悪徳と享楽の園②
東の城門を抜けると堅牢な石造りの建物に囲まれた小さな広場に出た。
衛兵や荷馬車を停めた商人の姿が見られるが、人影は多くはなかった。
「ふむ、悪徳と享楽の園などと言うから如何なる混沌の光景が広がっているかと思ったが、存外普通ではないか」
正面には、市街地の中心に向かう幅の広い通りが続いているのが見える。
カルロフは通りに向かって歩き始めた。
しばらく歩くと通りの両側に露店が並び始め、急激に人の往来が増えてきた。
肉に魚、野菜を売る露店がひしめく通りを、カルロフとエラは人波に紛れて歩いていく。
カルロフは手元の羊皮紙に時折視線を落とし、エラははぐれないようにカルロフの外套の端を掴んでいる。
しばらく進んだところで、カルロフが細い路地へと進路を変えた。
両側を密集した中層の建物に挟まれた路地は、昼間にもかかわらず薄暗く湿った空気が滞留していた。
走り回る子供の身なりから、下層の市民が住む一帯であることがうかがわれた。
「はて、大陸に
左右を見回しながらひとりごちたカルロフが足を止める。
カルロフ達の前方には、路地を塞ぐように四人の若い男が立っていた。
それぞれが短剣や棍棒を手にしている。
「おい、坊主。お前ら外から来ただろう。命が惜しけりゃ金と護符を出しな」
男達の一人が短剣をぶらつかせながら恫喝した。
カルロフとエラが顔を見合わせる。
「見よ、言った通りであろう」
「はい」
「おい、聞いてるのかよっ」
一人の男が短剣を振りかざして大股で近づいてくる。
カルロフがエラの前へ出た。
「ああ、すまぬ。なにぶん街に不慣れでな」
「そんなこと知るか! さっさと――」
言葉の途中で弾かれたように男が後ろにのけぞった。
「ガハッ」
何の素振りも見せずに跳ね上げたカルロフの前蹴りが男の腹を捉えていた。
地面に落ちた短剣を端に蹴り飛ばし、そのまま男を跨いだカルロフが残りの男達へ無造作に歩を進める。
「テメェッ」
二人目の男が棍棒を振り上げてカルロフめがけて振り下ろした。
カルロフは事も無げに左手のミトンでそれを受けると、右の拳を近距離から棍棒の男のみぞおちに叩き込む。
男は背中を丸めた姿勢のまま、自らの口からこぼれた吐瀉物の上に頭から崩れ落ちた。
「さて、少し身体が暖まってきた。次は臓腑や骨ぐらいは潰せると思うが、如何するか」
カルロフが口角を上げると、残りの二人は短い悲鳴を上げて逃走していった。
見届けたカルロフがエラの所へ戻ってくる。
「さっそく『悪徳』の洗礼を受けてしまったな。早く『享楽』のほうにもお目にかかりたいものよ」
「……カルロフ導師、楽しそう」
「何を言うか人聞きの悪い。そんなことは、ないぞ」
その後、カルロフ達は入り組んだ路地を何度か行きつ戻りつして、ようやく一軒の建物の前にたどり着いた。
開け放たれた木戸の横には、太陽をかたどった紋様のリレーフがぶら下がっている。
中を覗くと、十人も入れば一杯になりそうな部屋の奥に小さな祭壇が設置され、その前に置かれた椅子には緋色のローブを纏い、でっぷりとした腹に頭が禿げ上がった初老の男が座ったまま居眠りをしていた。
カルロフが木戸を拳で叩いて鳴らす。
何度か鳴らしたところでようやく男が目を覚ました。
「我が兄弟に祝福を」
カルロフの声に男が慌てて立ち上がる。
「むっ、ああ、我が兄弟に祝福を。……これは珍しい、このような場所を同胞が訪ねるとは。わしは当ベルラ教会を預かるマルコスと申す」
禿げ上がった初老の男はそう名乗ると柔和な笑みを浮かべた。
「我はオルレア教区司祭付き導師代行のカルロフと申します」
マルコスは笑みを浮かべたまま一瞬眉をピクリと動かした。
「ほう、それではそなたが教区長からの書簡に書かれていた者か」
「御意」
「ふむ、それで……そなたの陰に隠れているその汚れた子供は?」
「ああ、これは道中成り行きで拾った娘です。身寄りがないゆえ教会にて保護をお願いしたく連れて参りました。素性は当人が言わぬためわかりませんが、正式な修道女にも劣らぬほどの素養がございます。エラ、ご挨拶を」
カルロフに促され、エラがマルコスの前に歩み出る。
「導師様に祝福を。……エラと申します。どうかお見知りおきを」
マルコスが腰を屈めてエラの頭を撫でた。
「エラか。確かに良く出来た子じゃ。心配せずともよいぞ。そなたのことは教会で面倒みよう」
マルコスはカルロフに向き直るとスッと表情を戻した。
「さて、それではこれからどうする、カルロフ。わしはそなたの密命については仔細を聞かされておらん」
そうですな、と思案する仕草をしたカルロフが答える。
「それについては夜にでも。まずは浴場の場所を教えて頂きたい。我も長旅で垢にまみれておりますし、エラを洗わぬとこの臭いがいつまでも取れませぬ」
マルコスが鼻を動かしながらエラを見た。
「なるほど……確かにな」
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