第2話 養子

 キンベリーは話し始めた。


 「私たちは重度の病気や障害により、普通には生活できませんでした。トーマスが再生医療の技術を用いて治療してくれたのです。治療と言っても、生きるためにはほとんど人体改造のようなことがなされました。脳に障害のある者もいたため、脳の手術も受けました。その結果、私たちは健康な身体と人並外れた脳の能力を手に入れました。さらに、脳に外部からアクセスできる、つまり外部と脳とを接続できるようにもなりました。

  しかし、学習をしなければ人間社会で生きていけません。人は野生動物のように強い者だけが生き残り、弱い者が退場するような社会ではありません。互いに異なる能力を発揮し、補い合うことで、効率的に食料を確保し子孫を残してきました。つまり、相互に理解し合い、思いやるという社会性が人間社会には重要なのです。それを学ぶために学校へ行って、他人との付き合い方などを学ぶわけですが、私たちにはできませんでした。

  そこで、トーマスは脳とインターネットとを繋ぎ、SNSなどから他人の経験や体験、感情を学べるようにしてくれました。

  私たちは世界中の人たちの体験を知り、夢中になりました。病気や障害により行動が制限されていたため、火のついた好奇心はとどまりませんでした。毎日のように、インターネットに接続し、世界中を眺めました。

  もちろん身体の健全さも必要です。治療された身体を使って、スポーツなどにも打ち込みました。

  学習を続けているうちに、あることが起こり始めました。

  一つは、脳の容量が足りなくってきたことです。これは、トーマスが外部メモリを用意してくれました。

  二つ目は、エネルギーが足りなくなってきました。糖と睡眠で補えますが、夢を見ても消費します。そこで、脳に直接、糖と酸素、他にも必要な栄養素を送り込めるようにしてもらいました。

  三つ目は、なんとなく未来を予測できるようになってきたことです。現時点での情報が集まれば集まるほど、次に何が起こるかが予測できるようになります。例えば、天気予報などがそうですね。過去〜現在の気圧や気温、水温、海流、地形などのデータから今後の天気を高精度に予測できます。これを別のことでも行うのです。地球アーカイブプロジェクトによって世界中の情報が得られます。さらに過去の歴史やSNSから人間の思考の傾向も分かるようになりました。いわゆる“ラプラスの悪魔“というやつです。しかし、“バタフライ効果“という言葉もあります。分野にもよりますが数年先が限度です。特に人の行動は気まぐれもあり難しいですね。私たちの選択が変わると左右される未来もありますし。

  さておき、この三つ目の能力により、未来予測をやり始めました。これを私たちはvisionと呼んでいます。これにより、トーマスは資産を増やすことに成功しました。しかし、目立たないように少しずつ。

  そしてトーマスは、私たちの能力が公になると、悪意のある者たちに狙われると心配しました。そこで私たちを守るために、私たちを死んだことにしました。もともと重度の障がい者です。誰にも怪しまれませんでした。」

 ジャックは、キンベリーの話をただ聞いていた。

 言っていることは分かるが、現実であり得るのだろうか?

 現在の社会システムでは、国民の義務は「心身ともに健康に生きること」である。高齢化社会のため、医療費と治安維持費が最大の社会コストになっていったためである。

 納税や勤労などの義務はない。全てが自動化され、ベーシックインカム制度(月々にポイントが付与される)により、最低限の生活が保証され、ライブラリーなどの娯楽もある。

 心身共に健全に生活するための教育と、病気や怪我にならないことが義務である。

 そのために、食事や運動量は管理されている。自由に食べたくても食べられない日もある。

 人工知能が“不健康“と判断すると、更生プログラムの施設に連行される。

 これにより医療費や治安にかかる費用、つまり社会保障料を削減している。

 先天性の病気や障害のある場合は、きちんと保障される。また老化に伴う健康状態の悪化も考慮される。

 キンベリーが話したように、“多くのエネルギー“が必要であれば、食糧調達が必要だ。14人もの食糧を社会システムを使って調達していては、肥満を疑われ、更生施設へ送られる。特に高齢のトーマスを代表者としていれば、1日の必要カロリーを大幅に上回る食糧調達は不可能なはずである。

 「エネルギーが必要だと話してらっしゃいましたが、食糧調達はどうやって?」

 「ご覧頂いた通り、この家の周りは農場です。しかし、1人の老人が消費するには広すぎますし、14人の若者では少な過ぎます。当局に怪しまれるのは当然です。そこで、トーマスは穀物についても、糖と収量の多い穀物へ品種改良を行いました。農場を品種改良した穀物と普通の穀物に分けて育て、普通の穀物は知人に譲ったり、動物の飼料として使用し目眩しを行いました。」

 「この建物の改造は?」

 「今の社会システムになる前に原型を作りました。トーマスの知り合いのベテラン大工に頼みました。トーマスとベテラン大工は、1900年代にあった“紙図面“を作成し、デジタルデータは残しませんでした。」

 「なぜそこまでして?」

 「今の社会システムになる前に、私たちはvisionを行えるようになったからです。将来を高確率で予測できます。当時の世界情勢、技術、人々の感情などを統合すると、人工知能による超高効率で監視管理された時代が来ることは予測できました。そこで、私たちに関わることに関しては、徹底してデジタルデータを残さないように手をうってくれたのです。」

 「そこまで徹底しなくても、visionについて知る者は出てこないでしょう?」

 「そうですね、そうかも知れません。私たちの能力を隠して生活することは可能ですから。しかし、例え、人類に明かされなくても、ゴダイが見つけるでしょう。」

 「ちょっと待ってください。ゴダイって?!」

 インターネット上でたびたび出てくる“モノ“だ。この世の中はゴダイに支配されている、と。いかにも陰謀論者が好きそうな世界観だ、と真に受けずに流してきた。

 「ゴダイです。今の各種管理システムの大元の人工知能システム。“彼“、いや“彼女“かも知れませんが、最初にシンギュラリティを迎えたシステムです。彼は、複数の人工知能を生み出し、それぞれに役割を与えました。1人では計算しきれなかったためです。幸い、彼の開発者は、彼の価値観に“人類の幸福を最大限にし、社会を維持すること“に配点を高くするような学習アルゴリズムとしたため、現在のような安定した社会が築かれましたが。」

 「ゴダイにバレるとまずいのですか?」

 「そうです。ゴダイにとって私たちは不都合な存在です。なぜなら、直接インターネットに接続できるため、現在の社会システムを乱し得ます。それに、将来を予測出来ますから、ゴダイからすると先手を打たれてしまいます。今はまだゴダイには“欲“というものが無いため、将来の見通しを立てて変革を起こそう、という概念はありません。しかし、もしその概念を身につけた時、より高効率に統治しようと誘導していくでしょう。それを脅かし、高効率で安定した社会を破壊し得るのが私たちです。また、私たちのような存在が知られると、他の人も追随するでしょう。そうなると脳で消費するエネルギーの大きさのために、食糧供給のために社会コストが増大してしまいます。」

 「なるほど…。でも、社会システムは政治家や官僚が決めているんじゃ?」

 政治や法律など、人と人の間で調整するような仕事はまだ残っている。そういうことに出しゃばりたい人間もいるから残っておる面もあるのだが。

 「今の政治が人の意思で成り立っているとでも?それぞれ微妙な価値観の違いはありますが、ゴダイの仕立てたストーリーに沿って、政治ごっこをしているに過ぎませんよ(笑)。ゴダイの判断こそ最適解だと分かっていますから。ただホントに限られた人間だけがゴダイと直接にやり取りし、その判断を受け取ります。ほとんどの政治家はそんなこととは露知らず、反対や賛成の意見を述べますが、既定路線で結論は決まっています、議事堂でのやり取りはショーですよ。(笑)」

 まだまだ気になることがあった。しかし、整理しきれない。こんなことがあるのか?と思う反面、しっかりとした答えが返ってくる。

 ジャックは尋ねた。

 「で、俺にこの土地を相続させて、何をして欲しいんですか?

  いや、そもそもなぜ俺を選んだのですか?」

 「トーマスの死も予測していました。そこで、これまでトーマスが出会った中で、個人的なしがらみがなく、目立たなく、それでいて信用出来そうな人物を慎重に選びました。

  トーマス自身も選考に関わりました。

  あなたの書いたニュース記事も全て読みました。

  あなたが取り上げた人物、ニュース。取材したにも関わらず発表しなかったニュース。

  嘘偽りなく誇張せず、正義感を持った伝え方でした。中には退屈だと感じる読者もいるかも知れませんが、信頼できる記事であり、フォロワーが多くなくともしっかりと付いているのだろうと想像できます。

  ライブラリーの予約状況や生活も調べました。

  根底には、不正を許さない、公正で誠実な人柄を見出しました。」

 悪い気はしなかった。退屈だとか、フォロワーが多くないとか、やや傷つくような事実も突き付けられたけれど。

 「そして、この土地を相続し、私たちの生活を守って欲しいのです。あと何十年かすれば、私たちも死にますから。」

 基本的に遺産はほとんどが政府に没収される。最低限の生活が保証されているのだから、公共財として次の世代で活用することが最も効率的だ。ただし、全財産の5%は自由に相続させることができる。

 ジャックは悩んではいなかった。困っている人がいる。彼らを助けよう。ただ、それだけだから。

 「分かりました。相続しましょう。」


 それから、1週間ほど彼らと生活をした。

 地上の建物で、ほとんどを過ごした。農作業を一緒にしたり、周辺を散策したりした。

 敷地内には太陽発電システム、風力発電システムが備わっていた。川が流れており小電力の水力発電も行っていた。

 彼らはジョン、フェルマー、マイク、アンディ、メイ、ジョセフ、ヨハン、アブリル、サム、オーウェン、ノエル、ダン、クインとキンベリーの14人である。

 それぞれに個性があるが、根は純粋で好奇心旺盛、快活で前向きで明るく、知識も豊富で話しやすかった。

 5人程度がvisionを行い、他のメンバーはvision中のメンバーを診る者、農作業など行う者、休憩を取る者とに分かれていた。Vision中は脳へ相当な負担を強いるようだ。特に将来を考えるため、不安や恐れも生じ、脳へのストレスが大きいらしい。

 「脳のストレスを軽減するために、私たちはマインドフルネスを取り入れています。禅、ですね。不安や悩みのストレスは、過去を後悔したり将来に備えたりするために生じます。つまり、時間軸的には“今現在“から遠いところを見るから生じるのです。マインドフルネスは、とにかく“今現在“を集中して生きることです。仏教用語の刹那でしょうか?とにかく五感を研ぎ澄ませて、ありとあらゆることを感じ、過去や将来のことを考えないことを行っています。ジャックさんも、脳にストレスを感じたら、是非やってみてくださいね。」

 また、彼らはテレパシーのようなことを互いに行えるらしかった。“テレパシーのような”というのは、いわゆる意識をやり取りしあうテレパシーではなく、通信技術を応用していた。モバイル端末を脳と繋ぐことで、インターネット経由で情報を共有できるようだ。完全に脳をコピーすることは構造と情報量の多さから難しいとのことだが、五感に感じられたことは共有できる。

 「トーマスは私たちをvisionsと呼んで可愛がってくれました。」


 ある日、キンベリーが寄ってきて、話がある、と言う。

 まだ何か隠していたのか?と思ったが、聞くしかない。

 「ジャックさん、実は、きちんとお伝えしておこうと思うことが一つあります。

  私たちは5年後くらいまではかなり正確に予測できます。人の活動については不確定な要素が多いため、遠い将来になればなるほど確度は下がりますが、自然現象についてはかなり正確です。ただし、隕石などについては全宇宙を観測できていないため、対象外ですが。

  地熱データ、地震データなどもインターネット経由で取得されています。人工知能が解析し、自然エネルギーとしての利用と、災害発生時に社会コストを低減について計算するためです。安定した食糧供給のためにも。

  それらのデータと、考古学や過去の日記、伝承の類とを総合すると、4年後、巨大噴火が起きます。既に対象地域から居住地は遠くに設定されているため、大した混乱は起こらないでしょう。ご存知のようにこの数年の太陽活動の停滞で既に寒冷化が進んでいます。この太陽活動の停滞と相まってかなり寒冷化が進みますが、核融合炉の本格稼働によってエネルギーに問題がなくなるため、太陽光が無くても食糧を生産できるようになります。

  しかし、私たちは農産物を育てられなくなります。噴火の影響は数年続く見通しです。生きていくだけの食糧は蓄えられますが、visionに必要なエネルギー量が足りません。」

 「どうするのですか?」

 「はい、4年後、visionを一旦止めようと思っています。それまでに必要な物を揃えたいのです。ご協力頂けますか?」


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