第13話 スジ
木村浩二さんが大学2年生の頃の話。
祖母の体調があまりよくないと聞き、夏休みを利用して車で祖母の家へ行った。
大きな病気もしたことはないが、80歳と高齢なため、木村さんは随分と気を揉んだという。
しかし、実際に会ってみると顔色も比較的いい。どうしたのかと聞くと、どうやらちょっとした腰痛のようだ。漬物を漬けようと、重石を持ち上げたときにぎっくり、とやってしまったらしい。
腰の痛みでなかなか寝付けず、結果、体調が乱れたようだった。
「なんだ、そんなことか」
安心してため息をつく木村さん。
「そんなこと、ってなによ。おかげで台所に立つのも一苦労なんだよ」
「分かった、分かった。バイトがあるから長くはいれないけど、俺がいる間は飯は俺が作ってやるよ」
「あらあら、あんた料理覚えたのかい」
「バイトで毎日作ってるからな。中華料理なら任せとけ」
滞在予定期間は5日ほど。その間は家事を一手に引き受けることにした。
木村さんが作った八宝菜は、祖母にはすこぶる受けがよかった。
「あんな小さかった子が、いつの間にこんなにねえ……」
祖母が感慨深げににっこりと微笑む。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「あ、俺がでるよ」
そういって木村さんは席を立ち、玄関を開けた。
立っていたのは隣の……そう、確か吉村さん、と記憶を
会ったのは10年くらい前だろうか。
「ああ、浩二くん。久しぶりだねぇ」
「あ、どうも。久しぶりです」
「なんでも浩二くんが来てるって耳にしてね」
――と吉村さん。
ここは小さな村。
夕食の材料の買出しに出かけたときも「木村さんのお孫さんだよねぇ」と何度も声をかけられた。隣の吉村さんが知っていてもなんの不思議もない。
「で、これ。良かったら食べて」
と、吉村さんが皿を差し出した。
なにやら煮物のようだ。
「伸江さん、腰痛なんだって? 気がつかなくてごめんよ。こんなものしかなくて悪いけど二人で食べて」
伸江は祖母の名だ。それはともかくさすがに噂の廻りが早い。
明日の昼食にしよう、と木村さんは喜んでそれを受け取った。
洗い物を済ませ、祖母も眠りについた。
特にやることもなく、テレビもチャンネル数が少ないためつまらない。
木村さんはドライブにでかけることにした。
田舎の平坦な道もつまらない。
近くの山道でも走ろう、そう思って家を出た。
ガソリンスタンドを右に折れると山道への入り口だ。
思うとここまで来た事はこれまで一度もない。
車線も車がすれ違うことができる程度には広い。
他に車も通るようなところではなさそうだが、注意して走らねば。
そう思って車を走らせること15分ほど。前のほうに人影が見えたような気がした。
木村さんは一瞬ぞっとした。夜、人気のない道でありがちな怪談話を連想したからだ。引き返すか、それとも……そう迷っている間に車は人影に近づいた。
どうやら子どものようだ。木村さんの車に向かって手を振っている。
子ども?こんな時間に?
訝しむ木村さんだったが、もう目の前にまで近づいた子どもは、ジャンプしながら大きく手を振っている。男の子だ。小学2年生くらいだろうか。
怪談話のようなことはありえないか、と木村さんは窓を開けて子どもに尋ねた。
「どうした、こんな遅くに」
「虫取りに来ていたら道に迷っちゃって。いつの間にかこんなとこ来ちゃったの」
こどもの目は真っ赤で、寸前まで泣いていた様子がうかがえる。
「どこの子だ?」
「C町2丁目の吉村ってばあちゃんちに遊びにきてるんだ」
C町の吉村? それは隣の吉村さんのことなのではないだろうか。
「あの青い屋根の家の子?」
「そうそう」
こんな時間にこんな年の子どもが迷子になっていたら、村中大騒ぎのはずだ。しかし、木村さんの家にはなんの連絡もなかった。
腰痛の祖母を気遣ってのことだろうか。いや、それにしたって問い合わせくらいは……。
「ねえ、兄ちゃん、もしかして近くの人?」
少年の声に木村さんの思考が止まる。
「あ、ああ、たぶんお隣だと思うんだけど」
「ねね、連れて帰ってよ、お願い!」
どうにも不審な少年だが、ここに置いていくわけにもいかない。
それに、こんな年齢の子どもがいたずらで深夜に他人の家にいくこともないだろう。
この子は吉村さんの孫、それに間違いない。
「わかった、乗りな」
木村さんが後部座席のロックをはずすと、少年は嬉しそうに乗り込んだ。
そのままUターンして村へ戻る。
途中、少年が突然消えたりするんじゃないかとドキドキしたが、そんなことはなかった。
やがて家が近づいてきた。
「ここ! ここだよ、ばあちゃんち!」
やはり隣の吉村さんの家だったようだ。
「次からは気をつけろよー」
「うん! お兄ちゃんありがとう!」
少年は嬉しそうに玄関に向かって走っていった。
その姿を確認し、木村さんは祖母の家に帰宅した。
翌日。
祖母よりはやく起きて朝食の準備をしようと思っていた木村さんだったが、つい寝過ごしてしまった。
慌てて起きると、玄関で祖母が誰かと深刻そうに話をしている。
味噌汁でも作るか、と台所に向かおうとすると、祖母が居間に戻ってきた。
「吉村さん、亡くなったんだって」
「へ? 昨日煮物くれた吉村さん?」
「そうそう。起きてこないもんだから、心配して部屋に行ったら死んでた、って」
「心臓麻痺とかなにか?」
「じいちゃん先生を呼んだらしいんだけど、たぶんそうだろうって」
じいちゃん先生とは、村に1軒だけある病院で、状況によっては時間を問わず電話1本で駆けつけてくれる先生とのこと。
「あの子……がっかりしてるだろうなぁ」
「あの子?」
「いや、昨日さ……」
木村さんは昨夜の話を祖母にした。
話し終えるころには祖母の顔はすっかり固まっていた。
「あんた、それほんとかい?」
「ほんとだよ。俺だってびっくりしたんだけどさ」
「あの家にはね、それくらいの孫はいないんだよ。孫はみんなもう大学生だ」
「え?」
「よく考えてごらんよ、そんな年の子が迷子だと大騒ぎだよ」
「それは俺も思ったんだけどさ……」
「あんた、『連れてきた』ね」
「『連れてきた』?」
「あの山道はね、よくないんだよ。他の地域じゃナメラスジだとか縄筋だとか呼んでるらしいが、この辺じゃ単に『スジ』って呼んでる。悪いものが通る道なんだ」
「まさかぁ……」
「ほんとさね、あの道じゃエンジンが止まるのははしょっちゅう、変なものを見る人も多い。だからこの辺の人らは夜には絶対にあの道は通らない」
「……」
「あんた、その話、絶対人にしてはいけないよ」
そう言って祖母は吉村さんの家へ弔問へ向かった。
帰宅した祖母の話によると、やはりあの少年くらいの年の子どもがいた気配はなかったそうだ。
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