第4話 崖を這う猫 その三



 もともと暗闇のなか、照明はついていない。月光も満月ではないので心もとない。おぼつかない視界のなかで、相手の姿を視認することが不可能になった。


(しまった。どこから来る? しかけてくるはずだ)


 ただ耳をすまして気配をさぐることしかできなかった。

 足音がしだいに近づいてくる。龍郎たちを包囲する輪がせばまっている。


「危ない!」


 とつぜん、青蘭が叫んだ。

 背後から襲いかかる悪魔が頭上高くに見える。龍郎の首筋にかみつこうとしていた。ひじょうに近い。よけきれない。


 龍郎は青蘭がまきぞえになることをまっさきに考えた。無意識に青蘭をつきとばす。そのとき、背中にすがりついていた青蘭の手と、龍郎の手がふれあった。龍郎の右手と、青蘭の左手。パシンと落雷のようなショックがあった。一瞬、手が焼けたかと思う。


「イテッ!」


 衝撃で地面にころがる。跳躍していた悪魔は目標を失い、龍郎の体をとびこえた。

 ちょうどそこへ、さっき龍郎の放った浄化の玉が帰ってくる。浄化の玉はターゲットを自動で追尾するのだ。着地した直後でさけきれなかった悪魔が、ギャッと苦痛の声をもらす。どこかに命中したらしい。


 雄叫びをあげながら、悪魔は退散していった。逃げていった方向がおかしい。崖下から来たのに、細長い庭をつっきって、屋敷のなかへかけこんだのだ。


「アイツ、負傷してる。今ならやれる。追いかけよう」

「ええ」


 悪魔がとびこんでいった障子のなかへ入りこむ。が、そこは空き部屋だ。ひじょうに広い座敷。悪魔の姿はもう見えない。


「……血の匂いがする」

「そうですね。あの悪魔のものでしょう」


 龍郎はポケットからスマホを出した。スマホの明かりで床を照らす。畳に転々と黒いシミができている。


「あっちだ」


 血のあとをたどり、廊下へ出ていった。屋敷のかなり奥まったあたりである。左手へ行けば、昼間に行った真魚華の部屋がある。が、今夜はそこは無人だ。真魚華はまだ入院中なのだ。命に別状はないだろうが、いつ帰ってこられるかわからない。


「こっちだな」


 廊下にも血のあとがポツリ、ポツリと残っていた。たどっていくと、中庭をはさんだ回廊のむかい側へ出る。が、そこで血のあとがとだえている。


「消えたな」

「どうするんです?」


 ささやきあっていると、厨房に近いあたりの襖がガラッとあいた。


「どなたですか? お客さま?」


 花影だ。寝ていたのか、長い髪を結ばずに背中に流している。そう言えば、花影は住みこみだった。


「すいません。起こしましたか」

「さっきも誰かが走っていったみたいなんですけど。そのせいで目がさめて」


 おそらく、それが悪魔だ。


「どっちへ行きましたか?」

「むこうのほうです。案内しましょう」


 花影がカーディガンをはおりながらやってくる。三人になった一行は、花影の指さすほうへと歩いていった。そこから奥は廊下がより複雑で、襖ばかり続いているので間取りがわかりにくい。案内してもらわなければ迷っていた。


「このへんだったと思うんですけど」

「あッ! 血だ」


 廊下に血のりがある。キャッと言って、花影は立ちすくんだ。血痕は半分、部屋のなかに消えている。誰かが出入りのときにこぼしたのだろう。


「ここは誰の部屋ですか?」

「あ、あの……」


 たずねるが、花影は青い顔でふるえて答えられない。

 まちがいなく、ここだ。悪魔の匂いがする。このなかに悪魔がいる。


 龍郎は青蘭をながめた。

 青蘭もうなずき返してくる。


 意を決して、襖をあけた。

 凝った古い装飾の調度品が置かれた部屋。十畳の和室だ。畳の上に布団が敷かれている。こんもり盛りあがり、誰かが頭から布団をかぶっているのだとわかった。これが、さきほどの悪魔か。


 龍郎は用心しつつ、室内に入っていった。相手は手負の獣だ。反撃してくるかもしれない。いつでも、とびすさることができるように身がまえながら、布団に手をかけた。

 そして、無言で、はぎとる。その下には男がいた。片目を押さえながら、うめいている。


「あんたが悪魔だったのか!」


 意外なようで、でも、なんとなく納得する。

 この家に対する恨みの深さ。

 真魚華への冷徹な態度。

 何もかも、当然と言えば当然だ。


 男はうなり声をあげる。言葉にはならないのだろう。両手で押さえた目の下から、どす黒い血がとめどなくあふれている。


「覚悟してくれ。下井さん」


 男は下井だ。

 あの崖を這う素早さ。四つ足でとびはねるさま。どれも人間業ではない。悪魔に憑依されているだけの人間とは思えなかった。憎悪が下井を悪魔にしたのだ。文字どおり、邪念に取り憑かれ、存在そのものが悪魔と化したのである。


 龍郎はうなる下井の肩をつかんだ。右手に意識を集中する。その下から煙があがってきた。


 すると、じょじょにその姿が変容する。小太りだった体型が伸びて、やたらに胴長になる。間違いなく、崖下から来た悪魔だ。


 しかし、それで終わりではない。さらに変化していく。龍郎と同じほど高かった身長が、どんどん縮む。小さく、小さくなり、半分ほどになる。それは片目の白猫だった。昼間に退治した猫と似ているものの、あれとも異なる個体だ。尻尾が短い。


「な、なんだ? これ?」

「これが悪魔の真の姿だ」と、青蘭が言う。


 それで納得した。

「美代の猫だ。下井家の猫だから、美代の弟に化けて、主家の恨みをはらしてたんだ」

「美代? 誰ですか?」

「あとで説明するよ」


 龍郎は苦しんでいる白猫の頭に手を置いた。


「もういいんだ。ご主人があの世で待ってる」


 言い聞かせると、白猫は浄化の光のなかで消滅した。今度こそ、美代の猫を祓ったのだ。




 了

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