VISIONs

優陽 智史

第1話 相続

 ジャック・ジョーンズは晩ご飯を済ませた。

 1週間を振り返り、ビールとウィスキーを飲み、ささやかな幸せを感じる。これが彼の週末の楽しみだ。

 “今週もつつがなく過ごすことができた。“

 そう、彼は思った。

 特に1週間を意識するような時代ではないが、昔からの習慣だ。

 家に入り、右手の人差し指を立てクルクルと回した。音楽が流れた。「ホットコーヒー」言うとコーヒーメーカーが作動し始めた。

 ソファにかけ、耳にかけたスマート端末に届いていたメールをチェックする。

 家を出る前に届いていたが、楽しみである晩ご飯を優先して後回しにしていた。

 目の前の空間を右手の人差し指で2回クリックする。

 テーブルにメールが映し出された。

 時折、ビデオ形式のメールもあるが、話すよりもタイピングの方が速く、何度も読み返せるためテキスト形式のメールが主流であった。


依頼主 キンベリー・キーンズ


件名 遺産相続について


本文


 去る2053年1月22日 トーマス・トレス様がお亡くなりになられました。

 遺産相続人としてジャック様のお名前がご遺書にご記載されております。

 1週間以内に下記までご連絡いただきますようお願いいたします。



 Xxx


 ジャックは、悪戯か詐欺を疑った。

 しかし、悪戯や詐欺はありえない。メールの依頼主の情報が確かでなければ、メールを依頼できないからだ。例え迷惑メールであったとしてもディープラーニングによるメール選別機能で弾かれる。

 “まずはトーマスについて調べよう“

 検索すればすぐに見つかる。

 「トーマス・トレスを検索」

 生年月日、住所、顔、、、一時は「個人情報の保護を」という意見もあったが、SNSの普及によりネットワーク上にある程度の情報が載っている。また、地球上のありとあらゆるところにネットワークカメラが繋がれ、8G通信網によって常にリアルタイムでアクセスできる。表情や行動から不審者情報も解析され周辺の住民に通知される。

 もちろん各個人宅内ではプライバシーのためにアクセス権は限定されているが、緊急異常事態には直ぐに通報されるよう、常時内部AIに繋がっている。普段と異なる行動、事態があればAIが判断して通報する。

 まずは顔画像が表示された。

 “うん?この方は?見たことがあるぞ?“

 ジャックは、自分の行動履歴を検索した。

 “ビンゴ。やはり一度話を聞いている“

 世界中を監視できるネットワークのおかげで、キーワードを登録しておくと、人工知能がまとめてニュースを伝えてくれる。しかし、自分の興味のあることしか情報が得られない。それに、結果のみのニュースであり、背景や人物の心情が分からない。そこで、ニュースメーカーの仕事である。一昔前はジャーナリストとも呼ばれたが、人工知能と差別化するために、一部のジャーナリストが、過ぎた偏向表現を行ったり、“表現の自由“を履き違えたインタビュー内容の改変、過激な表現などが目立ち、“ジャーナリスト“と言う肩書は信頼を失ってしまった。そこで、ニュースメーカーが、多くの人が興味を持っている人物、時の人、当事者などにインタビューし、内容をまとめる。インタビューを受ける人、ニュースを受け取る人、双方からニュースメーカーの内容が評価され、評価の高いニュースメーカーほどフォロワーも多い。ジャックは、ニッチながらも確実にフォロワーが付いている地味なニュースメーカーであった。

 15年前、まだ人工知能がシンギュラリティを迎えていない時代、駆け出しのジャックはトーマスにインタビューをしている。

 当時、トーマスは再生医療研究の優れた研究者の1人だった。

 「少子高齢化の時代、少ない子どもを健康に育て、身体が不自由になってきた高齢者の身体を健全化することで、医療費を削減し、人類社会を健やかに成長させなければならない。」

 トーマスは語っていた。

 人工知能の登場により、科学界も目覚ましい進歩を遂げた。なにしろ、世界中かつ過去全ての論文が統合され、現時点での理論はほぼ完成してしまっている。あとはいくつかの論文で矛盾している点や、人工知能自らが発案した新理論などを実証実験により精査して行く段階だ。データの積み重ねには時間がかかるため、現在でも進行中である。 ただ、こうして科学者は絶滅した。

 インタビューと言っても、当時、既にウェブを介したリモートインタビューであり、直接に会ったわけではない。

 とりあえず、当時の映像を検索し、見直し始めた。

 “何を相続させたいのか分からない。もう少し調べてから連絡するかな。“

と、その時、恋人のリンジー・ローズから着信があった。

 「ジャック、今良い?今度、会いましょうよ?」

 リンジーとは付き合い始めて半年になる。一年前に近所のライブラリーで初めて会った。その後も度々目にすることがあった。

 お互い、時間に縛られていない。早速、明日10時にライブラリーで落ち合うことにした。直ぐに翌日9時〜16時までライブラリーを予約した。

 その後、トーマスについてニュースなどを漁った。

 10年程前から養子を取っている。それも病気や怪我で、治療費が無いために貧しい生活をしている子ども達だ。当時、素晴らしいニュースとして話題にもなった。ただ、重病や難病、重度の後遺症のある子ども達ばかりで、亡くなったというニュースもあった。

 しばらくキンベリーも検索をかけたが、同姓同名の人物がたくさんヒットしたた、特定できず、仕方なく寝に入った。


 ライブラリーは、書籍やメディアを借りるわけではない。そう言ったものは、家からネットを介してアクセスでき、自動翻訳により世界中の蔵書にアクセスできる。まして、年々増える紙媒体は、図書館の書庫を埋めるためスペースも必要だし、災害時には汚損するし、敬遠された。全てはデジタルアーカイブ化された。

 ライブラリーで出来ることは、“地球環境再現室(REER)“を借り、世界中の好きな場所へ小旅行をすることだ。

 世界中に設置されたネットワークカメラは、映像だけでなく、音、におい、温度、風など、五感に関わる情報を収集している。8G通信網でリアルタイムに送信された現地情報を事細かに再現し、体感できる。さらには、20年ほど前に始まった“地球アーカイブプロジェクト“により、データを収集以降であれば、過去の好きな時間を体感することもできる。

 各家庭に人工知能とネットワークは配備されたが、これだけの大掛かりな部屋ではコストも高く、スペースも必要となるため、一般家庭への普及は進んでいない。そこで、ライブラリーに建築された。


 9時にジャックはライブラリーに着いた。

 今日は10時からリンジーと春のグランドキャニオントレッキングを行う約束をした。

 予定より早く来たのは、トーマスのことを調べるためだ。

 自動受付端末で予約したREER(008室)の鍵を取り、部屋へ入る。

 トーマスの住所のある街を探索した。

 いたって普通の街だ。住宅と公園とライブラリー。

 インターネット、宅配サービス、ライブラリーなどの公共インフラを効率的に利用できるため、ほとんどの人間は“居住地“と呼ばれる街に集まり生活している。

 農業や畜産、養殖などの食糧生産は自動化されており、郊外に大規模な食料生産施設が建築されている。食品の加工まで行われており、家庭で注文すればドローンにより配送される。

 調理された状態でも注文できるし、料理が趣味であれば、食材としての注文も可能だ。

 “特におかしなところは無いか…“

 しばらくしてリンジーから連絡があった。「今、ライブラリーに着いたわ」

 注文しておいたランチボックスも受け取り、2人でトレッキングを楽しみ始めた。

 リンジーはその日を一緒に過ごし、翌朝、帰って行った。

 ジャックはキンベリーに連絡を入れた。まずはメールだ。


/---

 キンベリーさん


 ジャックです。

 先日、頂いたトーマスさんの遺産相続の件で連絡しました。

 折返し、ご連絡をお待ちしております。


---/


 すぐに折返しのメールの着信があった。 


/---

 ジャック様


 ご連絡いただきありがとうございます。

 相続していただくご意志があるということでよろしいですね?

 遺産の一部をお渡しします。移動手段を手配しますので、おいでください。


 Xxx


---/


 ジャックは焦った。

 “いやいや、話が急過ぎる。どういったものかも分からないのに、相続できるか?“


/---

 キンベリーさん


 少々お待ち下さい。

 こちらは、まだ何を相続するかも分かっていません。

 簡単には相続についての意思を決定できません。

 何を相続するのか教えてください。


 ジャック


---/


/---

 ジャック様


 キンベリーです。

 大変、失礼しました。

 しかし、申し訳ございませんが、メールでは申し上げられません。

 詳細をお伝えしますので、とにかく一度お越し下さい。

 全てこちらで手配致します。


---/


 ここまでいうのであれば何かあるんだろう。

 “しかしなぁ“

 食事は自宅で、遠出もライブラリーで体感できる。

 実際の遠出は久しくしていない。期待感もあるが、不安も大きい。

 “ここまで必死なことには何か理由がある。“

 ジャックは困っている人を見ると手助けせずにはいられないタチだ。

 “自分は狙われるようなことをしてきたわけでも無いし…。えーい、行ってみるか。その後、考えても良い。“


/---

 キンベリーさん


 分かりました。お伺いしましょう。

 どうぞよろしくお願いします。


 ジャック


---/


 3日後、午前4時に個人用の飛行機が来た。

 ベランダから直接乗り込める。

 自動操縦で、目的地まで安全に移動できる。

 結局、目的地は分からず、国内であり、南の方であるため軽装でも良いとだけ伝えられた。

 移動時間は8時間。一眠りすることにした。


 どうやら目的地に着いたようだ。

 飛行機から降りると、確かに温暖だ。

 周りを見渡すと一軒の建物が建っている。隣には農作業用の納屋が並んでいる。建物の周りは農場が広がっている。麦畑か。冬であるため、普段、何が育てられているのか分からないが。

 “居住地“での生活ではなく、郊外で自然と共に生きる生き方を選択する人々もいる。

 狩猟は危険が伴うことと、固有種の絶滅の恐れがあるため、禁止されている。

 それこそライブラリーなどでリアルに体験できる。

 農業や養殖を行うことは自由だ。

 そういった目的のための土地だろう。

 ただ、気になるのは、トーマスのSNSで見た街の様子とは全く異なることだ。


 「建物へお入りください」

 飛行機から音声案内があった。

 手荷物を持ち、建物へ入った。

 建物は意外と大きく、15人くらいが生活出来そうだ。

 しかし、生活感がない。キッチン、バスルーム、ベッドルーム。整理整頓がなされ過ぎている。埃が積もっていないのは、清掃ロボットによるものか?

 テーブルの上にメモと契約書があった。メモには

 “これから見るものは他言しないで下さい。他言しようとした場合は拘束します。“

 完全な脅しだ。ジャックは来たことを後悔し始めた。

 しかし、好奇心を抑えられない。それに退屈な日常に非日常がやってきた。目の前のボタンは押すしかない。押さずに後悔するより、押して反省しよう。

 契約書にサインした。ペンでサインをするのは何年振りだろうか。

 メモの横にディスプレイがあった。

 ディスプレイの画面には、書斎で本を読むトーマスの写真が表示されている。

 ジャックは書斎へ進んだ。

 書斎には今時珍しい紙媒体の本が並んでいる。さすが元生物学者であり、生物学にまつわる本が多い。

 書斎のテーブルにはメモがあり、

 “上から3段目、右から4冊目の本を押し込んで下さい。それから次は1番上の段、左から…“

 メモの最後には「このままこのメモをお持ち下さい。後で回収します。“と記載されていた。

 しかし几帳面な文字だ。最初は印刷かと思うほどだった。インクの感じから、ペンで書かれたことが分かった。

 記載のままにジャックは本を押し込んだ。

 すると、本棚と壁の間、コート掛けの裏に地下に通じる階段が現れた。

 完全に死角である。

 “仕方ない、行くか。“

 “しかし、ここまで徹底してアナログだな…。まるでハッキングか何かを恐れるような。“

 ジャックは、すぐに否定した。量子通信の実用化により、人工知能や政府のアクセスを除いてハッキングされる恐れはなくなっていたためだ。

 階段を降りると、上で入り口が閉じる音がした。

 地下には明るいスペースがあった。

 テーブルがあり、その上には耳掛け端末が置いてあった。

 確かに自分の耳掛け端末は圏外になっている。仕方なく付け替えた。

 「…ジャック様。キンベリーです。隣の部屋へお越し下さい。」

 そこには若い女性が立っていた。少し怯えているがどこかすがるような目でこちらを見ている。

 「この度は遠方よりお越し頂きありがとうございます。私がキンベリーです。」

 なんとも澄んだ不思議な声である。

 「あの…」

 「ご質問はたくさんお有りかと思います。」

 ソファとテーブルが置いてあった。

 ソファに座るよう促された。

 「何かお飲み物はいかがでしょうか?」

 「ホットコーヒーをいただけますか?」

 「分かりました。」

 すぐにホットコーヒーが運ばれてきた。

 「改めましてキンベリーです。」

 「ジャックです。」

 「さっそくですが、遺産相続についてですが、この土地を相続していただくだけです。毎月、管理の謝礼をお振り込みいたします。」

 「それなんですが、あなたにお会いして考えたのですが、あなたが相続すれば良いのでは?」

 「それが出来ないのです。…」

 キンベリーも悩んでいた。

 “本当にこの人に託して良いのだろうか?本当のことを話して信じてもらえるだろうか?“

 しかし、キンベリーにはジャックに依頼する根拠があった。

 “やはり信じよう。“

 「ジャックさん、あなたを信じています。今日会ったばかりでこんなことを言っても不信が募るばかりかも知れませんが。まず私たちについてお話ししましょう。

  私たちは14人で生活をしています。10年程前にトーマスに養子として迎えて頂きました。」

 そういえば、トーマスは孤児を引き取っていた。

 “病気や怪我で育児放棄された子ばかりで、亡くなってもいたような…。そんなに沢山の子を引き取っていたのか?“

 「話だけでは信じてもらえないでしょうから、実際に案内しながら説明します。」

 そう言って立ち上がった。ジャックも立ち上がりついて行くことにした。

 部屋を出て、キンベリーが先を歩く。ジャックが後に続いた。ある部屋の前で止まり、扉の窓から中を覗いた。

 ジャックは目を見張った。

 5人の若者が横になっている。彼らそれぞれの頭には太いケーブルが1本と複数のチューブが繋がっている。よく見ると、目を閉じ、じっとしている。ヘッドホンにより耳が塞がっている。やたらリラックスしているようにも見える。

 「今は彼らがvision中です。」

 「visionって?」

 「はい。私たちがやっていることをお話しします。」


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