第80話 長い髪

 加代さんには恋人がいる。お互い同じ大学に通っており、学部は違うものの、それなりにうまくいっていると思っていた。彼の名前は敏也さん。至って真面目な性格で穏やかでもあり、ふたりで過ごす時間は楽しいものだったそうだ。


 加代さんは実家から通っていたため、下宿している敏也さんのアパートに訪ねにいくことが多かった。小さな部屋で過ごす甘い時間。そんな日常を送っていたという。

 

 ある日のこと。敏也さんの部屋の床に落ちている本を手に取ろうとしたとき、すぐ横に髪の毛が落ちていることに気がついた。ふと気になった加代さんがそれを手に取ると、それは長い髪だった。加代さんのそれより明らかに長い。

 

-浮気だ

 

 加代さんは咄嗟とっさにそう思ったそうだ。それはそうだろう。加代さんはショートカットで、床に長い髪が落ちることなどありえない。カッと頭が熱くなり、その髪を敏也さんに突きつけた。

「これ、なによ。誰の髪なのよ」

「あ……」

 敏也さんの反応は思っていたのと違っていた。焦るのではなく、その表情は恐怖といった方が近いように見えたとのこと。

「……なんなの?」

 更に詰め寄る加代さん。

 敏也さんは「酷い言い訳だと思うかもしれないが」と説明をはじめた。


 1ヶ月前ほどのバイト帰りの夜のこと。長い髪の女に声をかけられたという。

「◯◯駅はどう行ったらいいですか」

 暗い、平板な声。

 どこか不気味さを感じながら、敏也さんは駅への道順を説明したとのこと。

「……ありがとうございます」

 女はそう言って立ち去っていったそうだ。


 その翌日。駅で飛び込み自殺があったことを知ったという。事故が起きたのは大凡おおよそ敏也さんがあの女に会ったあとのこと。おそらくは駅にたどり着いたであろうと思われる時間だった。

 飛び込んだのがその女なのかは分からない。しかし、その夜以来、度々その女が夢に出てくるという。

「ありがと、ありがと」

 と言いながら嫌らしい声で笑う。ボサボサになった髪を掻きむしりながら。

 それから長い髪が床に落ちるようになったそうだ。


 敏也さんの「言い訳」を聞きながら半信半疑だった加代さんだったが、その夜は彼の部屋に泊った。

 翌朝、また夢をみたという彼をなだめつつ、起き上がろうとするとベッドの枕元に長い髪が落ちているのに気が付いた。

 前夜にはなかったように思う。そこで初めて加代さんは敏也さんの話を信じることにしたという。

 

 現象が未だに続いているという彼女に、私は知り合いの霊能者を紹介することにした。加代さんは安堵の笑みを浮かべながら、

「それで『現象』が収まらなかったら、浮気って線もありますよね」

 とつぶやいた。

  

 

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