1章 陽ノ国

第6話 陽華京5 宿命

 仮眠から目が覚め、見慣れた自室の壁掛け時計を見ると午後5時になるところだった。夏至を過ぎたばかりの梅雨時の空はかなり暗くなっていて、寝る前と変わらず弱い雨が降っていた。


 イベント開始は日本時間で午後8時ちょうど。終了は早朝4時。計8時間。


 早いが夕食にする。これが差し当たって現実最後の食事だ。こちらの世界で食事ができるのは何カ月後になることか。感慨深く見つめられた惣菜が写真に収まった。


 昨晩、リリィレイクさんとパーティを組んでから、2人で街を散策し、必要になりそうな物を買った。旅の標準装備として、テントや寝袋は『旅装バッグ』にあらかじめ入っていた。そのため、買ったのは食材や水、燃料の類だけだった。

 都の四方にある大門にも行ってみたが、イベント開始まで開門しないようだった。

 お金はまだ7万アジーほど手元にあるが、これは今後のために残すように話し合って、昨日は解散した。


 初の《時間加速》イベントの目的は、アジェルダ大陸の横断。

 期間はゲーム内での365日。

 クリア報酬は横断ルートの命名権。横断に成功した場合、その個人あるいはパーティはそのルートに命名できる。

 しかし真の報酬は、最初に横断者に送られる。次回作タイトルの優先命名権だ。

 これには、ゲーマーたちの功名心を大いに駆り立てた。


 今朝起きて、情報収集のためネットを調べたが、有名実況者やいくつものゲームサークルもこぞって参加するようだ。いくつかの大学登山部や駅伝部までも、有志を集めて参戦するとされていた。次回作が『○○大学駅伝ロード』などというクソダサい名前にはされたくない。


 歯を磨き終え、椅子型端末に座る。ベランダを打つ雨の音が次第に遠ざかっていった。


 * * *


「あれ? リリィレイクさん、もうログインしてる」


 ログインすると陽華京の鍛冶屋通りにある広場で、視界左上のパーティメンバー欄にリリィレイクさんの表示があった。今は午後6時。集合時間は、イベントまで余裕を持っての6時半にしていたはずだ。

 「そちらに向かいますか?」とメッセージを送ると、「そっちに行くから待ってて」と返事があった。マップではそこまで離れていないようだし、10分もかからず来るだろう。


 ゲーム内時間は朝で、辺りを見回すと、何人かのNPCたちが路地へ入っていくのを見た。都の大通りの華やかさとは反対に、この近辺は質実剛健の意匠だ。時代掛かった朱染めの大通りとは違い、こちらは壁や柱が灰色で塗られている。時折、槌音が通りから響いてきた。


 広場の西に目を向けた時だった。

 朝日を正面に浴びながら、3人組が広場へ入ってきた。女性プレイヤー2人に、彼女らを両手に花とばかりに連れた男性プレイヤー1人だ。

 彼の薄い色の髪が朝日を浴びて金色に見える。だが、その男性の顔は煌めく金髪に負けていない。それどころか、なんということだろう。彼は金髪の貴公子といって差支えない爽やかそうな美男子だった。


 リリィレイクさんへの話の種に、大剣を担いだイケメンの名前でも見てやろうと表示を変えた。途端に、


「うえぇえ」


と声を上げてしまった。気付いたイケメンがこちらを向き、俺の格好を見つめ、向こうも指先を動かしてからこちらの頭上を見てきた。彼は驚いた表情で少し仰け反った。


「僕のライバル、ヒヨコマメ君じゃあないか。まさかこんなところで会えるとは。宿命だねぇ」


 わずかな期待を込めたが、同名プレイヤーではなかった。しかしよくも恥ずかしげもなく、ライバルだ、宿命だ、と口にできるものだ。俺がやや顔を引きつらせていると、『トリTキングダムズKウォーW』の敵国プレイヤーは寄ってきた。


「キルマ、『さそり』のキルマか、本物の」

「本物だよ。その様子だと、君も本物の『へび』のヒヨコマメ君のようだね」

「ああ、残念ながら」

「くく、残念なものか。君とまた会えたことが嬉しいよ」


 男同士で話していると、あちらの女性たちも近づいてきて、キルマに説明を求めていた。奴もさることながらこの2人も美人だな。愛嬌の良い可愛い系のリリィレイクさんより、美人度だけならば上かもしれない。


「彼は、僕が前に遊ばせてもらっていたゲームの相手国プレイヤー、ヒヨコマメ君だよ。僕たちの進軍に何度も立ち塞がり、辛酸を舐めさせてくれた実力派さ」

「脚色した説明をどうも。ちなみにそちらの2人は?」

「昨日組ませてもらったパーティメンバーだよ。もっとも、僕は彼女たちの護衛役だけどね」


 キルマが言うと、今の言葉に何か面白い点などあっただろうか、女性2人がくすくす笑った。

 その後、彼女たちも挨拶をしてくれた。頭上の表示の通り、槍使いは水面滴みなもしずくさん、むち使いはワイナリーさんとのことだ。

 キルマは俺と同じくらいに見える。だが、水面滴さんは高校生くらい、ワイナリーさんは20代後半くらいの気がする。イケメンは広く女子から人気を集めやがる。


「さて、君はもうパーティに入っているかい? 入っていなかったら……おや、そのマーク。すでに入っているようだね?」

「俺も昨日組んでね。入っていなかったらどうする気だった?」

「勧誘しようと思ってね。昨日の敵は今日の友。君が入れば、百人力だったよ」


 俺のプレイヤー名の横に★マークがある。昨日気付いたが、パーティを組んでから足された。


「しかし、組めないならばまたライバル同士ということだね。だったら、やることは1つじゃないかい?」

「……まさか決闘しようっていうんじゃないだろうな?」

「察しが早い」

「断ることは?」

「もちろん可能だよ」


 奴の背中の大剣と右太腿のナイフホルダーを見る。大剣とナイフ。奴もTKWと同じ組み合わせだ。

 俺は思案し、一つ忘れていたことに思い当たった。


「キルマ、ステータスアップポイントは振ったか?」

「振ったよ。僕は近……」

「おっと!」


 律儀に振り方を言おうとした奴を右手で制した。


「俺はまだ振ってない。振るのと、俺のパーティメンバーが来るのを、待ってもらってからでもいいか?」


 奴の誘いに乗るのはしゃくだが、闘争心の昂ぶりが肩甲骨あたりから全身に広がっていくのを感じてしまっていた。

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