第12話 猫の屏風 その二
桜の大木の前にたたずむ天女。羽衣をまとい、両手をひろげて微笑んでいる。
「やっぱり、そうだ。月島は恋人の美代の絵をひそかに描いて、ここに隠しておいたんだ。宗太郎に見つかれば、自分たちの身も危険だし、それに絵も焼かれると案じたから」
「君、よくわかったなぁ。本柳くん」
「それはまあ」
本人から聞いたのだとは、住職の手前、言えない。
そうこうしているところに、青蘭がやってきた。大しだれを背景に立つさまはリアル天女だ。今にも天にのぼっていきそう。
「剣崎が入院のためにドクターヘリで本州に送られました。僕もいっしょに行きたかったけど、乗せられないって言うから、今から追いかけます。午後のフェリーになら、まにあうでしょ?」
「剣崎さん。入院か」
「本人は大丈夫って言うんだけど、太い静脈が切れてるから、安静にしてないといけないんです」
恋敵とはいえ、それは気の毒だ。青蘭をかばってのケガだし、その点は立派だと思う。ちょっと裏表は激しい性格のようだが。
「そうか。じゃあ、すぐに出発したいよね」
「ええ……」
なのに、わざわざ、龍郎を迎えに来てくれたのか——と感動したのだが、違っていた。
「だから、フェリー代、貸してください」
青蘭がこの上なく屈辱的な顔をしているので、龍郎はふきだした。
「そっか。今、お金がなかったんだっけ」
「……そうですよ。早く、この島から脱出して、大手銀行に行かないと」
「青蘭って免許は持ってるの?」
「ないですよ?」
「じゃあ、身分証は?」
「えっ?」
サアーッと青ざめる青蘭を見るのは二回めだ。
「ないの?」
「ない……かも」
おかしくて可愛くて、なんとも言えない。
「でも、青蘭、国籍アメリカだよね? パスポートは?」
「消えました」
「ああ……」
「財布やクレジットカードや小切手帳といっしょに消えました!」
「わかった。わかった。大丈夫。無一文でも、おれが養ってあげるから」
青蘭には悪いが、しばらく、このままでもいいなと考えてしまう。
「じゃあ、早くフェリーに乗りましょう!」
「ちょっとだけ待って」
本堂にあがってきた青蘭は、龍郎たちの手元を見て、「あれ? この女、さっき石段の下にいた」と言う。
「だよね?」
「うん。男と抱きあってた」
「えッ?」
そんなわけあるはずがない。
これまでずっと、女は誰かを待つようすで……。
「ああッ、そうか! 桜姫と桜彦。桜彦は月島自身がモデルなんだ。美代はずっと、月島の帰りを待っていた」
引き離されていた恋人たち。
別々に保管されていた一対の絵。その絵がようやく長い年月を得てそろった。だから……。
(邪神を倒したから、悪い魔性の支配から解かれた。自由になった二人の霊が、やっと再会できたんだ)
五十年間も恋人の帰還を待ち続けた美代の霊。
その想いにこたえた月島。
悲しいことの多い事件だったが、二人の時を超える愛の強さに救われた気分だ。
龍郎は青蘭をうかがい見た。そっと手を伸ばすと、青蘭も指をからめてくる。わざと顔をそむけているが、正直な心はそこに表れていた。指さきは甘えん坊だ。
やっぱり愛しい。
たまらなく。
「住職。お願いします。この掛軸には月島さんと美代さんの想いがこもっています。これからは二つならべて飾ってくれませんか?」
「承諾しました」
あとのことは住職に任せ、龍郎たちは寺をあとにした。桜並木の石段から、抱きあう男女が見える。幸福そうな笑顔で、女は嬉し涙を浮かべている。遠くにいるのに、透明なしずくまで見てとれた。
やがて一陣の風が吹き、花びらが舞い散る。桜吹雪のなか、霊は消えていった。
「永遠の愛をつらぬいて昇天した。運命の恋人同士は、必ず惹かれあうんだ」
「うん……」
桜の幹に青蘭を押しつけて、キスをした。青蘭は従順にこたえてきたが、するりと頬にこぼれおちるものがある。それは嬉し涙ではない。後悔か、あるいは罪悪感のあふれたもの……。
くちづけのあと、龍郎はじっと青蘭の瞳をのぞきこむ。
「ねえ、青蘭」
「…………」
「おれは君を愛してるよ。君しかいない」
「…………」
「君もだよね?」
「うん……」
「ころあいを見て、剣崎さんには二人で謝ろう。まだ遅くないよ」
「…………」
こっくりと、青蘭は子どもっぽい仕草でうなずく。
「大丈夫。剣崎さんだって大人なんだし、ちゃんとわかってくれるよ」
「僕、ほんとに好きだったんだ。剣崎のこと。嘘じゃないよ。ほんとに……」
泣きぬれて、しがみついてくる。
ほかの男を本気で好きだと嘆く恋人に、龍郎はとても複雑な気持ちだ。
でも、青蘭は今、過去形で語った。無意識にだろうが、それはもう今は違うという意思表示にほかならない。
今の一番は、龍郎なのだと。
(いいよ。君の心をとりもどした。これからはずっといっしょだ)
剣崎には真摯に謝罪して、納得して別れてもらおう。主従関係だから契約を切れば、つながりも絶たれる可能性が高い。青蘭のことは龍郎が守るし、もうボディーガードは必要ない。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
つなぎあった手を、もう二度と離さない。
了
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