第二話 猫目の少女
第2話 猫目の少女 その一
悪魔の匂いは独特だ。
腐臭や硫黄のように、人間が生理的に好まない匂いであることはハッキリしている。だが、それがどんな匂いかと言われれば、説明が難しい。ちょっとカビくさいような、古いお香のような、それでいて化学薬品の刺激臭にも似ている。
(なんでだ? あちこちから匂いがするな)
どれか一つにしぼるのが難しい。必然的にもっとも強い匂いにひかれていくことになる。
港から少し歩くと坂道になっていた。坂をあがったところで道が三つに枝わかれしている。右手は多くの住居が建ちならんでいる居住区域。まんなかの道はどうやら神社だか寺だかのある山のほうへ。左手は海岸沿いの崖のようだ。
(うーん。全部、匂いがするけど、こっちが一番強いような?)
龍郎は左手の道を選ぶ。
軽自動車がやっと一台通りそうな細い道が続いていく。両側にコンクリートの塀があり、人家がのぞいていた。
塀がとつぜん切れ、ひらけた場所に来る。灯台だ。島の漁師たちを見守る灯台があった。
「うわ、豪邸だな」
灯台のとなりに大きな屋敷が一軒。広い庭にかこまれ、背景には遠く水平線が見渡せる。母屋のほか離れがあり、それとは別に東屋も建っている。
屋敷は生垣に守られているが、東屋と灯台はむきだしだ。
悪魔の匂いは間違いなく、その屋敷からただよっていた。灯台や東屋からも匂う。これがそれぞれ単独の匂いなら、一つの島に複数の悪魔が根ざしていることになる。
都会には人間の邪念の悪魔化したものがウジャウジャいる。しかし、それらはどれも低級な悪魔だ。この島で感じるのは、もっと強い匂いだ。
「とりあえず、あの屋敷がもっとも強烈かな」
「ふうん。悪くない選択だね。だけど、ぐうぜん、ここにたどりついただけかもしれないから、まだ評価は保留です」
なかなか手厳しい上司だ。信頼を得るのは難しい。
しょうがないので、じっさいに悪魔を滅するところまでやらなければならない。龍郎は屋敷へむかっていった。昔風の古い門の柱に呼び鈴がついている。表札には『浦主』と書かれていた。おそらく、うらぬしと読むのだろう。
呼び鈴を鳴らすと、しばらくしてインターフォンがつながった。
「どなたですか?」
さて困った。なんとなく呼び鈴を鳴らしたはいいが、はたして、なんと言えばいいのか? 「ごめんください。悪霊を退治に来ました」なんていうのは言語道断だ。
龍郎が
「この家には悪魔が取り憑いてる。祓ってやるから、さっさとなかへ入れろ」
言語道断のさらに上を行っていた。これでは門前払いに違いない。五日という期限を切られているのは痛い。期限内に悪魔を退治できなければクビなのに——と龍郎が天をあおいでいると、どうしたことか、門扉がひらかれた。
「どうぞ、お入りくださいませ。旦那さまがお会いになります」
家政婦だろうか。エプロンをつけた若い女が立っていた。化粧もしていないし、髪も無造作にうしろで結んでいるものの、なかなかの美人だ。
しかし、何よりも会ってくれるということに、まず驚く。
「あれで、よく入れてくれるな」
「これほど強い匂いがするんだ。実害あるに決まってるでしょ?」
なるほど。それもそうかと納得する。
前庭はキレイに手入れされた日本庭園だ。庭師が専属でついているか、定期的に業者を呼んでいるかだろう。金には困っていないらしい。建物は古いが、今現在もかなりの収入があるということだ。
前庭の敷石された道を通って、立派な玄関までやってくる。カラカラと引き戸があけられると、
「こちらでお待ちください。今、旦那さまがおいでになられますので」
八畳の座敷に通される。床の間には山百合が飾られていた。掛け軸は彩色のあざやかな観音さま。あるいは名の知られた絵師によるものか。とても美しい。
潮騒が怖いほどよく響いた。海が近い。廊下とは反対側が
さきほどの家政婦が茶を運んできた。そのあとすぐに、ツンと悪魔の匂いが立ちのぼる。足音がして、ガラリと
(あっ……この匂い)
美しい少女だ。
今風の大きな茶色い瞳だが、まとっているのは振袖だ。紅色の地に友禅としぼりで白く桜模様が入っている。ところどころに金糸の縫いが入り、帯は黒。紫色のアゲハ蝶が舞い、ふわふわの茶色い髪を緑色のリボンで、両耳のところだけ三つ編みにしている。
(は、派手だなぁ。今どき、成人式でもないのに振袖を着てる子、初めて見た)
とても豪華な着物だということは、ひとめでわかる。
青蘭が着たら似合うだろうなぁと思い、その姿を想像してしまった。少女に見とれていると勘違いしたのだろう。青蘭の目が冷たい。
(まったく……自分は別の恋人作ってるくせに、おれがほかの女の子にちょっと気がありそうだと妬くんだ)
それにしても、少女はコスプレか何かだろうか?
着物だけなら、特別な行事かとも思うが、片方の目に眼帯をしているのだ。振袖に眼帯という組みあわせは、けっこうなパンチがあった。
男が龍郎たちの向かいにすわり、少女はそのとなりに座した。男は開口一番に言う。
「あんたがたかね? 霊媒師というのは?」
青蘭が黙っているので、龍郎が答える。
「霊媒師というより、エクソシストです。悪魔祓いですね」
「どっちでもかまわん。ほんとに悪霊を退治してくれるのか?」
「おれにできることなら」
「謝礼が欲しいならくれてやる。いくら欲しい」
「いえ。お金はいりません」
「ふうん?」
とたんに、男の目が不審げになった。金がすべてという価値観の持ちぬしに違いない。
龍郎は男を信用させるために言いはなつ。
「悪魔が取り憑いているのは、娘さんのようですね」
そう。匂いは少女から発散している。少女のつける、眼帯の下から。
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