第11話 猫神 その六
壁にかけられた掛軸が、楕円形にあいた穴を目隠ししていた。
真魚華の部屋の仕掛けと同じだ。浦主家の屋敷と洞窟の境を、掛軸でふさいでいた。あの仕掛けだ。
「ここ、青蘭がつかまってた座敷牢だ。ぐるっとまわって、もとの場所に戻ってきたんだ」
「こっちが近道だったんだな。いやはや」
それにしても、あの宝箱の近くの竪穴以外の場所は、すべて調べつくした。呪いの品物らしきものは、どこにもなかったのだが。
(変だな。どこかにあるはずだ。島じゅうに充満している匂い。ここが発生源だ。この洞窟のなかが)
考えていると、あとから入ってきた青蘭が首をかしげた。
「あれ? この部屋。さっきの座敷牢とは違う」
「えっ?」
「だって、そこの壁がくずれてたから、その道を歩いてきたはずでしょ?」
青蘭が指さす右よこを見ると、岩壁があるだけだ。たしかに、剣崎がとびこんできた穴がない。
「穂村先生。格子を照らしてもらっていいですか?」
「うん。任せなさい」
穂村のヘッドライトが格子を闇に浮きたたせる。前と同じ座敷牢なら、ここにも龍郎が破壊したあとがあるはずだ。それがない。
「ほんとだ。よく似てるけど、別の部屋だ」
「おや、この奥にも部屋があるんじゃないかね?」
穂村が格子に近づいていく。格子のむこうにあたる光が強くなる。畳が敷かれている。調度品は置いてないが、このとなりも座敷だ。
「うん? あれは?」
格子の手前まで移動した穂村が不審の声を出す。龍郎もかけよった。格子の奥に人が立っている。
今度は誰だろうか?
真魚華も死んだし、花影も死んでしまった。浦主家の屋敷から来たのだとしたら、あとは奥野か山形しかいない。
でも、なんだろうか?
二人にしては違和感があった。もっと小柄な感じ。そして、着物を着ている。
「子ども……?」
「こんなところにかね?」
顔が暗くてよく見えない。足元だけが妙にくっきりと浮かびあがっている。白い
心のなかで、もしやこれは……と、ある考えに至る。
龍郎はゆっくりと懐中電灯の光を、白足袋から上へむけていった。
しかし、それにしても、まったく微動もしない。人間なら懐中電灯で照らされれば、まぶしいはず。さけようとするなり手をあげるなりの反応がある。
怪しく思いつつ、光をさらにあげていく。細い肩の上に金色の巻毛がフサフサと波打っている。黒髪を想像していた龍郎は意表をつかれた。日本人ではなかったのか。
思いきって、そのおもてに光をあてる。ブロンドのわけはわかった。西洋人の顔立ちだ。でも、人ではない。人形だ。素焼きの白い肌、青い瞳の美少女の人形。
そのガラスの瞳を見たとたん、龍郎は頭の奥にクラクラする幻惑を感じた。
目の前で大勢の人間がかしずいている。裸に腰布をつけた男たち。黒髪をひとふさずつ編んだ女たち。男も女も目元に濃いアイラインを入れ、なかには黄金細工の豪華な首飾りをさげている者もいる。
なんとなく、現代の景色とは思えない。そこは古い神殿。中庭には澄んだ水を張った池があり、蓮の花が咲いている。妖しい香りが、どこからか、たゆたう……。
だが、とつぜん、幻影はさめた。穂村の声が聞こえたからだ。
「からくり人形だ」
そうだ。間違いない。これこそ、探していた呪いの人形だ。やはり、呪われた品物は、宝石ではなく人形だった。
「青蘭! あれが呪いの正体だ」
手招きすると、青蘭もうなずく。
「ですね。悪臭がプンプンする」
さっさと壊してしまうにかぎる。だが、ここでまたもや物理的な障害に阻まれた。格子だ。ここにも扉らしきものがない。通過するにはさっきと同じ手を使うしかない。
「穂村先生。ノコギリ、お願いします」
「よし。任せたよ」
今回はあっさり任された。もはや社交辞令さえない。太い角材に手渡されたノコギリの歯を入れていたときだ。
キリキリキリ……カカカ、カクン、カクン……。
とつじょ、人形が動きだした。ゼンマイの音をさせながら、足袋をはいた足が、一歩、二歩、前へふみだしてくる。
カカカカカ……キリキリ……。
しだいに人形の歩行が早くなってきた。ゼンマイの音がさらに強まる。まるで人間のようにスムーズに進む。
(からくり仕掛けだから動くことは不思議じゃない。ただの人形? それとも……?)
いや、十中八九、悪魔だ。
この人形は少なくとも何十年も放置されていた。誰もゼンマイを巻くことはなかったのだ。それなのに動いている。
ゴクリと息を呑み、知らぬまにノコギリを使う手も止まる。
カタカタと音を立てながら近づいてきたお姫様人形は、もう手を伸ばせば届きそうな位置だ。
すると、そこで人形は止まった。ゼンマイが切れたようだ。よかった、何もなかった、このあいだに壊してしまおう——そう思ったときだ。
カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ……。
とうとつにゼンマイの音が激しくなる。そして、カタリとお姫様の顔が外れた。まんなかから割れて、クルリとひっくり返る。すると、それはもうお姫様ではなくなっていた。大きな青い瞳の美しい少女が、一瞬で猫のおもてに——
鳴き声をあげ、人形は襲いかかってきた。格子のあいだから、するどい爪でひっかいてくる。
「わッ!」
あわてて、青蘭を畳の上に押し倒しながらよける。
「青蘭。大丈夫?」
「う、うん……」
「本柳くん。私のことも助けてくれないか」
せっかく青蘭と見つめあって、いいところなのに、穂村のせいで現実にひきもどされた。
いや、そんなこと言っている場合じゃない。格子のむこうで、人形の姿がみるみる大きくなっていく。初めは十歳ていどの子どもの身長だったが、今はもうとっくに龍郎を越えていた。見あげるほど大きい。
猫の俊敏さで格子に体あたりすると、人形はこっちの座敷に乗りこんできた。
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