第14話「バレンタインに甘さは不要」
オーブンの中で角皿の上に並べられたカカオ豆が熱せられている。
「ねぇ、これって本当に美味しいチョコになるの?」
怜がラインストーンに縁取られたピンク色のネイルでオーブンの扉をコツンと叩く。
「早乙女さん、これからこれが美味しいチョコに化けるんです!」
みなみは自信満々に胸を逸らす。
するとオーブンのタイマーが軽快な電子音を響かせた。
「みなみ、これからどうするの?」
「うん、そうしたら今度はローストした豆の殻を割って中の「カカオニブ」を取り出すの。これがチョコの原料なんだよ」
「へぇ…」
さらさと怜、みなみはキッチン横のテーブルで黙々と地味な作業に没頭する。
「あ〜ん。ネイルが欠けちゃうじゃない」
すると早速怜が不満を漏らす。
「早乙女さん、手袋してください」
みなみは作業の手を休めず。顎でビニール手袋の入った箱を示した。
怜は渋々それを取り、手に嵌める。
「…ねぇ、みなみ。こんな苦労して作る必要あるの?」
根が真面目なさらさの方は、一通り自分の分担分は終えたようだ。
さすがはトロピカルエースのリーダーである。
「苦労の先においしい物はあるんです。よし。カカオニブはこれでいいかな。ではこれを粉砕します」
「粉砕?」
不思議そうな顔をしている二人の前に、みなみは万能ミキサーを取り出す。
「道具が無かったから、取り敢えず今回はこれで代用します」
そして手慣れた様子で殻を剥いたカカオニブをザラザラっと容器に入れる。
「スイッチオン!」
ガーっと、かなり大きな音を立てて豆が粉砕されていく。
「それで、後は砂糖を投入〜っと」
「ちょっと待ってよ。みなみ。コレ、凄い刃こぼれしてるけど大丈夫なの?」
怜が容器の底の方を指さす。
見ると、底の刃がガタガタに傷ついていた。
「あらら。結構カカオニブ、硬かったのね」
「……本当に大丈夫なの?」
「だ…大丈夫ですよ。多分」
みなみは顔を引き攣らせながらも、異音を出しているミキサーのスイッチを何度か切り替え、最後まで粉砕した。
「ふぅ。何とか出来ました!」
「あら、何かもうチョコっぽくなってるじゃないの」
汗だくになりながら、みなみが容器を取り外して二人の前に置いたカカオニブは、形を失いドロドロになっていた。
近寄ると香り高いカカオの香気が漂った。
「みなみ、もう型に入れていいの?」
「あ、まだです。この後テンパリングしなくちゃ」
「テンパる?麻雀でもやるの?」
的外れな怜の発言にさらさはため息を吐いた。
「テンパリングは前に番組でもやったじゃない。チョコに含まれるカカオバターの結晶を調整して口当たりを良くする作業の事よ」
「あぁ、あの面倒なヤツね。あれをまたやるわけ?」
テンパリングとは滑らかな口溶けのチョコレートを作る為には不可欠な作業で、湯煎でチョコを50℃くらいに温めた後、一定の時間おきに少しずつ段階を踏んで温度を下げていき、最終的には30℃前後までに調整する。
とても繊細で怜の言うように面倒な作業ではあるが、これをするかしないかでは仕上がりに差がつく。
「はい。お湯沸かしましたよー」
☆☆☆
数時間後。
「やった!完成しましたね」
「いい出来じゃない」
何とか初めての一から作るチョコレートが完成した。
三人は揃って顔を輝かせる。
「ポンコツが二人も揃ってこの出来は奇跡としか言えないわ!」
「……森さん、言い方〜」
特にさらさが涙を浮かべるくらい喜んでいた。
まさかみなみの采配でここまでのクオリティのチョコが出来るとは思っていなかったらしい。
「ねぇ、これマシュマロをコーティングしてみたらどうかな?」
さらさが持参してきたマシュマロの袋を鞄から取り出してみせた。
「あ〜、それ絶対イイ!だったらホットチョコもいいんじゃない?少しスパイスを効かせて♡」
怜も、なんだかんだで乗り気になっている。
「全部やってみましょう!今宵はチョコで鼻血大会いえー!」
こうして鼻血は出たのか出ないのか、奇妙なテンションのチョコ大会はその後、明け方まで続いた。
☆☆☆
翌日。
今日はバレンタインデー当日である。
「ハイ。夕陽さん。バレンタインデーのチョコ。勿論本命だよ♡」
その日の夜。
みなみは夕陽の部屋で、綺麗なラッピングに包まれた箱を手渡した。
「おっ、いいのか?ありがとう。嬉しいよ」
夕陽も笑顔でそれを受け取る。
「あ、コレ、テレビでも見たぞ。フランスの有名ショコラティエがプロデュースしたっていう限定チョコじゃないか。それも限定10個のプレミア商品!マジでいいの?」
「…うん。勿論だよ。全部食べて。それからお財布もプレゼントしてるから使ってね」
夕陽は嬉しそうに箱を開ける。
「そんな事言わずに一緒に食べようぜ。お前甘い物好きだろ?」
そう言って夕陽はみなみの口元に可愛らしい装飾が施されたチョコを近づける。
「ウプっ……い…私はいいよ」
チョコを近づけた瞬間、みなみは口を覆って俯いた。
「その反応。まさかつわり…」
「違うよ!何、秒でパパになった自分想像してんの。キモ過ぎるんですけど」
「勝手に人の頭の中を盗み見るなよ。じゃあ何でそんな吐きそうな顔してんだよ」
「うううっ…実は」
観念したみなみは昨日の出来事を話した。
さらさと怜とでバレンタインデー用のチョコを一から手作りした事を。
そして完成した後、うっかり三人で完食してしまった事を。
「……なるほど。いかにもお前たちらしいな」
「ぐぬぬ。だって美味しかったんだもん。そのチョコは早乙女さんが知り合いから融通してもらったヤツだよ」
すると夕陽は再びチョコを箱に戻して蓋をした。
「あれ、どうしたの。夕陽さん。チョコ食べないの?」
「いや、やっぱりお前と一緒に食べたいから、それまで取っておく」
「夕陽さんっ!」
みなみが夕陽に勢いよく抱きついた。
夕陽は困ったようにその背を摩る。
「…うー。夕陽さんのこういうところ、すっごく好きー。お婆ちゃんみたいで好き。さっきはキモいって言ってゴメンね」
「お婆ちゃんが微妙な感じだが、まぁ…いいか」
みなみの言う「お婆ちゃん」とは、彼女に指抜きをあげた祖母の事で、これは今では二人を繋いだ大切な物だ。
つまりそれくらい「大好き」というなのだ。
「じゃあ、これからお前の部屋を掃除するか…」
「え、何で夕陽さん、知ってるの?」
みなみは気まずそうに顔を顰める。
「朝まで三人で盛り上がってたんだろ。どうせキッチンやリビングはそのままで」
「うぅっ。ハイ。その通りです」
「じゃあ、行くか」
こうしてバレンタインデーの夜は更けていった。
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