3.暗闘
焦燥
月明かりがおぼろに差し込む部屋には、男女の睦みあう声がとめどなく響いていた。
部屋の床にはそれぞれ十人くらいの男女が裸のまま重なり、跨がり、股間に顔を埋めながら時折高い声を放っては果てるを繰り返している。
「女」は、自分に被い被さっていた男が他の女を求めて離れたのを見届けると、気取られぬようにゆっくりと前へと這い進む。
寝台一つない部屋の奥には簡素な天蓋が吊され、その開かれた間口からはぼんやりとした灯りが漏れている。
更に這い進むと、天蓋の間口からは床に這う女の白い尻が見えた。
その女は天蓋の中に置かれた椅子に座る男の股間に顔を埋めて口で懸命に奉仕している。
椅子の男は痩せているが、身体自体は引き締まった筋肉を纏っていた。
もう少し近寄れば顔が見える――。
更に近寄ろうとした「女」の尻を、背後から見知らぬ男が掴む。
振り返ると、男の腕には二匹の黒い
男が背後から「女」に被さってきた。
まだ前の男との名残りが残る「女」の秘部に、男の誇張したものが分け入ってくる。
男はそのまま腰を振るい始めた。
「女」はそれ以上の前進を諦め、男に尻を掲げる姿勢をとった。
「良ければ声を出せ」
男が腰を突き立てながら命じた。
「女」は床に爪を立てながら、ああっ、と声を上げる。
まるで呼応するように、部屋のあちらこちらから女達の嬌声があがった。
※※※
カルロフは空になった器をカウンターの上に置くと、催促するようにミトンに包まれた右手でカウンターの天板を叩いた。
カウンターの中の太った男が振り返り、カルロフの器に南方産の強い酒を注ぐ。
カルロフはそれを水でも飲むように飲み干した。
ベルラ教会近くの酒場「黒鳥亭」。
悪徳と享楽の園といえど、昼下がりの時間にあっては客はまばらだった。
ベルラに入った翌日から、僧衣を脱いで市井の者と同じような外套を纏った姿になったカルロフがカウンターに一人座っている。
「次だ」
再び器を突き出すカルロフに、カウンターの男が呆れたような表情を見せる。
「またここに居たのですか、カルロフ導師」
その時、背後で凛とした少女の声がする。
カルロフは振り返るとを渋面を浮かべた。
「ふ、今は潜伏の身である。『カルロフ叔父さん』と呼ぶがよい。まあよいわ、ここに座れエラ。おい、我が姪子に何か果実を絞ったものを出してやれ」
カルロフの隣に座るエラにの前に、柑橘類を絞った果汁が入った器が置かれる。
「ご機嫌が麗しくないようで」
澄ました表情のエラをカルロフがジロリと睨む。
「良いわけがなかろうが。ベルラに着いて七日。彼の者の行方は茫として掴めん。何か手がかりを得ようとすれば事ある毎に金をせびられ、与えてみれば詐話を掴まされる有り様だ」
「導師はもっと世慣れした方かと思っていましたが、存外に純真であられたのですね」
「ふん……。我は荒事は得意だが、このようなこまい駆け引きは本来性に合わぬとわかったわ。的が見えさえすれば、な」
「私が何かお手伝いしましょうか?」
「馬鹿を言え。子供の遊びではないぞ。下手をすれば命に関わることだ」
カルロフが憮然とした表情でカウンターに空の器を突き出す。
中にいる太った男が黙って酒を継ぎ足した。
「そんな事を気にしてる暇があったら教典の写経の続きでもせんか」
「本日の分は既に書き終えました」
「むっ……」
カルロフは再び押し黙って器を口に運びはじめた。
エラが小さく嘆息し、勢いをつけて椅子から飛び下りる。
「教会に戻りマルコス導師のお手伝いでもいたします」
カルロフは黙ったまま小さく手を上げる。
背後で「我が叔父上様に祝福を」と声がした。
エラが去り、再び一人で酒をあおるカルロフに近づく人影があった。
がらんとしたカウンターにあって、その人物はカルロフの隣の椅子に座る。
カルロフがちらりと隣を見ると、そこにいたのは腰まで覆う黒いショールを羽織った女だった。
年の頃は二十半ばくらいに見える。
艶やかな黒髪を垂らし、微かに異邦の民の趣がある目鼻立ちをした美しい女だった。
「お隣よろしいかしら」
「好きなようにされるがよい」
女はカウンターの男に葡萄酒を頼み、カルロフに微笑みかける。
「我とどこかでお目にかかったことがおありか?」
「いいえ、私と会うのは初めてのはずですわ」
女が運ばれてきた器を手にして小さく掲げる。
「随分と可愛らしいお弟子がいらっしゃるのね、カルロフ導師」
女の言葉に一瞬にしてカルロフの身体から刺すような圧力が膨れ上がった。
獰猛な灰色熊のような眼が女の挙動を見据える。
「まぁこわい。戯れをお許しくださいませ。私は導師の敵ではございませんわ」
女は笑みを崩さないまま、首もとを覆ったショールを指で僅かに下げた。
その下には緋色に染まった胴衣に太陽を象った紋様があった。
「……おぬしも教会の者か」
「はい、そして導師と同じく『火と楔』に身を置くものですわ」
「なに!? ではおぬしも?」
「ええ、彼の者を追っております」
ショールを戻して、女が葡萄酒の入った器を口に含んだ。
※※※
女は自らをアンヌと名乗った。
同じ「火と楔の導師会」に属しているといっても、導師の間に知己があるわけではない。
過去に同じ任に就いた者であれば何人かは知ってもいるが、むしろ存在すら知らない者のほうが遥かに多い。アンヌもそのような一人だと思われた。
「それでアンヌ、おぬしはここで何を?」
「はい、私は三月ほど前から先んじてベルラに潜入しておりました。教会の計らいで、表向きはベルラに大店を構える毛皮商の主の姪ということになっております。物見遊山に叔父の下を訪れた放蕩娘として様々な場所に出入りし、クリストフに繋がる手掛かりを探っておりました」
「そうであったか。それで、何か掴んだのか」
「はい、ただまだ確証を得るにはいたっておりませんが……」
アンヌは周囲を窺うと、仲むつまじい男女がするようにカルロフに身を寄せた。
そのままカルロフの耳元で囁く。
「近頃ベルラの裏の界隈で、ある信仰集団が根を張ろうとしています。信仰といえば聞こえがいいですが、その実は邪淫の集団です」
「邪淫とな?」
「ええ、その集団の中心人物は言葉巧みに婦女をたぶらかしては自らの愛娼に組み入れ肉欲に奉仕させております。ただ、どうやら婦女だけではなく男も配下に引き入れ、集団の拡大を図っているように思われます」
「先ほどの邪淫というのはいったい――」
「邪淫の頭目は『教主』と称し、地上の快楽こそが至上であるとし、快楽を積み重ねることで、やがて来る死後に楽園への道が開かれると説いているようです」
「ふんっ、好き放題に『気持ちの良いこと』をしていれば最後は楽園に至るなど都合のいい話があるものか。本当ならば我が改宗しておるわ」
「カルロフ導師?」
「戯れだ。本気にするな」
「……ただ、このような街にあってはその教えに惹かれる者も少なからずいるようです。いえ、中には信じてはいなくても、『修練会』だけが目的の者も多いかと」
「修練会とは?」
「それこそが邪淫の主たる活動です。それは毎回場所を変え、五日と置かずに開かれている修行の会ですが、行っていることは男と女をそれぞれ十数人ずつ集めて誰彼なく交わらせる乱倫の場です」
「なんと。我等が女神様が聞いたら腰を抜かしそうな話であるな」
「まさしくその通りです。私を修練会へと誘ったのは酒場で知り合ったベルラの中級役人でした。邪淫側もむやみな発覚を警戒してか、新参の者が多い修練には主な幹部や教主は姿を現しませんでした。私も六度目にして、初めて幹部と教主のいる場へと参加出来たのです」
「おぬし、六度もそのような場にか!?」
「はい。それが私の任でございますので」
アンヌが事も無げにくすりと笑う。
「しかしながら前回はあとわずかなところで教主の姿を見ることが敵いませんでした。そのため私は今少し間諜を続けるつもりでおります」
「ふむ。それで、我にその事を伝えに来たのは何故か」
「実は、私とは別の線でカルロフ導師に探って頂きたいことがございます。修練会に居た邪淫の幹部の一人に、腕に黒い二匹の蠍の刺青がある男がおりました。調べたところではその男、ベルラの暗黒街に巣くうならず者一味の長のようです。私の身はいつ何が起きるともわかりませんので、カルロフ導師にそちらをお願いしたく参上した次第です」
カルロフの顔に歓喜の笑みが浮かんでいた。
右手をアンヌの肩に回し引き寄せる。
「おぬし、よい女だな。互いに任の途中でなければ間違いを引き起こしたいほどにな」
「カルロフ導師……」
「頭を巡らすことに倦んでいたところよ。その願い引き受けた。この銀鱗の篭手、存分に働いてみせよう」
手にした器の酒を一息に飲み干すと、カルロフは野太い笑みを浮かべて立ち上がった。
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