悪徳と享楽の園④


「ほら、これでいいかしら。服が辛気臭いけど、見違えるようだわ」


 シェリルが緋の教会の修道女が身に付ける胴衣を纏ったエラをカルロフの前に立たせる。

 シェリルに書き写させた紋様を眺めていたカルロフが顔を上げた。

「ほう。確かに、あと五年もすれば良き娘御むすめごになるであろう」

 そこには、銀色の柔らかな髪の下に白い肌と青く大きな瞳を湛えた美しい少女が立っていた。

「ベルラの教会に残っていたあり合わせゆえ、少し大きいようだがすぐに馴染むであろう」

「はい、カルロフ導師。……それで、私の背中からその紙に書き写したものはいったい何なのですか」

「む。これは、だな……」

 カルロフが一瞬言葉を濁す。

「おお、そう言えばシェリル、先ほど頼んでおいたことはいかがした?」

「ちゃんと話はつけてあるわよ」

「かたじけない。エラ、そろそろ腹が減ったであろう。下の酒場で先に食べているがよい。我はシェリルと相談することがあるのでな」

「お嬢ちゃん、酒場に行ったらカウンターにいるボブという太った男に声をかけるのよ。他の誰から声をかけられても付いていってはダメ。カウンターにいる間はボブが目を配ってくれるわ」

 エラは不服そうにカルロフを見つめたが、「わかりました」と言い残し湯屋から出て行った。


「あの子、何者なの?」

「わからぬ。我の思い違いということもあり得るしな。それより、今度は我の世話を頼もうぞ」

「はいはい。じゃあ僧侶様をお清めしましょ。聞くだけ野暮だけど、確か『姦淫を厳に慎み、不義を犯すことなかれ』が教えじゃなかった?」

 カルロフの身体を湯で流しながら、シェリルが悪戯ぽく笑う。

「まさしくその通り。だが、我が女神様は姦淫とは愛無き行為だとも言われておる。つまり、次の刻の鐘が鳴るまではそなたを心から愛すればよいだけのこと。それとも、そなた亭主がおるのか?」

「いるわけないでしよ」

「我も同じだ。ならばそこに何か支障があろうか」

 シェリルが耐えかねたように吹き出した。

「はぁ、食えない僧侶様ね」

「うむ、我は破戒の常習であるからな」

「罰当たり、ね」

 シェリルの柔らかく白い腕が絡みついてきた。


 ※※※


「随分とすっきりした様子だな」


 マルコスが素焼きの器を口に運んで、カルロフを一瞥する。

「浴場で湯浴ゆあみも済みましたので」

 カルロフも器の中身を飲み干して、台の上に置く。

湯浴ゆあみ、な」


 深夜のベルラ教会。

 カルロフとマルコスはランタンの薄暗い灯りの下で膝をつき合わすように椅子に掛けている。二人の間には木箱が置かれ、その上には素焼きのボトルと器が置かれていた。

 ボトルは「古くなった葡萄の果汁」だと言ってマルコスが奧から出してきたものだ。

 エラは既に上階の部屋で眠っている。


「マルコス導師は、我が任についてどこまでご存知か」

「ほぼ何も。密命ゆえ到着した当人から直接聞けとしか書簡には書かれてなかったのでな」

「なれば最初からお話しいたしましょう」

 カルロフが器にを注ぎ足して語り始めた。


 オルレア地方に隣接するクリミール地方の南方地域を収める国アステア。

 その王都サマナには「緋の教会」クリミール教区を統括するサマナ教会があった。

 その支部の一つを預かるクリストフという導師がいた。

 クリストフは物腰柔らかく弁舌爽やかで信徒からも人望が厚かった。

 その言葉、眼差しには聴衆を引き込む不思議な力があったともいう。

 しかし、その力は悪しき方向に使われることになった。

 クリストフは言葉巧みに次々と婦女を籠絡しては、己の欲望の道具としてその身を汚していったのである。

 その毒牙の矛先は信徒や街の妻女に止まらず修道女にも向けられていたという。

 悪行は、ある貴族の妻と娘にまで及んだところで教会の知るところとなった。

 サマナ教会では直ちに調査を開始し、クリストフの捕縛に向かった。

 しかしそれを察知したクリストフは一足先に遁走したうえに、支部に保管されていた教会の宝物の一つを略奪するという暴挙に出た。

 後日、クリストフには「異端認定」の審判が下り、同時に教会はこの稀に見る汚点を秘密裏に処理する事を決定したのだった。


「そこでクリストフを処断し、合わせて宝物の奪還を果たすために我が遣わされました」

 話し終えたカルロフが素焼きの器を口に含む。

「待て、異端の排撃ということは、そなたは……」

「はい、オルレア教区司祭付き導師代行というのは表向きのものでございます。我は教王陛下直下の『火とくさびの導師会』に身を置く者――」

「なんと!? ではそなたも噂に聞く『福音の者』か?」

しかり」


「火と楔の導師会」は、緋の教会において神敵および異端者の排撃を行う一団であった。

 楔は敵を磔にし、火は焚刑に処すことを表している。

 所属する者は全員が「福音の者」と呼ばれる人智を超えた異能を身に帯びた者達であると言われているが、その全貌を知る者は教会内でも限られた高位の者のみである。


「数ヶ月ほど前に、クリストフがベルラに向かったという極秘の報がもたらされました。その後の足取りは掴めてはおりませぬが、あのような輩が隠れ住むにはこのベルラが打ってつけでありましょう」

「確かにな。だがどうやって捜す」

「それが悩みどころでございまして。今回の任は人の目耳に触れぬようにと人数を絞っております。果たしてどこから手をつければよいものか……。されどあの輩のこと、いつまでも大人しくは出来ますまい。奴めが潜みそうなをさらい続ければ、いつかはたどり着きましょう」

「わかった。わしには荒事は無理だが、そなたがここにいる間は出来る限り助力しよう」

「痛み入りまする。……ところで、実は今回の任とは別に一つ気になることがございまして」

「なに、まだあるか?」

「はい、これをご覧いただきたく」

 カルロフが懐から紙片を取り出し木箱の台に広げた。

 それを見るマルコスが驚嘆の声を上げる。

「これは……まさか『聖女の刻印』か!?」

「マルコス導師もそう思われますか。我もそう考えた次第です」

 カルロフが広げたのは、湯屋で書き留めたエラの背中の文様の写しだった。

「いったいこれをどこで見た?」

「はい、エラの背の肩口にありました」

「なんと、エラの背に? ううむ、あれは教会に何か深い関わりがあるものだとは思ってはいたが……」

「ただ、我にはこの紋様の真贋は判じかねます」

「わしもだ。『聖女の刻印』は偽造されぬよう正確な紋様を知る者は高位の方々のみであるからな。わしらのような導師風情が知るのはだけだ」

「はい。然るにこのこの件――」

「わかった。オルレアの教区長様にご判断願おう。明日にでも書をしたためる」

「はい、何卒よしなに」


 聖女の刻印。

 それは緋の教会にとって特別な意味を持つものである。

 緋の教会は教王を頂点とした強固な組織を形成している。

 しかし、それらとは一線を画す者として「聖女」と呼ばれる女性が存在していた。

 聖女は主たる女神の地上における奇跡の代行者とされている。

 実質の権限は有していないが、教会を象徴する存在として対外的に広く知られた存在であった。

 聖女は十二から十四歳までの少女から選ばれ、十八歳を迎えると還俗する。

 世襲ではなく、身体に「聖女の刻印」と呼ばれる紋様を持つ少女が選ばれる。

 しかし、次の聖女を捜す時期が訪れると各地に刻印を持つ少女が何人も現れるのが通例であった。欲にかられた者達が、刻印を偽装した少女を作り出すからだ。

 正確な刻印は教会の中枢だけが知ることであり、偽装は殆ど意味をなさないが、それでも聖女の刻印を持つ少女の存在は後を絶たない。

 エラが教会の所作や口上を身につけていたのが、ものだったとすれば辻褄は合わなくはない。


(いずれにせよ、我は与えられた任を果たすのみよ)


 カルロフは空になった器を弄びながら、まだ見ぬ標的に思いを馳せていた。

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