第43話「キミはなかった事にして欲しい、忘れて欲しいと希うけれど」

あのデートから何もないまま二週間が過ぎ去った。


あれ程毎日のように送られて来た限竜からのメッセージや電話はパッタリと途絶えた。

まるで自然消滅を狙っているかのように。



「何なの、アイツは……」



お互い仕事が忙しいのはわかっている。

あの夜、勝手に帰ってしまった自分も悪かったとも思う。

だがこうも放置されては腹も立つ。



「何で出ないかなぁ…。あぁ、私が何であんなヤツなんかの為にイライラしてるのよ」



スマホで呼び出しても通話は繋がらず、メッセージにも既読すらつかない。



「完全にナメられてるわ……ああっ、腹立つ」



さらさは唇を噛み締めると、何かを決意するように立ち上がった。




         ☆☆☆




「新曲、緊張したね〜。ダンスな気を取られて歌詞飛んじゃうか心配だったもん」



その日はテレビ局の開局20周年を祝した音楽番組がライブで放映された。

トロピカルエースも今回は陽菜の主演映画の主題歌である新曲を初披露という事でプレッシャーも高かった。


特にエナはソロパートが多かったのでかなり緊張していた。



「大丈夫。よく動けてたよ。歌もブレがなかったし」



さらさもリーダーとして、嬉しそうにエナを労った。



「あ、道明寺さんだ」



その時、トロピカルエースの後からすれ違ったでステージへ上がったのは、藍色の和装を纏った限竜だった。

みなみがそれを目ざとく見つける。


さらさは弾かれたように反応すると、黙ってステージの方を見た。


司会者と笑顔でトークを交わす限竜は、にこやかな笑顔で対応している。



「何かさ、道明寺さん顔色悪いよね」



「え?」



隣でステージを一緒に見ていたみなみがポツリと呟く。



「足元もフラフラしてるし顔、真っ青じゃん。大丈夫なのかな」



「…そういわれてみるとそうね」



みなみに言われて初めて彼の変化に気づいたさらさは怒りでそれすら見えなくなっていた自分を密かに恥じた。


確かにみなみの言う通り、どことなく限竜の顔色が冴えない。


だが、歌唱になると人が変わったように伸びやかで力強い歌を聴かせる。

演歌の事はさらさにはよくわからないが、とても上手いと思った。


やがて自分たちの出番は終わり、残すはエンディングのみとなったメンバーたちは少し休憩を挟む事になった。



「はー、喉乾いた。ジュース飲んでこよ」



「ハイハイ!私もー♡」



エナとみなみは元気に楽屋を飛び出していった。



「はぁ。元気ね。あの子ら。あれ、森さんも出るの?」



額に浮いた汗を拭い、ぐったり椅子に座った怜はちょうど楽屋を出ようとしたさらさに声をかける。



「ええ…ちょっとね」



「はぁ…いってらっしゃい。私はちょっと寝ようかな。流石に朝から歌ってたら疲れるわ」



怜はそのまま椅子に身を横たえる。

相当疲れているようだ。

陽菜の方は映画の番宣でまだステージにいる。



さらさは怜を起こさないようゆっくり楽屋を出ると、目的の楽屋を探し出す。



「どうもー蓜島さん」



「あぁ、森ちゃん。どうしたの?」



突き当たりの楽屋からちょうど見知った顔を見つけたさらさはすぐに駆け寄った。

彼は限竜のマネージャーだ。



「道明寺さん今いる?」



「限竜?うん。いるけど今ちょっと熱上がっちゃってるから中で休んでるよ」



「え、どっか悪いんですか?」



すると蓜島は少し困ったような顔をした。



「悪いっていうのもね。全部精神的なものだから」



「精神的…?」



すると蓜島は声を顰めて囁く。



「あまり外には言わないで欲しいんだけど、医師からはパニック障害だって言われててね。最近は特に調子が良くないんだ。それでも仕事をしたがるからさ。こっちも困ってるんだよ」


「パニック障害……」



「中に入ってもいいけど、調子は良くないからあまり刺激しないでやってくれる?」



「あ、はい…」



意外な事を聞いてしまったさらさは、足早に去っていく蓜島を見送った後、迷ったが楽屋に足を踏み入れた。



「道明寺さん、失礼します」



扉を開けるが、彼の姿は見当たらない。



「あれ、いないの?」



狭い室内を見渡すと、その隅に丸くなっている固まりが視界に入った。



「道明寺さん?大丈……」



そこにはブランケットにくるまり、苦しそうに息を漏らす限竜が横たわっていた。

床には何か錠剤のような白いものがいくつも散らばっている。

さらさはすぐに駆け寄った。


意識はないのか唇は血が滲むくらい噛み締められ、閉じられた瞼には涙が浮かんでいた。

抱き起こすと、思いの外軽く、手に触れた肩のラインの薄さにゾッとした。

近くで見ると随分痩せている。



「………あ」



不意に限竜の瞼が持ち上がり、焦点の合わない瞳が覗いた。



「気が付いた。辛いの?大丈夫?」



「………て」



限竜が何か言ったような気がして、さらさは耳を彼の口元へ近づける。



「どうしたの?」



しかしそれきり限竜は何も言わず、しばらくの間、焦点の定まらない瞳は虚空を見つめたまま、さらさの膝の上で脆弱な息を漏らしていた。



        ☆☆☆




「少しは落ち着いた?」



それからしばらくの間、さらさはどうしていいのかわからなくて、ただ膝の上でぼんやりする限竜を見ていたが、ようやくその瞳に光が戻ってきた。



「…ええ。まぁ。それよりどうしてここに?」



限竜はのそりと起き上がる。



「あんたが連絡一つも寄越さないからに決まってるでしょ。おまけにあんな顔色でステージに上がってるし」



「…別にあれが普通だし」



「何がよ。あれのどこが普通よ。それにあんな苦しそうにしてたら誰だって心配するでしょ?」



限竜はさらさと顔を合わせようともしない。

それに極端にさらさとの会話を避けている。

これでは最初のデートの時と逆だ。


さらさは床に散らばっている錠剤を拾い上げて限竜の眼前に突きつける。



「これ、何錠飲んだの?」



「……覚えてない」



「バカなの?」



その錠剤には見覚えがあった。怜が精神を病んでいた時に飲んでいた安定剤だ。

飲みすぎると身体がフラつき、意識が保てなくなるのをさらさは怜を通して知っていた。



「もう帰ってくれない?」



限竜が搾り出すようにそう言ってきた。

明らかな拒絶だ。

この憔悴、一体何があったのだろうか。



「どうやら最初にあんたが言ってた生活が荒れてるって本当の事だったみたいね。今日、あんたの家に行くから。いいわね」



「え、本気?」



限竜は力無く顔を上げる。

痩けた頬がやけに痛々しい。



「本気よ。それからそこのお弁当、手付かずみたいだけどご飯ちゃんと食べてるの?」



「………」



限竜は首を振った。



「何で食べないの?」



「……食べても吐いちゃうから」



「…っつ!」



さらさは限竜の頬に手を伸ばす。



「じゃあ夜は眠れてる?」



再び首を振る。



「もしかして眠れないの?」



「わからない。眠り方がわからない」



さらさは辛そうに細い背中に手を回した。



「ねぇ、何があったの?あんなに元気だったじゃない」




「……身体がね、生きる事を拒否してるんだと思う」



またポツリと限竜が呟く。



「え?」



「俺の事は忘れてくれない?なかった事にしてよ」



さらさはその瞬間、限竜の頬を思い切り叩いていた。



「甘えるんじゃないわよ。いい加減にしなさい!「紘太」」



「………」



限竜は打たれた頬に手を当て、ぼんやりとさらさを見上げていた。




 





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