第17話 四十九日
松尾さんはバスの運転手だ。不規則な勤務だが、この仕事を割りと気に入っている。地方都市の片隅が松尾さんの担当エリアとのこと。
深夜ともなると乗客も減り、最終便だと終点につく頃には乗客がいないこともあるそうだ。
ある日のこと。
松尾さんはある路線の最終便を運転していた。最後の乗客は終点4つ前のバス停で降りた。このあとはもう乗ってくる客もいないだろう。行き交う車も少なく、のんびりとした気分でバスを走らせていた。
――と。
ふいにバスが止まった。エンストだ。
「ちっ」
軽く舌打ちをしてエンジンをかけなおし、出発した。しばらく走ったところで、車内アナウンスが流れた。
――次は○○町です。
そのアナウンスが終わった直後だ。
――ピンポン
下車を知らせるベルが鳴った。
バスには誰もいなかったはずだ。
見落としたのだろうか。
松尾さんは疑問に思いながらバスを走らせ、やがて○○町に着いた。バス停に止まり、ドアを開ける。しかしだれも降りようとする気配はない。
「お降りのお客様、いらっしゃいますか?」
アナウンスで呼びかけるも反応はない。運転席から身を乗り出して客席を眺める。やはり誰もいなかった。
「……なんなんだよ、一体……」
松尾さんは思わず声をもらしたという。
終点で折り返し、営業所へ戻った。先ほどのベルの音が気になって仕方がない。長くバスの運転手をしてきたが、このようなことは初めてだ。誤作動なのかどうか……それにしても気味が悪い。
所内では同僚の杉山がお茶を飲みながら新聞を読んでいた。今日は杉山も別路線の最終便担当だ。
「おう、お疲れ」
ひょいっと手を挙げて杉山が言う。
「あ、ああそっちもお疲れさん」
「どうした? 上の空って感じだが」
杉山が不思議そうな顔をして言った。
「うん……それがな……」
松尾さんは事情を説明した。
「そりゃあまた、気味が悪いね」
杉山はどこか信じてない、といった風で答えた。
「エンストもするしさ……」
とぼやく松尾さん。
「エンスト?」
「ああ、○○町の少し前の交差点近くでね」
「あー……それってもしかして……」
「え? なんだよ、なにかあるのかよ」
「うん、昼勤のやつに聞いたんだけど、今日そこで事故があったらしい。死亡事故だ」
「え?」
「亡くなったのは高校生つったかな。そのせいで大渋滞。今日はバスが遅れまくって苦情の電話が沢山かかってきたそうだ」
「やめてくれよ、そういうの俺、苦手なんだよ」
「じゃ、誤作動ってことで。そう思っておこうぜ」
杉山がにやり、と笑って言った。
それから数日。
他の運転手からも○○町の手前でベルが鳴る、という報告が相次いだという。バスは毎回違うものなので、故障ということはまずない。どうやら杉山が松尾さんの体験を話したらしく、みんな一様に気味悪がった。
例の路線の最終便の運転を渋る運転手も出てきたが、バスを走らせないわけにはいかない。
中にはお守りをもって乗車にあたる運転手もいた。
ベルがなる現象は長く続いた。いつの間にかそれが当たり前になっていき、運転手たちも次第に慣れていったそうだ。
――今日も鳴ったよ
そう言って苦笑いするのが日常になっていた。
ある日のことだ。
始発バス担当になった松尾さんは朝早く営業所に向かった。お茶を飲みながら身支度していると、仮眠室から杉山が出てきた。杉山の家は少し遠く、最終便担当のときは仮眠室で休み、朝を待って家に帰っている。
「おはよう」
あくびをしながら杉山が言った。
「ああ、おはよう」
「ゆうべ例の路線の担当だったんだけどさ」
「あ、ああ」
「ベル、鳴らなかったよ」
「あ……そうなんだ」
「上がった……ってことかね」
「ん? どういうことだ?」
「夕べでちょうど事故から49日だ」
「……49日」
「お前が初めてベルを聞いた日、娘の誕生日だったんだ。だから覚えていてね」
カレンダーを眺めながら杉山が言う。
「ゆうべでちょうど49日。奴さん、成仏したんじゃないか?」
「成仏なぁ……」
思えばこの数週間、事務所ではベルの話題でもちきりだった。霊現象だったのだとしたら、ずいぶんお騒がせな話だ。
それにしてはあっさりと成仏してくれたもんだ、と松尾さんは思った。
「ま、よかったんじゃないか? これで俺たちも気味悪い現象から離れられる」
杉山が言った。
その後、その路線で不審なベルが鳴った、という報告はないそうだ。
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