第十二話 猫の屏風
第12話 猫の屏風 その一
邪神の姿が消えた瞬間、充満していた悪魔の匂いも晴れた。清々しい空気を感じる。
今度こそ、完全に退魔したのだ。
「やったよ! 青蘭。どうだった?」
くるりとふりかえると、青蘭はトロンとした目で龍郎をながめていた。
「ミカエル……」
「うん。君はアスモデウス」
見つめあうだけで、おたがいの心臓の鼓動を感じる。共鳴している。
一対になるべき者同士だと、血が、肉が、魂が語る。
青蘭の目にうっすらと涙が浮かんできた。自分が間違ってしまったのだと、ハッキリ感じたのだ。運命の人は、剣崎ではなかったと。
青蘭の瞳は今すぐ、龍郎に抱きしめられたいと訴えている。でも、龍郎がかるく両手をひろげると、かすかに首をふった。
(さすがに、それはムリか。今の恋人が大怪我をしてるってのに、その目の前で……)
胸が痛い。
抱きしめたいのに、抱きしめられない。
「さあさあ、君たち、いつまでも見つめあってるんじゃない。ケガ人を運ぼうじゃないか」
穂村の無神経さに救われた。龍郎と青蘭が両側から支え、剣崎を運んだ。
長い道を逆戻りして、浦主家に帰ると、剣崎を病院へつれていった。すぐに手術だ。青蘭は夜どおし、彼についているという。
龍郎は一人で浦主家に帰った。邪神は倒したものの、苦い一夜となった。
翌朝。
不安そうな奥野と山形老人に、真魚華や美嘉が洞窟内の岩盤の崩落にまきこまれて亡くなったと告げた。ほんとのことを言っても信じてはもらえないだろう。海賊の財宝のことも、話をややこしくするだけなので黙っておいた。
「じゃあ、おれたちは今日か明日には帰ります。悪魔の呪いは解けました。これからはなんの心配もありません」
「そうですか……」
主人の真魚華がいなくなって、それどころではないのかもしれない。
「穂村先生はもう島を出るんですか?」
「いや、一回、寺に帰るよ。住職にもあいさつしとかないとな。それに、洞窟のなかで見つけた巻物があっただろう?」
「ありましたね」
「私が持っているより、山瀬くんに保管してもらったほうがいいだろうしね。おそらく、この島に由来したものだ」
というわけで、龍郎も穂村についていくことにした。巻物がなんなのか気になったのだ。
外へ出ると空の色が澄んで心地よい。島にいついていた悪魔がいなくなったせいだ。
「気持ちいい天気ですね」
「うん。スッキリしたものだ」
いい気分で山のふもとまで歩いていったのだが、石段をのぼっている最中、龍郎は気づいた。
「あっ、あの霊。まだいる」
廃墟の井戸端の女だ。おそらく美代なのだろうと思うのだが。
「おやおや。まだいるのかね?」
「はい。どうやら、あの邪神の影響じゃなかったみたいですね」
そんなことを話しながら長い階段をあがっていく。
住職の山瀬はこの日も在宅だった。快く本堂に迎え入れてくれる。
穂村が昨夜の体験を簡潔に述べたのち、リュックをおろして、桐の箱をとりだす。
「これなんだがね」
穂村のひろげた巻物を見て、住職は即座に言った。
「これは、月島秋玲の絵じゃないか」
「ほう。これがか」
龍郎ものぞいてみた。昨夜は暗い洞窟のなかで見たので、細部までは判別できなかったが、あらためて見ると、たしかに月島と雅号が書かれている。
「しだれ桜を描いた屏風の絵師ですよね?」
たずねると、住職はちょっと不思議そうな顔をした。
「そうですが、よくわかりましたね。月島は夭逝したので、ほとんど名前を知られていないのですが」
「夭逝ですか? 美代さんとのことで浦主宗太郎の恨みを買って、島から追放されたんじゃなかったですか?」
山瀬は眉をひそめて、
「表向きはそうなっておりますがね。ほんとのところは灯台の下からつきおとされたって話ですよ」
「そうなんですね」
やはり、あの老人の姿の住職は月島の霊だったのだ。あるいは彼の描いた黒猫の霊。若くして殺された主人のために化けて出たのだろう。
「そう言えば、月島はしだれ桜のほかに、美代さんをモデルにした美人画を描いていたらしいですね?」
山瀬は首をふった。
「聞いたことないですね」
「そうですか……」
それはそうかもしれない。
当時、美代は宗太郎の妻だったはずだ。月島との交際のほうが早かったようだが、美代が結婚してからは二人の間柄はいわゆる不倫だ。それも島の権力者の目を盗んでの関係。他人には知られないよう、絵のことも二人だけの秘密だったと考えられる。
(おれは霊から聞いたんだもんな。霊だから、誰も知らないはずのことを知ってたんだ)
しかし、だとすると、この若い男の掛軸は、誰を描いたのだろうか?
「穂村先生。ちょっと箱を見せてもらっていいですか?」
「かまわんよ」
掛軸の入っていた箱を受けとる。ふたには絵のタイトルとおぼしきものがサラサラと毛筆で書かれている。
「これ、なんて読むんですかね? 桜?」
「これは、桜彦だな。この絵の男の名前だろう」と穂村が答える。
すると、ぽんと住職が両手を打った。
「桜彦? そう言えば、うちにある屏風絵の題名が、桜姫と言ったはずですよ」
「桜姫?」
いや、でもあの屏風には女は描かれていなかった。黒猫が枝にすわっていただけだ。姫と呼べるものなどなかったが。
うーんと、穂村がうなる。
「桜姫、桜彦。まるで対の絵だなぁ」
「やっぱり、そうですよね?」
一対となるはずの絵。
片方には男が描かれていて、もう一方にはいるはずの美女がいない……。
ふと、ひらめいた。
「住職、お願いがあるんですが、いいですか?」
「はい。なんでしょう?」
「その屏風絵を見せてください」
「はあ。どうぞ」
屏風はあいかわらず、本堂のなかにあった。龍郎はその絵の前まで歩いていく。
境内の大しだれを描いた水墨画。やはり、見事だ。素人にも名画だと明確にわかる。
以前、悪魔を倒したときに、絵のなかの黒猫が死んでしまったが、あらためて見ると、どこも変わっていない。ちゃんと目をあけて桜の枝にすわっている。それに、前のときは片目の部分がやぶれていたが、それも直っていた。霊が邪神の影響を受けていたせいに違いない。
龍郎は屏風の背面にまわると、指さきを押しつけるようにしてなぞってみた。思ったとおりだ。かすかにだが凹凸がある。
「住職。この屏風、裏を切ってもいいですか? もしかしたら、桜姫のほんとの意味がわかるかもしれません」
さすがに住職はしぶっていたものの、穂村に説得されて承諾してくれた。住職が持ってきた果物ナイフで、屏風のふちにそって裏紙を切る。
すると、なかから一幅の巻物が出てきた。
「おおッ、これは?」
「桜姫ですよ」
驚く住職の前に、龍郎はその絵をひろげてみせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます