第9話 陽華京8 イベント開始

「《泥巻貝ドロマキガイ》って、ヒヨコマメ君と一緒だ」

「そう。私が封印するところをじーーっと見てた」

「え、卑猥ひわいやわ……」


 リリィレイクさんが軽蔑ともとれる嫌な目をこちらに向けてきた。

 なぜ卑猥や!? そう言い返したかったが、カードの持ち主の女子の、いまいち感情のこもっていなさそうな目に気圧され、言葉を飲み込んだ。

 代わりに、


「ち、違いますって――俺が見た時には、封印し終わるとこでしたから!」


と、なんとか反論した。これが俺にとっての真実だ。

 《泥巻貝》を選んだ時、その子のことが思い浮かんだ、などとは当然言わない。


「そう。なら問題ない」

「問題ないんか!」

「問題ない。出てきたスキルも別のもの。いわば《泥巻貝》仲間」


 女子があっさりと言うと、リリィレイクさんのエセ関西魂に火が点いたかツッコミが入った。

 女子はそんなツッコミにもお構いなしに口を開き、続ける。


「そんなことより」

「そんなことより!?」


「ここ、どこ? 迷った。それこそが問題」


 * * *


 女子の名前は「ミレー」さん。高校3年生らしい。

 これは俺たちが無理矢理聞き出したわけではない。ミレーさんが律儀に名乗って、学年まで教えてくれたのだ。

 《時間加速》対応ゲームでは、ほぼ素顔のアバターとなるため、ある程度年齢が分かってしまう。すると、自然に年上か年下か気になってしまうし、相手の年齢で言葉遣いが変わる人も多いだろう。彼女のように教えてくれると、セキュリティ上は問題かもしれないが、互いの立ち位置が分かって一安心だ。


「なんで南の門を目指してたのに、こんなところに来るの? ここ、北東のエリアだよ」

「ほくとう、ほくとう、北東。なるほど」

「本当にわかっとる?」


 リリィレイクさんがミレーさんを見上げて説明するが、どうも反応が薄い気がする。ミレーさんはもしかすると、アレだろうか?


「ミレーさん、失礼かもしれないけど、もしかして方向音痴?」


 俺は、申し訳ないと思いながらも尋ねた。

 ゆっくりと厳かそうにうなずかれた。どうしてそんなに堂々としていられるのだろう?


「よく言われる。自覚もある」

「なんというか……大変そうだね」

「そんなこともない。問題ない。駅伝の選手じゃないから」


 この子の「問題ない」ほど当てにならない言葉があっただろうか。

 リリィレイクさんが、あからさまに残念なものを見る目でミレーさんを見上げている。だが、ミレーさんは動じていない。この子の湖面のような瞳には、波紋すら起きていないように感じる。


 リリィレイクさんが「どうする?」と言いたげな目を俺に向けてきた。放っておくわけにもいかないだろう。


「俺たちも南門からスタートしようと思ってたし、一緒に来る?」

「助かる。ありがとう。ところで……」

「えっ、何?」

「途中でご飯を食べたい。お腹が減った。もちろんおごる」


 * * *


「結局こんな時間になった! 誰のせいがわかっとる?」

「今はたどり着くことが先決」

「あんたに言われたくないわ!」


 城門に沿って俺たちは走る。石畳を蹴りつけるブーツの音が、朱色の家屋に反響する。

 リリィレイクさんは立腹し、ミレーさんの手を引いている。俺は2人を先導するように前に出、時折後ろを気に掛ける。


 現実時間で今は午後7時54分。俺たちは門の所からスタートダッシュを決めるつもりでいたのに、イベント開始まで数分しかない。

 どうしてこうなったか。理由は以降2点だ。


 1点、ミレーさんが体の細さの割に大食らいだった。

 食べ歩きをして思いのほか時間を食ってしまった。育ち盛りだろうか。


 2点、ミレーさんが旅の準備をろくにしていなかった。

 そもそも買い物中に迷ったらしい。それで、やむを得ず俺たちも付き合って、必要そうな物を買って回ることになってしまった。


 憤慨するリリィレイクさんをなだめ、今は、市場のある南西エリア側から南門広場へ向かっている最中だ。


「うぇえ、何だ、この人数」


 大門の屋根が見える頃になり、南門広場を埋め尽くすプレイヤーたちに気付いた。思わず嫌そうな声を上げてしまった。黒山の人だかりと言わんばかりだ。

 そして、俺たちが人だかりの外縁に達したのと同時に、空中に巨大な男性が映し出された。


『「アジェルダ・シルクロード」をご購入、お遊びくださっている皆様、ありがとうございます。本作プロデューサーの高見です』


 「おー」とか「うおー」とか、まるで大物芸能人でも見たかのような歓声が上がった。

 目の前のプレイヤーの数があまりにも多すぎて、俺の視界下半分を埋め尽くすプレイヤーカーソルの三角形が、おそらく一時的だと思うが、消えた。

 空に浮かぶ四角メガネの高見Pは、俺たちプレイヤーと同じ旅装姿だ。しかし、マントのような外套を身に着けているせいで、どこかの軍の参謀のような印象を受ける。


『陽ノ国は私が、ヴィルベット皇国はディレクターの安川が登場しています。なので、向こうのほうが早く話が終わって、先にイベントが始まるかもしれません。その可能性が大です』


 「なんだそりゃー」、「巻けー」などと野次が飛んだ。しかし、高見Pは聞こえていないのか、お構いなしに続ける。


『事前の告知の通り、イベント中は《時間加速》を行い、ゲーム内で365日を上限に、大陸横断イベントが始まります。皆様が目指すのは、遥か西、ヴィルベット皇国の都、ウィーゼルト。

 ご不便をお掛けしましたが、イベント開始とともに、閉められている城門が一斉に開きます』


 そこまで言い切り、彼は長く息を吸った。


『さて皆様、「シルクロード」と言われて、何を思い浮かべるでしょうか?

 中央アジアの荒野、砂漠、中国の万里の長城、インド、中東、トルコなど……いくつもの陸路があれば、実は海路もある。皆様の想像の数だけ、シルクロードのルートはあるのだと思います。

 この作品も、ゴールへ向かうルートは一つではありません。パーティの、プレイヤーの数だけルートはあるのです。近道もあれば回り道もあるでしょう。しかし、ゴールは必ずある。

 道中、困難は山ほどあると思います。しかし、しかし。困難に立ち向かうだけがゴールへの道ではありません。時にはモンスターから逃げ、高すぎる崖は迂回する。そう、知恵と柔軟さで対抗してください。そして何より――冒険心を持って旅を楽しんでください』


 ざわめきは時折起きる。だが、ほとんどみんなが聞き入っている。


『こちらの解析ですと、今現在、陽華宮のアクティブ・プレイヤーは1万4821名、ウィーゼルトは1万5378名です。

 すでに皆様は決断をされ、こちらの国を選びました。そして、四方の門のどれかを選び、こうして集結されています。

 西門に集まった方が全体の43%、南門が21%、北門16%、東門1%弱。まだ集まっていない、決めかねている方が19%。

 どの決断も尊重されます。正解も不正解もありません。


 ――あっ、しまった! 始まった! では、ハバ・ナイス・ジャーニー』


 ぎこちない英語とともに、余韻もなく空の巨像が消えた。軋む音を立てながら南の大門が開き始める。

 

 そういえば、と彼の説明を思い出した。

 彼は、イベント報酬については何も言わなかった気がする。

 時間の都合か、意図してなのか……もし意図してならば、報酬へ血眼になる功名心よりも、彼が言った通り、旅を楽しむ冒険心を優先したいものだ。


 大門が通れるようになると、先頭のプレイヤーたちは我先にと駆け出した。

 予定より少し遅れて、1年に渡るイベントが始まったのだ。



【踏破距離:0キロ】

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