第10話 女の友情 巻坂 絹依

 まだ登校前の朝だと言うのに、こーちゃんがpcに向かって何やら打ち込んでいる。

 母親としては息子が何をやっているのか把握する必要がある。


「こーちゃん、おはよー。抱きついてもいい?」

「おはよー、かあさん。その台詞は抱きつく前に言ってもらえないかな?」

「あら? あんまり細かいことを気にすると、もてないわよ? あと、かあさんじゃなくて、シルキーでしょ?」

「………」


 無言になってしまった。抱きついたままでいいってことよね? もう、こーちゃんったらやさしいんだから。


「あれ、また新しい曲作ってるの?」

「ああ、1曲作って終わりってわけじゃないからさ」

「この前の曲は? 歌詞出来たの?」

「いや、メンバーに聞いてみたんだけど、作詞出来る奴は一人もいなかったんだ。だから、誰か作詞が出来る人を探さないと」

「ふ~ん。早く私の曲、出来ないかなあ?」

「曲名をシルキーにするって話、却下したよね?」


 歌詞かあ。私もそんな才能は無いし、あ、でも彼女なら出来そうね。久しぶりにwireしてみようかしら。


「さあ、シャワー浴びるからそろそろどいて?」

「はーい、じゃ、私も一緒に浴びようかな」

「いや、やめて。一人で浴びたい」

「もう、またー、そんなこと言ってー」


 今回は拒否られてしまったが、と言うか、毎回拒否られているが、三回に一回くらいは許してくれることもあるのだ。すごいでしょ?

 狙い目は、こーちゃんが湯船に浸かっている時だ。あら? こーちゃん、入ってたの? と言いながら白々しく浴室に入っていけばいい。もちろん、そのまま私も湯船に浸かるのだ。

 息子と一緒に入るお風呂はそれはもう最高で、こんなに癒やされる入浴の仕方はないと思っている。

 でも、こーちゃんもお年頃だし? 恥ずかしい気持ちはわかるから、今日のところは一人でシャワーを浴びるといいわ。そのか・わ・り……


 私は自分のノートpcを起動して、息子のデスクトップpcに侵入する。更新されたファイルからめぼしいものをピックアップし、ダウンロードする。もちろん、メールやブラウザの履歴もだ。これは基本よ。


 んー、難しそうなサイトばかり見てるなあ。もっと、エロいサイト見てもいいのよ?


 こーちゃんが作った曲のオーディオファイルが重たいせいで、ダウンロードに少々時間がかかった。シャワーからあがってくる前に、このミッションを完遂させなくてはいけない。

 侵入の痕跡を消したら、コンプリート。ふふ、私のpcスキルをなめないでね。


 部下が社外秘のファイルをライバル会社に横流しし、不正なお金をもらっていたことも、こうやって突き止めクビにしてやった。だから私の社内評価はとても高い。

 もちろん、社長のpcにも侵入して弱みを握っている。社長だけじゃないわね。私のコレクションは取締役員全員分に及ぶ。私が無碍に扱われた時用の保険だ。出来ればこのまま、使わずにすむよう願っている。


 忘れてた。会社のことなんかどうでもいいんだ。彼女にwireしとかなくちゃ。


『今日、久しぶりに飲みにいこー』


 出社前の朝の時間なんて大抵忙しいだろうに、すぐ返信が来た。


『いいわよ。いつもの店でいい?』


 さすが、彼女も仕事が早い。



**********



「シルキー、久しぶり。元気だったかしら?」

「ミルキーもお久しぶり。私は元気よ。あなたは?」

「もちろん。毎日息子から養分もらってるし」

「それなら私だって負けないわよ。とりあえず座りましょう。話したいことがあるの」


 退社後、予定通り彼女、ミルキーと落ち合った。


 叶添かなぞえ 見稀みき


 見稀なのでミルキーだ。自分で考えたらしい。私だったらちょっと恥ずかしいけれど、彼女は気にしていないようだ。


 彼女とは大学からの付き合いだ。恋愛から仕事まで何でも話せる唯一の友人だ。お互いに、結婚、出産、離婚と経験しているので話もあう。母子家庭で息子と二人暮らしというところも同じだ。


「私も聞きたいことがあったのよ。シルキー、この間、うちのT課長と飲みに行ったでしょ? どうだった? 彼、社内では独身貴族最後の砦って言われている超優良物件よ? 課長とは言っても、彼の課は結構大きくて、今後の活躍次第では部長を通り越していきなり取締役に抜擢されるって噂、知ってるでしょ?」

「飲みには行ってないわよ。食事に誘われただけ。食べ終わったらそのまま解散して、特に何もなかったわ」

「もしかして、また食事中に息子の話をしたんじゃないの?」

「え? だって仕事の話はまずいじゃない。お互いライバル会社なんだから。こっちの情報を出せないのはもちろんのこと、向こうの情報だって、聞かされちゃまずいこともあるから。彼が知らない内にこっちがこっそり盗み出すならまだしも、彼から聞かされるってのはダメよ。だから、そういう話がちらつきだしたら、息子の話を出して反らすの。これも、ビジネステクニックの一つね」


 ミルキーは何だか納得いかないような顔をしている。おかしいな? 同意してくれると思ったのに。ちゃんと伝わらなかったかな?


「例えばね。彼のところがどこかの会社を買収しようとしてる、とかそんな話をしだすわけ。だから、『そんなことより、こーちゃんの写真見て』って鞄からこーちゃん写真集を出して見せてあげるの」

「あんた、鞄にそんな物入れてるの?」

「スマホにもたくさん写真は入ってるけど、写真集にするとやっぱりいいのよ。見る?」

「………」


 私はそういうと、自慢のこーちゃん写真集を彼女に手渡した。


「どう? いいでしょ?」

「これ、製本してあるわね」

「そそ、webで探して作ってもらったの」

「………」


 彼女は写真集を手に取ると、じっくりと検証する。もちろん自信作なのだが、彼女がどういう評価を下すのか、少しドキドキしながら待つ。


「いいわね。私も作ろうかしら。年代別に15巻編成にして……帰ったら、写真の選定しなくちゃ。う、でも、写真を選ぶのって苦渋の決断になりそう」


 好評でよかった。評価を下すのに時間がかかっているのかと思っていたら、自分で作る時のことを考えていたらしい。


「そうなの。私も大変だった。あんなに胃が痛くなったことはないわ。選ぶってことは、他を見限るってことになるのよ。こーちゃんの写真を没にするなんて……」

「大変だったのね」

「ええ」


 やっぱり彼女とは気が合うようだ。安心した。


「この装丁だけど」


 あ、さすがミルキー。気がついてくれたようだ。


「ふふ、なんだかわかる?」

「これ、息子のパンツの生地使ってる?」

「正解!」

「考えたわね」

「でしょ! 毎日こーちゃんのパンツを拝借するのも大変だから、思い切って一枚盗み出して使っちゃった」

「ばれなかったの?」

「新しいの10枚くらい買い足しておいたから大丈夫」

「じゃ、今はパンツ持ち歩いてないの?」

「出来る時は持ち歩いてるわよ。この間、T課長にも見せてあげたし」

「それ見せちゃダメでしょ。基本的に人に見せてはいけないのよ。あなたにしては、セキュリティー、甘いわね」

「うー、だってー、自慢したくなっちゃったんだもん。ミルキーもまーくんのパンツ持ち歩いてるでしょ? 人に見せたくならない?」

「そりゃ、なるけど。でも我慢するのよ。自重するって大事なことなんだから」

「わかった。でも、毎日違うパンツを拝借するのって難しいよね。洗濯して畳む時に拝借するのが一番楽なんだけれど、一度畳んだやつを後から吟味してると、こーちゃんが疑いの眼で見つめてくるのよ」

「息子が見てない時にやんなさいよ。うちのまーくんは生活パターンが決まってるから、時間帯を選べば楽勝よ」

「こーちゃんは、パターン読めないからなー」

「あとね。もっといい方法があるのよ。洗濯前、籠の中から拝借するの。意外と盲点でばれないわよ?」

「なにそれ、ミルキーってば天才ね」

「まーくん成分摂取のためなら、何でもやるわよ」

「わたしもこーちゃん成分摂取のためにもっとがんばらなくちゃ」


 こうやって、生活の知恵を教えあうのも、悪くない。


「そうだ。大事なことを忘れていた。これが本題なんだけれど……ちょっと待ってね。イヤホン探すから」


 そう断り、私はゼンハイのイヤフォンをバッグから取り出した。こーちゃんが選んでくれたイヤフォンだ。

 それをスマホに差し込み、ミルキーに渡す。


「これね。つい最近こーちゃんが作った曲なの。バンドを作ってリハーサルやった時の音源を、彼のpcから今朝もらってきたの。ちゃんとしたのが出来たらくれるって言ってたけど、待ちきれなくて、もらってきちゃった。今日一日中、ずっと聴いてたの。ミルキーも聴いてみて」

「へー、変わった曲ね。こーちゃん、こういう曲作るんだ。でも、音質悪いわね」

「だからー。リハーサルを録音したやつだから、音は悪いんだって。それに、初めて合わせたみたいだから、演奏も編曲もまだまだだって言ってた」

「そかそか。それにしては上手かも知れない。これ歌ってるのこーちゃんなの?」

「そ。キーボードも弾いてるみたい」

「へー。キーボードはうまいなあ。さっきから歌がなくなって、ずっとキーボードソロなんだけど」

「でね、でね。ミルキー、この曲に詞をつけてみない? 文系だったよね?」

「え? 作詞ってこと? 私、別に文系じゃないよ。オールラウンダーなだけ」

「本当は私が作ろうと思ったんだけどね。親子で作詞作曲の共作なんて出来たら素敵じゃない? でも私ってば完全理系だからさすがに無理そうなの。でね、ミルキーのことを思い出したってわけ」

「んー、やってみるのは構わないけど」

「じゃ、お願い! こーちゃんへのサプライズプレゼントにしたいの。もちろん、手柄を横取りなんてしないから。ちゃんと、作詞ミルキーでクレジット入れさせるから!」

「わかった。やってみる。こういうの、何だか久しぶりで、ちょっと楽しみになってきたかも。写真集のこともそうだけど、今日シルキーに会えてよかった。ちょっと時間ちょうだい。私も初めてだから、試行錯誤が必要かも知れない」


 お願いね、と言ってその日はミルキーと別れた。

 ミルキーはああ言っていたけれど、彼女にはかなりの文才がある。文芸部に入ってたし。歌の歌詞は作ったことがなくとも、普通の詩ならたくさん書いていたはず。あと、小説もね。彼女の論文は、何気に詩的だったのを覚えている。ただの論文を、そんな風に書く必要は全くないはずなのに。

 そんな彼女だからこそ、いい詞があがってくる予感がある。うまくいくといいな。


 さって、それじゃ、とっとと帰って、こーちゃんに抱きつこう。そっか。洗濯籠から直接拝借か。早速明日試してみなくちゃ。

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