第五話 猫寺
第5話 猫寺 その一
朝になると、清々しい陽光が障子のむこうからさしこむ。
青蘭の目の前で上級悪魔を滅却して、これでようやく、助手として認められた。
浦主家に取り憑く悪魔も退魔した。あとは真魚華の怪我が治れば、何もかもよくなるはずだ。
「おはようございます。お食事ができています。おとなりの座敷に運びますので、本柳さんもお越しください」
花影に言われて、隣室に移った龍郎はすっかり剣崎の存在を忘れていた自分を呪った。そうだった。まだこの男がいたのだ。すべて解決したわけじゃない。
座敷のなかでは、青蘭が剣崎の胸にもたれて唇をあわせていた。しょうがなく、いったん、あいだの襖をしめる。とは言え、はらわたは煮えくりかえりそうだ。
以前の自分の場所を別の男にとられてしまった。青蘭が甘えて心をゆるしてくるのは、龍郎だけだったのに。
(いつになったら、あの場所に帰れるのかな)
昨夜はずいぶん、二人の距離が縮んだ気がしていた。もうほとんど以前と同じに戻れたのではないかと錯覚するほど。だが、一夜明ければ、このざまだ。
ため息をついていると、襖がむこう側からひらいた。
「お待たせしました。今日から、あなたは正式に僕の助手です。魔王が倒せるなんて豪語してたのは疑問だけど、まあ、上級悪魔を退治できたから、合格とします。僕のサポートくらいはできるでしょう」
お待たせしましたということは、キスシーンを見られた自覚はあるのだろう。
今朝の青蘭は事務的でよそよそしい。昨日の親しさが嘘のようだ。恋人をさしおいて急速に親密になりすぎたことを反省したのかもしれない。
(正式採用されただけで、よしとするしかないか。さきは長いな……)
小さな膳が三脚用意され、魚料理メインの朝食が運ばれていた。黙々と食べていると、青蘭と剣崎が会話を始める。
「青蘭さま。ここでの事件は解決したんですよね? 次はどうされますか?」
「この島のなかにはまだ悪魔の匂いがするから、しばらく滞在していてもいいな」
青蘭の言うとおりだ。
この屋敷のなかから悪魔の匂いは消えたものの、島ぜんたいを覆う気配は、しぶとくしみついている。ほとんど何も変わっていない。以前同様、濃密な瘴気に覆われている。美代の猫よりもっと強力な悪魔がひそんでいるのではないかと思う。
ただ、昨夜、龍郎は退魔の剣を呼びだすことができなかった。あれ以上に強い敵となると、太刀打ちできるかどうかわからない。
(困ったな。青蘭にも事情があるみたいだし、これからずっと守ってあげるとなれば、剣の力がどうしても必要なんだけど)
食事を終えて、物思いにふけっているとき、ふと、龍郎は気づいた。この手の内から以前は自在に剣を出せたのにと、視線をなげると、そこに模様が浮かびあがっていたのだ。
まるで
(なんだ、これ?)
むろんのこと、これまではなかった。
(そう言えば昨日、美代の猫と戦ってるときに、青蘭と手がふれあって……)
雷に打たれたかのような衝撃を思いおこす。おそらく、あのときに焼きつけられたのだ。青蘭が手にロザリオでも持っていたのだろうかと、龍郎は考えた。
「青蘭。昨日の夜、おれと手があたったとき、ビリッと来たよね?」
剣崎とイチャイチャしていた青蘭がふりかえる。
「それが何か? ご飯、食べおわったなら出ていってほしいんですけど」
「手のひらに火傷しなかった?」
「火傷?」
青蘭は自分の左手に目をやる。「あッ」と声をあげるのは、やはり、龍郎と同じことが起こっているからだ。
「何、これ?」
「見せてみて」
近づいてのぞくと、青蘭の手にも、龍郎のとまったく瓜二つの印が浮かびあがっている。
「やっぱりか。あのとき、青蘭、金属製のものをにぎってた?」
「そんなもの持ってません」
「じゃあ、なんでかな」
「そんなことより、これ、どうしたらいいんですか? ちゃんと消えるんでしょうね? 火傷のあとが残ったら、どうしよう」
泣きべそをかいている。なぜ、こんなことになったのか、龍郎にも理解不能だが、申しわけないことをしてしまった。青蘭の真っ白な肌に火傷は不似合いだ。
「じゃあ、おれ、昨日の寺に行ってみようかな。古い伝承話でも聞けるかもしれないし」
島内に悪魔の匂いが残っていることが気になる。寺へ行けば、あの住職から参考になりそうな話を教えてもらえそうな気がした。
青蘭は剣崎相手に、まださわいでいる。島のなかにある病院へ行くようだ。早めに手当てすれば、ケロイドにはならないかもしれない。
病院はどうやら島の中央あたり。港からの三又で言えば、右手にまがる居住区にあるようだ。あわてふためいて出ていく青蘭を見送って、龍郎は寺へむかう。
桜並木の美しい石段をのぼる途中、眼下を見おろしてみた。やはり、くずれた下井家の屋敷の中庭に、あの女が立っている。白い着物の亡霊だ。その風情を見て、なんとなく思った。あの霊、誰かを待っているのではないかと。
しかし、今のところどうしようもないので、龍郎は石段を進む。山門をくぐると、今日もあの住職がしだれ桜の大木のもとに立っていた。
「おはようございます」
「うむ。おはよう」
「またお話を聞かせてもらってもいいですか?」
「かまわんよ」
しかし、なんだろうか?
境内にやけに猫が多い。本堂の床下や縁側、墓石の上や、いたるところに猫がたむろしていた。ほとんど庭が埋めつくされている。
その猫たちがいっせいにふりむいた。龍郎は言い知れぬ不安をおぼえる。猫たちが、すべて片目だったのだ。
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