部屋で。

「なんだかひさしぶりね」

 俊のアパートの部屋に入った沙耶がつぶやいた。

 久しぶり……だろうか。俊にはそんな気はしなかったが、彼女はそう感じたのだろう。

 アパートの近くにあるスーパーでいくつかの惣菜を買ったので、ふたりでそれを食べるつもりだった。戸棚から皿を取り出していた沙耶が手を止めて俊の方を向いた。

「ねぇ、このお皿、捨てちゃってもいいわよね」

 沙耶が手にしていたのは綾が持ち込んだ皿だ。白いそれには片隅に花模様があしらわれており、綾はこの皿を好んで使っていた。

「えぇ、何も捨てなくてもいいじゃん。もったいないし」

 俊がそう答えると、沙耶はくすっと笑った。

「そ、そういうこと言うんだ」

 と答え、皿から手を離した。


-ガシャンッ


 皿は床に落ち、砕け散った。

「な、なにやってんだよ」

「手が滑ったの。悪い?」

「いや、わざとだろ? なんでそんなことするんだよ」

「なんでかしらね。分からない?」

「分かんねぇよ。てか、危ねぇし片付けるぞ」

 破片を拾い集め、細かいものは掃除機で吸い込んだ。

 

 キッチンで、とは言え学生向けアパートのそれは小さく狭い。そこで沙耶は改めて取り出した皿に料理を並べ始めた。

「ずいぶん、変わったのね」

「なにが?」

「キッチン。私がここにいた頃には無かったものが増えてるわ」

 全く意識していなかったので、俊はそれには気づいていなかった。だからといってそれがなんだというのだろう。調理器具が増えれば便利だろうし、なんの問題もないと俊には思える。しかし、沙耶の表情からはそういう意味は汲み取れなかった。


「さ、食べましょ」

 そう言って沙耶はテーブルに食事を並べた。先程までの表情とは打って変わって明るく沙耶は振る舞っている。少し安心した俊も思わず笑みがこぼれた。

 

-元通り。

 

 そう、元に戻っただけだ。昨夜、綾がアパートを訪ねてきたが、それは元通りになるまでの過程にすぎない。もう少しすれば、完全に元に戻るだろう。

 沙耶が座っている席。その背後に綾が昨日忘れていった俊の部屋の合鍵がある。愛らしい熊のぬいぐるみがついたそれ。沙耶に気付かれないように、自身すらも忘れているようなつもりで、俊はそれに目を向けるのをこらえた。

 明日には返さなければならない。綾の実家の鍵もついているからだ。綾のアパートの鍵はそこにはついていないのだろう。ついていたならすぐに連絡がくるはずだと、落ちている鍵に気づいた時に俊は思った。

 思いを巡らせると、つい目がむいてしまいそうになる。俊は気を取り直し、皿の上のポテトサラダに箸をつけた。

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