第11話 猫神 その二



「青蘭! 青蘭! 目をさませ!」


 叫ぶが、いっこうに青蘭が目をさますようすはない。

 そのあいだにも、真魚華の舌は青蘭の頬へと伸びていく。


「ヒヒヒ……あたしの……あたしの右目……返せ。あたしの……」


 そんなつぶやきが聞こえる。


(あたしの右目だって? でも、真魚華の目を傷つけたのは、白猫の霊だ)


 真魚華は悪魔化している。意識も記憶も混濁しているのかもしれない。


 助走をつけて格子をけり、へし折ろうとした。それでも、太い角材はビクともしない。


 すると、穂村がリュックをおろして何やらとりだす。

「どきなさい」


 見れば、折りたたみ式のノコギリだ。細身だが、あれなら格子を切断できる。


「お願いします」

「ハッハッハッ」


 ヤキモキしながら、穂村がなれない手つきでノコギリを使うのをながめる。牢のなかでは、真魚華がニンマリ笑って、舌をペロペロさせている。もう青蘭の右目の真上だ。時間がない。


「先生、早く!」

「いやはや。そうは言ってもだね。私は肉体労働向きじゃないんだよ」

「貸してください!」


 穂村の手からノコギリを奪いとって、力いっぱい角材をこする。切れめが入ったところで、その上からけった。バキバキと角材が音を立てる。


 それにしても、まにあわない。


「青蘭! 目をさませッ!」


 赤い舌がヒラヒラしながら青蘭の目元に迫る。

 そのときだ。


「ウラーッ!」


 よこから急に誰かがとびだしてきた。座敷につっこみ、真魚華に体当たりする。

 剣崎だ。真魚華を組み敷いて、押さえこんでいる。いったい、どこから出てきたのかわからないが、これは助かった。


 が、ほっとしたのも、つかのま。

 やはり、剣崎は体力的には超人でも、霊的なものに対しては無力だ。ズルズルと伸びた真魚華の髪が剣崎の首にまきつき、しめつける。剣崎がうめいて、押さえる力が弱まった。このままでは、剣崎がしめおとされてしまう。


 龍郎は無我夢中で格子を切り、体重をかけてけりとばす。ようやく、人間が通れるほどのすきまができた。


 急いで、なかへ入る。が、かけよろうとしたときには、すでに剣崎と真魚華の位置が逆になっていた。剣崎が下になり、真魚華が上から押さえつけているのだ。大の男をかるがると組みしいて、余裕の顔だ。


 龍郎が入ってくるのを見ると、真魚華は立ちあがった。龍郎は瞬時に真魚華の意図に気づいた。

 剣崎をすてて、青蘭をつれさろうとしている。真魚華にとって、剣崎はただのジャマな相手だ。とどめをさすより、青蘭を龍郎に奪われることのほうが重大なのだ。


 それと悟った龍郎は、真魚華のもとへではなく、青蘭の倒れている場所へ走った。真魚華は猫のような跳躍力で、一瞬で数メートルの距離をとび、青蘭のかたわらに立つ。


 が、予期して行動していたぶん、龍郎もほぼ同時に青蘭のもとへたどりついていた。


 真魚華が青蘭の肩に手をかけたとき、龍郎は青蘭の左手をにぎっていた。すると、またが起きた。龍郎の右手。青蘭の左手。羽の生えた十字のような痕のついた手の平を重ねあわせると、座敷のなかすべてを埋めつくす青白い稲妻がスパークする。



 ——龍郎。私を呼べ。



 一瞬、何者かの声が聞こえた。とてもなつかしい……いや、というより、これは自分自身の声?


 しかし、考えているいとまはなかった。

 百万もの雷の雨に打たれ、真魚華は叫び声をあげて燃えつきた。光の粒となり、青蘭と龍郎の口中へ半々ずつ吸われる。


 あっけなかった気もするが、青蘭が無事で安心した。


「青蘭。大丈夫?」


 青蘭の右手を見る。今回は火傷してはいない。どうやら最初の一回だけのようだ。たしかにさきほどの雷鳴のさなかも痛くはなかった。しいて言えば、二人の心臓の共鳴が、あの瞬間だけ強くなった気がする。


(おれの右手と青蘭の左手をつなぐと、あの現象が起こるんだな)


 浄化の光の数百万倍も強力なものだと感覚で理解した。上級悪魔なら一瞬で消しとぶし、魔王クラスでも痛手をこうむるだろう。完全に退魔するほどではないかもしれないが。


「青蘭?」


 ようやく、青蘭が目をさました。宇宙が生まれたときの最初のきらめきを宿した双眸。この美しい瞳が失われなくてよかった。


「ケガはない?」

「うん……」


 青蘭はさっきの二人の共鳴をおぼえているのだろうか?

 二人で真魚華を倒したことを?


「脱衣所で服をぬいでたら、急にうしろから何かに襲われて……」

「それはもう倒したよ。大丈夫」


 やっぱり、二人で呼んだ稲妻のことは気づいていないらしい。


「大丈夫? 立てる?」

「うん」


 素直に龍郎に手をとられて起きあがる。そうこうしているうちに、穂村がやってくる。剣崎も意識をとりもどした。


「剣崎さん。大丈夫ですか?」

「…………」


 剣崎はあきらかに龍郎が呼んだ稲光のことを知っている。忌々しそうに、にらんでくる。何も言わないが内心は口汚く罵っているに違いない。きっと、青蘭の前だから、おとなしくしているだけだ。


 二人が手をつないだままだと気づくと、剣崎は顔をしかめて、龍郎の手をふりはらった。


「青蘭さま。ご無事で何よりです」

「うん。剣崎が助けてくれたの?」

「……ええ、まあ」


 チラリと龍郎を見ながら、剣崎は笑う。手柄をよこどりされてしまった。とは言え、剣崎が身をていして青蘭を助け、時間をかせいでくれたのはたしかだ。龍郎はだまっておいた。

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