第11話 猫神 その八



 ぶるぶる、ぶるぶると、アメーバのように全身をゆらし、暗闇のなかへ逃げようとする異形。


「しつこいな。僕がやります」


 青蘭が穴をくぐって追いかける。が、龍郎も急いで外へ出て、その肩をつかんだ。イヤな予感が刻々と高まる。


「違う。ヤツは逃げようとしてるんじゃない。修復してるんだ」


 地面に汚らしくひろがっていた流動体が、ふるえながら盛りあがっていく。くだかれた骨をムリヤリにつなぎあわせようとしているのだ。いびつながら、しだいに人の形に近づいていく。


 その無様なかっこうは、手足の折れたマリオネットだ。ガクンと折れた首からは太い骨がむきだしになっている。


 だが、そこからの変化は早かった。みるみるうちに正常な人の形に戻り、さらに進化する。黒髪が金色に変わり、肌の色も白くなる。身長が伸び、グラマラスな西洋人の体形になった。しかし、その顔は猫だ。口が大きく裂け、三口から牙がのぞく。


 女神バステト。

 体は人間、頭部が猫のエジプトの神がいる。龍郎はそれを思いだした。


「悪魔の本体だ」


 これまでのどの形態のときより、強い力を感じる。とても強い。確実に魔王クラスだ。やはり、悪魔の本体はあの宝石だったのだ。


「僕に任せて」


 青蘭はさっきの唄を歌う。

 全身が神秘的な光に包まれる。純白の翼が輝き、退魔の矢が放たれた。


 が——


 悪魔は四つ足になり、猫のようにとびはねて壁にしがみついた。口から黒い瘴気のかたまりを吹きだす。黒い霧のなかで、青蘭の放った光の矢は薄れていった。聖なる光に邪気をあてることで、力を相殺したのだ。


 そのまま、猫神は軽々と青蘭の前に跳躍する。するどいかぎ爪が青蘭を襲う。


「青蘭さま!」


 剣崎がかばうものの、よけきれない。剣崎のものか、青蘭のものか、血のしずくが闇に舞った。


「青蘭! 大丈夫か?」

「僕は、なんとか。でも、剣崎が……」


 剣崎の服が肩から背中にかけて大きく裂けている。かなりの傷だ。あれでは次に襲われたら、よけられない。


 猫神は壁や天井を足場にして、次々に攻撃をくりだしてくる。青蘭はあやういところでさけていた。


 龍郎もただ立ちすくんでいたわけではない。浄化の玉を連続して発射した。が、まったく歯が立たない。猫神の体表にあたると、瘴気の壁が水滴のようにそれを散らす。


(こんなんじゃダメだ。もっと強い攻撃じゃないと)


 龍郎は跳躍する猫神の真下をくぐりぬけ、青蘭の近くまでころがっていく。


「青蘭! 手を!」

「なぜですか?」

「いいから、早く!」


 伸ばした二人の手が重なる。龍郎の右手。青蘭の左手。

 すると、多数の稲妻がいっきに放電する。一つ一つは青蘭の放つ光の矢より小さい。が、数は一千倍だ。威力で言っても百倍のはず。


 二人の頭上に迫っていた邪神は、まともに雷光を食らった。


(これなら、さすがに……)


 いくら魔王でも消滅しただろう。今度こそ光の粒になって——そう思ったのだが。


 雷の雨がやんだとき、龍郎は恐ろしいものを見た。

 邪神がとりすました顔で立っている。さらに姿が変容していた。頭に猫の耳。長い尻尾もある。白いボディスーツをまとう姿は、なんだか宇宙服を着たエイリアンみたいだ。


「まちがいないね。宇宙人だ」と、龍郎の考えを読んだように、穂村が言う。

「忘れたかね? 本柳くん。邪神は外宇宙から来たんだよ。この女神もそうしたものだ。遠い古代、地球に飛来し、エジプトではバステトと呼ばれ崇められた。だが、キリスト教の隆盛により邪神におとしめられたとき、おそらく片目を奪われたのだ」

「じゃあ、あの宝石はもともと邪神の眼だったんですね?」

「それをとりもどすために、持ちぬしを呪っていたのだろう」


 つまり、あの宝石のような眼球を完全に破壊するまで、邪神は消滅しない。


(どうしたらいいんだ? あの雷でも倒せなかった。おれたちの力より、あっちのほうが数段上なんだ)


 青蘭のおもてもこわばっている。自分の力では通用しないことを悟った顔だ。


「青蘭。穂村先生といっしょに逃げろ」

「でも……」

「剣崎さんもこのままじゃ危ない。一刻も早く手当てしないと」

「うん……」


 龍郎にどうにかできる相手ではなかった。それはわかっている。せめて青蘭だけでも逃がしたい。それだけの思いからだ。


 平静をよそおって、青蘭の前に立つ。

 青蘭は剣崎に肩を貸し、掛軸のくぐり穴のほうへあとずさる。


 だが、それを読んだのだろう。邪神の目がカッと光る。片目からレーザービームのような光線が発していた。それが壁にあたると、一瞬で頑丈な岩盤がくずれてしまう。穴がふさがれた。


 これでもう、逃げ場がない。

 あとへはひけないし、前方には邪神がいる。


 どうする? もうダメだ。

 せっかく出会えたのに、ほんとの恋人になる前に、青蘭もろとも死んでしまうのか?


 邪神が楽しむように一歩、また一歩、ゆっくりと近づいてくる。獲物を追いつめる猫の仕草だ。


 もし、青蘭の心をとりもどしたあとだったなら、満足して死ねたのだろうか?

 まだ、死ねない。強くそう思う。


 そのときだ。



 ——龍郎! 私を呼べ!



 あの声が響いた。

 以前にも聞こえた、なつかしい声。頭のなかいっぱいに木霊する。



 ——私を呼べ。龍郎。おまえは私。私はおまえだ。


(ミカエル? ミカエルなのか?)


 ——そう。わが名は……。



「……ミカエル! おれの名はミカエル。神に似た者だ!」


 右手で力が燃えあがる。炎をまとったように熱い。いつのまにか剣をにぎっていた。青い光を帯びた退魔の剣だ。


 邪神は龍郎の力を完全にあなどっている。三口を上端までつりあげ、笑いながら突進してくる。


 龍郎も剣をにぎりしめ、つっこんだ。真っ向勝負だ。どうせ、ここで負ければ全員の命がない。最初から死ぬ気でかかればいい。


 邪神は瘴気を吐きながら、自身を防御している。ナイフのような爪が邪気をふくんで禍々しく脈打つ。


 しかし、龍郎はまったく、ためらわない。薬丸自顕流やくまるじげんりゅうのかまえで疾駆する。


「チェストーッ!」


 退魔の剣の輝きが全身を包むのを感じる。

 邪神の吐く黒い瘴気が真っ二つに裂けた。長い爪も、髪も、邪神の体は端からボロボロくずれる。刀身が邪神の頭部の中心を通った。浄化の光が内部から爆発し、死体でできた体はかき消える。


 最後に残った緑色の眼球が、光のなかでガラス玉のように弾けた。キラキラと輝きながら、龍郎の口中に吸われる。


 邪神を退治したのだ。




 了

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