンカした時に泊まってる。ずるいな!」
「ハルハルから宿代をもらう。スイートに泊まる」
女性陣が騒ぎ出し、最終的にはハルハルちゃんが捕まって、2人に抱きつかれていた。
「コノハ君、とにかく宿探しになりそうだ。君はハルハルちゃんとツインの部屋にする?」
「――ツインっていうと?」
「同じ部屋にベッドが2つ」
「わっ! ヒヨコマメさんっ」
コノハ君をからかったら、彼は顔が真っ赤になっていった。純朴な少年の反応を面白がっていると、彼が恨めしそうな目を向けてきた。
「ヒヨコマメさんはツインだったら、あの2人のどっちと泊まりたいですか?」
「ど、どっち、だって!?」
こ、この少年、リリィレイクさんとミレーさんのどっち、という意味か?
嫌なことを聞いてきたなと思っていると、女性陣に聞こえていたようで寄ってきた。
「なんでそんな話題になっとる? でもウチとミレーのどっちかか~。まっ、大人と子供じゃ勝負にならんな~」
「リリィのイビキを聞いたら、ヒヨコが寝不足になる」
「いやいやいや、そもそもどっちとも泊まりませんからね!?」
「つ、つまり、ハルちゃんがいいって言うんか……!?」
「真正のロリコン。兆候はあった」
「いやいや……勘弁してくださいよ……」
大笑いするハルハルちゃんの隣で、心なしかコノハ君まで目に軽蔑の色を宿しているような気がする。
あのダメな2人組に軽蔑の目を向けたいのはこっちだ。
「リリィ、重大なことに気が付いた」
「なん?」
「私、未成年」
「……うちの不戦勝みたいや」
「おめでとうございます……って、いいから、宿探しますよ」
パーティを包む変な空気に発破を掛け、ようやく『
今回はちゃんと宿が取れた。プレイヤーたちもだいぶ分散してきているのかもしれない。
碧尾街は、陽華京よりは小さいものの、石畳の頑丈そうな街で、店も宿も数も多い。
俺たちが泊まる宿は、寺院のような厳かさの中に華美さも兼ねた構えだった。ここはパーティ専用の宿で、フロントや食事処があるメイン棟があり、その周りに各パーティ用のコテージがいくつも並んでいた。
俺たちは借りた木造コテージに上がり込むと、中央には板張りのリビングがあって、その周りに各自の個室がある作りだった。
調理場の反対側に本棚が置いてあり、50冊ほどの中から1冊取ってみると、かなり古い絵柄のライトノベルらしかった。他も何冊か発行日を見てみたが、どれも著作権の保護期間が過ぎていた。
「ごろーんっっ」
「あっ、ハル、行儀悪いよ。寝転がらないでよ」
床に寝転がったハルハルちゃんに触発されたのか、リリィレイクさんたちもくつろぎ始めた。俺はライトノベルを1冊確保して備え付けの椅子に座った。
歩きの途中の休憩時間とは、気持ちの緩み方が異なっている。しっかりとした屋根と床があるという、文明人たらしめる空間での本当の休息だ。
ハルハルちゃんは床に大の字に手足を投げ出し、ミレーさんはちゃっかり自分の個室を確保したのか、ドアを背もたれにして門番であるかのように座っている。リリィレイクさんは共有ボックスから牛乳を具現化し、火に掛け始めた。
そんな中で、ひとりコテージの設備を
「ここ、お風呂場です。湯船、すごく広いですよ」
風呂。湯船。
彼は、俺たちの旅に欠けていた大きなパズルピースを、みんなに向かって告げた。
【踏破距離:124キロ】
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