第17話「真夏の鍋奉行」
その日の東京は日中の最高気温が35℃を超える猛烈な暑さの中にあった。
「あ〜、こんな暑い日は巣ごもりに限るわ」
夕陽は空調の効いたリビングで昼間からビールを飲みながらテレビを見ている。
室温は24℃。
快適である。
加えて今日は祭日で会社は休みだ。
Tシャツに短パンというラフなスタイルでソファに寝そべり、ずっと録画したままだった映画を立て続けに二本見た。
そしてその勢いで三本目にいこうとした時だった。
テーブルの上に投げ出されたスマホがブルブルと振動した。
「ん…?笹島かな」
こんな休日のまっ昼間に電話なんて寄越してくるのは彼しかいない。
真っ先に浮かんだ友人を想定して画面を覗き込むと、夕陽は顔を訝しげに顰めた。
「う……そだろ」
ディスプレイにはもう掛ける事も、掛かってくる事もないと思っていた名前があった。
夕陽は恐る恐る通話アイコンに触れた。
「も…もしもし」
「あぁ、真鍋さんのお宅ですか?夕陽くんいらっしゃいますか?」
「……あの、これ家の電話じゃなくて俺個人のスマホなんですけど。だから余程の事がない限り本人が出ますって」
すると、電話の向こうからやけにのほほんとした反応が返ってきた。
相変わらず独特な感性の人である。
「あぁ、そういえばそうだね。うっかりしていたよ。真鍋夕陽くんだね?」
「ええ。そうですよ。お久しぶりですね。秋海棠さん」
電話の相手はトロピカルエースのプロデューサー、秋海棠一十だった。
まさかこの多忙で超有名なプロデューサーがこんな時間にわざわざ一般人の自分に電話してくるとは思わなかった。
夕陽は思わずソファの上で正座する。
「あ…あの、一体どういったご用件で俺に電話を?」
「うん。ゴメンね。忙しかった?」
「いえ、自宅でテレビを見ていただけなんで全然大丈夫ですよ」
嘘は言っていない。
すると一十は安堵したような吐息を漏らした。
「良かったよ。いやぁ、実はね。僕、急に鍋が食べたくなったんだよね」
「はぁっ?なっ…鍋ですか?この超真夏に」
「うん。そうなんだよ。冬に流れる鍋のCMのBGMを納品して、その撮影が昨日だったんだ。ウチのトロエーの子達の配役でもあったし、ちょっと見学に行ったらさ、何か急に「鍋」って感じが高まってね。いてもたってもいられなくなったんだ」
「えええぇ…」
夕陽は微妙な顔をした。
これが笹島なら通話を切っていた。
「それでね、鍋の準備してメンバーも集めたんだけど、今日唯一料理が出来る陽菜ちゃんが地方ロケで帰って来られないんだ」
「鍋なんて適当に材料ぶっ込んで煮込めば何とかなりますって」
「君、本当にA型?」
「そ…そうですけど、何で俺の血液型知ってんですか」
しかし大物プロデューサーのオファーを断るわけにはいかない。
夕陽は力なく頷いた。
「…わかりましたよ。場所は最初にお会いしたマンションでいいんですか?」
「いいのかい?あぁ、待ってるよ。そうだ。参加者は好きな鍋に入れたい物を持って来てね」
「うわぁ、それ闇鍋…」
「あ。そうそう。メンバーなんだけど君の大好きな永瀬みなみも呼んだから」
「……あまりご褒美感ないですね。ちなみに秋海棠さんは何を鍋に入れるおつもりですか?」
「僕?僕は至って普通だよ。あん肝とマシュマロ」
「……!?」
夕陽は愕然とした。
「あの、まだ何もしないで待っていてください。鍋の下地は俺が作るんで」
「うん。わかったよ。それじゃあ後でね」
通話はそこで切れた。
これは困った事になった。
夕陽はテレビをオフにすると立ち上がる。
「これは俺がしっかり鍋奉行しないと大変な事になるぞ。行く前にスーパーでまともな食材を買っておくか」
すると再びスマホが震えだす。
「もしもし亀さん?」
「誰が亀さんだ。何だよお前か。みなみ」
電話はみなみからだった。
「一十先生の電話来た?」
「あぁ。あの人、真夏に闇鍋したいって」
「え、鍋でしょ?私もマネージャーの車でそっちに向かってるから、一緒に行こう?」
「お、それは助かる。多分スーパーに寄るからそこら辺で拾ってくれ」
元々タクシーで行くつもりだったので、この提案は助かる。
「うん。わかった。私もさっき食材買ったんだよ」
「…それって、好きな食材持ち込み企画のか?」
「うん。そだよ」
夕陽は嫌な予感がした。
「…ちなみに何買った?」
「えー、普通だよ。あん肝とナッツ入りのチョコ」
「お前ら……」
不安ばかりの鍋パに夕陽は眩暈を感じた。
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