第11話 委員長の憂鬱 2 紗倉川 玲衣
ドクッ ドクッ ドクッ
心音が聞こえる。呼吸音も混じるが、心音にノイズは混じっていない。大丈夫だ。
「
右耳からは空気中を伝った声が、そして左耳からは、豊満な胸を通して直接届く声が聞こえた。
ちょっと変わった音声多重、サラウンドだ。
「安心して。心雑音はないわ」
「意味がわからないなー」
「だから、大動脈弁狭窄症の心配はないわ。健康よ」
「ふーん」
「三尖弁閉鎖不全症でもないわ」
「それ、普通は聴診器使うんじゃないかなー」
聴診器!
そうか。聴診器か。
恵の胸をはだけさせ、そこに聴診器をあてる。そうすれば、恵の胸を見ながら心音も聴ける。聴覚と視覚のマリアージュ。すごい! 画期的だ! そんな発明品があったことを今更ながらに思い出した。思いついた人はきっと天才に違いない。
ただ、そんな聴診器にも弱点はあると思う。こと音に関しては電気の力に頼ることなく、微細な波形までも鼓膜まで送り届けることが可能な聴診器。そこに一切の妥協はない。
しかし、届けられるのは音に限ってのこと。音以外の要素について配慮はないのだ。つまり、聴診器で恵の体温を感じることは不可能、絶望的。音だけに特化してしまったがための悲運と言えよう。
もっともその代わりと言っては何だが、冷たい聴診器を宛がった時のびくっとした反応は楽しめるかも知れない。ホンの一瞬の出来事。刹那の出来事。触れた直後から熱交換が行われ、聴診器と肌の間の違和感は、瞬く間になくなってしまう。でも、だからこそ、その瞬間はとても貴重なものだと言うことも出来る。そう考えれば一長一短と言えなくもない。
が、やはり、私は体温を直に感じたい派だ。この癒やしオーラに抗うのはとても難しいのだ。ほら、だんだん眠くなってくるし……
「ねえ、玲衣ちゃん。寝ないで? 何があったの?」
再び恵が聞いてきた。仕方がない。睡魔の威力はまだたいしたことなかったので、振り払うのは造作もない。では、ここに至るまでの経緯を説明するとしよう。
「あのね。実はね。昨日、知らない3年生男子に急に声かけられて、すごく怖かったの」
私は、今、この身に降りかかっている危機を、恵に訴えた。
「ああ、見てたよ。教室の入り口でしょ? 何か言われたの?」
「私が全然知らない人なのに、なぜか向こうは私の名前を知っていたの。ほら、恐ろしいでしょ?」
「なるほどね~。でも、玲衣ちゃんはかわいいから、結構有名だと思うんだけれどな~?」
なにそれ? 私が有名? こんなに慎ましく過ごしていると言うのに、そんなことある筈がない。え? 慎ましいのは胸だけだって? 今、誰が言ったの? ちょっとこっちに来なさい。話があるわ。
「有名じゃないわよ。そもそも学年が違うんだし。一体、どこでどうやって私の名前を調べてきたのか。もしかしたら他にも個人情報が漏れているんじゃないかって思うと、身体が震えるほど怖くて怖くて……」
「そこまで心配することないと思うけれどな~」
「何が嫌って、私があの男のことを一切知らないってことかしら。あ、でもあの時、自分で自分のことを『はしたない』って言ってたような気がするわ」
「(はしため、じゃないかなあ?)」
「あれって、あの男の名前だったのかしら? どんな字を書くのか、少し興味がわいたわ。いや、ダメよ。ストーカーの名前に興味があるって、そんなことあるはずないわ。あるんだかないんだかわからないわ。日本語って難しいわ」
「一人漫才面白くなってきたから、そのまま続けて~」
「とにかく、あの男の名前なんか、私は知りたくないのよ。でも、『はしたない』って、『はしたない』って。インパクトがありすぎて、覚えちゃったじゃない。責任とってもらわなくちゃだわ」
「どうやって責任とってもらうのかなあ?」
「それは………」
「あれえ? 耳が赤くなってきてるよお?」
「え? いや、もう責任って言うか、忘れさせてくれればいいのよ。どうしよう? 私の記憶から、あの男の存在を消去したいわ。問題はそのやり方ね。あの男の頭を、何か重たいもので思いっきり殴ればいいのかしら? 脳に衝撃を与えて、記憶を抹消するのよ!」
「面白い、面白い。彼のこと、すっごく気になっちゃったんだね~?」
「は? 気になってないわよ。逆よ、逆。大体あんな、変にかっこつけてて、いかにもチャラくて、気持ちわる」
「あ、巻坂君。こんにちは~」
「え!?」
まだ話してる途中だったけど、慌てて恵の胸から顔を離して振り向くと、そこにはあの巻坂
「あ、えーと。ゆり……談笑中だったらまた後で構わないけど」
「だ、大丈夫よ。わ、私に用事なのかしら?」
いけない。私の本命は巻坂君なのに、あんなはしたない男のことで頭が一杯になっていた。ちゃんと、取り繕った態度をとれていたかしら? 巻坂君に気付かれてないわよね? え? 今、本命って言った? 言ってないわよ!
「そう。
「わたしも聞いて平気なのお?」
「うん、折角だから二人に尋ねたい。実はね。文学って興味あるかな?」
急になんだろう? 「ご趣味は?」的な話だろうか?
「そうね。シェイクスピアとか割と好きだし、あ、でも日本の文豪も、何人かは好きよ」
「わたしはねー。何でも読むかなあ。ラノベも好きだし~」
「そっか。じゃ、読む方じゃなくて、書く方はどうかなって」
「コウ、そろそろ行くぞ」
突然、長身痩身長髪の男が話に割ってきた。巻坂君と話すレアな時間を邪魔するのは誰だ?
「おう、ストリー。わかった。今行く」
巻坂君は彼にそう答えた後、こっちに向き直り、
「ごめんね。途中だけど、用事があって行かなくちゃ。また今度相談にのってもらうかも知れないからその時はよろしくね」
「は~い、気にしなくていいよ~」
「うん、とにかくごめん。じゃ、ごゆっくゆり~」
そう言うと巻坂君はさっきの長身痩身長髪の男子を追いかけて行ってしまった。
ストリーとか言ってたっけ。変な名前だ。
「何だったんだろーねー?」
「わからないけど……今の誰だっけ?」
「んー?
「彼、カガって言うんだ。巻坂君の友達なのかな?」
「無口だけど、巻坂君とはよく喋ってるのを見かけるよねー」
恵はよく見ているな。よく見ているしよく聞いている。なにげに情報通だったりする。恐ろしい子。
私も恵から情報をもらうことにしよう。ぽふっ
「また私の胸に顔を埋めてくるしー」
「いいでしょ。今、恵の心音から情報を聞き出してるところ」
「玲衣ちゃんはすごい能力持ちだね~。好きにすればいーよー」
「ふふ、ありがと。やっぱり落ち着く」
「はいはい、うりうり」
「そういえばさっき、巻坂君、最後に変な挨拶してたよね?」
「してたねー。一瞬校正漏れの誤字かと思ったんだけれどねー。わざとだったみたいだねー。で、おそらく、玲衣ちゃんのせいだけどねー、ゆりゆり」
「私のせい?」
「玲衣ちゃんは、賢いのに抜けてるよねー?」
恵から軽くディスられたような気がしたけれど、心音と体温で癒やされているところなので、あまり気にならなかった。でも、韻を踏んでいるのはちょっと気になった。言わないけど。
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