悪徳と享楽の園③

 大河に囲まれて豊富に取水が可能なベルラには大小十数カ所の公衆浴場が存在している。

 魔道の火で焚かれた湯は各浴場まで石樋で配水されており、それぞれの浴場は店主の趣向によりで営まれていた。


「それでは緋の僧侶様、こちらの湯屋でお待ちください。じきにお付きの者が伺います」

「ふむ、心得た」


 案内をした小男が恭しくお辞儀をして部屋を出ていく。


「ここは……?」


 エラが戸惑った表情で室内を見回す。

 そこは、階下の大浴場とは別に個別に湯が引かれた部屋が並ぶ場所だった。

 部屋は数人も入れば手狭になる程度の広さで、湯が流れ落ちる樋に、籐で編み込まれた寝台と椅子以外には家具らしいものは見あたらなかった。


「ここはな、金のある者、貴族など、人目を忍びたい者のために用意された湯屋だ。もっともここはぐらいが使うところで、奥にはさらに豪奢なものがあるらしいがな」

「……カルロフ導師はどうしてそんなお金を持っているの?」

「ふはは。実はな、今回の任では結構な路銀を頂戴しているのだ。おっと、マルコス導師には内密にな」


 カルロフが品があるとは言えない表情で笑う。


「さて、それではとっとと用意を始めるとするか」


 おもむろにカルロフが着ていた胴衣を脱ぎ籠に放り込む。

 続けて長靴、下衣を脱ぐと両手のミトンを除いて素裸になった。

 エラは息をのんだ。

 カルロフは上背は並の男と同じくらいだが、胸板と腕の筋肉が異様に発達し、腹から脚にかけても太い筋肉が鎧のように全身を覆っている。

 その姿はまるで太古の戦神を象った塑像のようだった。

 そのまま、股間のものを隠す素振りもなくカルロフは寝台にどっかりと腰を下ろす。


「カルロフ導師、あの、いったい何を……」

「どうもこうもあるまい。これから湯を浴びるのだぞ。服を着たままでどうする。そら、エラも早く脱ぐのだ」

「えっ……」


 エラがこわばった表情を浮かべ服の胸元を押さえた。


「ん? ああ、思い違いをするでない。我は平たい胸と尻には興味はないゆえ」

「ひ、平たいって――」

「早くせぬと人が来てしまうではないか、早くせい!」

「でも……」

「脱がんか!」


 カルロフの剣幕に気圧され、エラが服に手をかけた。

 ぎこちない手際で脱いだものを籠の中に入れていく。

 やがて、まだ女としての成長が始まりかけたばかりの華奢な身体を精一杯手で覆いながら、カルロフに距離を取るように壁際に立った。


 その時、湯屋の扉が開き妖艶な空気を纏った女が顔をだした。


「あらぁ、僧侶さまと子供? ねぇ、これってどういう趣向なの?」


 身体が透けて見えるような薄絹だけを身に付けた肉付きのいい女が湯屋の中に入ってくる。


「むむ、そなたも思い違いをするでないぞ。は我だけだ。ただ、ゆえ、あの娘を洗い流してやってはくれまいか。我の手は生身の相手は触れられぬのでな」


 カルロフがミトンを外した。


「カルロフ導師――その手は!?」


 カルロフの両手は指先から肘にかけて無数の銀色の鱗のようなもので覆われ、まるで篭手を装着しているように見えた。鋭角に尖った鱗と指先は一つ一つが刃のような光を放っている。


「まぁ少しばかり訳ありでな。いろいろと不便もあるが、これのおかげで糊口をしのげてもいる」

「竜の血の呪い――」


 女が呟いた。


「ん? 知っておるのか」

「まあね、食べた食事の数より男の身体を見てるのよ。大丈夫よ、アタシはそんなの気にしないわ。それじゃ僧侶さまは後ね。お嬢ちゃん、綺麗にしてあげるからその木の椅子に座って。あ、アタシはシェリルよ、よろしくね」


 シェリルは薄絹をさらりと脱いでエラの後に回ると、手桶で湯をかけながら香草とオリーブ油を混ぜた石鹸を身体に馴染ませる。

 手持ち無沙汰になったカルロフは両手を頭上に投げ出し寝台に寝転がった。


「あらあら、随分汚れてるわね。お嬢ちゃん、女はね、常に綺麗にして自分を磨いておかなきゃダメよ。いい男が現れた時に逃がさないようにね」

「おい、その娘は我が女神に仕える修道女となるのだぞ。余計なことを吹き込むでない」

「そうなの? もったいないわね、絶対美人になるのに――あら」

「どうした?」

「この子の肩のところ、最初は痣かと思ったんだけど、自然に出来たとは思えないような……刺青? これは、太陽かしら……」


 シェリルの言葉にカルロフが寝台から飛び起きる。


「今、何と言った!?」

「ちょっと、驚かせないでよ。この子の肩に太陽みたいな模様が――きゃっ!」


 シェリルが言い終わるのを待たずにカルロフが二人に向かって突進してくる。


「カ、カルロフ導師!」

「動くなっ。誤って傷つけたくはない」


 カルロフが銀鱗の鋭い指先でエラの髪をよけて肩口を食い入るように見つめる。

 そこには太陽を象ったような紋様と、古代語と思われる文字が刻まれていた。


「……シェリル。すまぬが紙と書くものを用意してくれぬか。そして、この紋様を出来るだけ正しく模写してくれ。我の手は細かい作業が叶わぬのでな」

「ええ!? アタシ字も書けないのに」

「このような文字、我も知らぬ。ただなぞってくれればよい」


 シェリルは嘆息すると、薄絹を纏い直して湯屋を出て行った。


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