第8話 委員長の憂鬱 1 紗倉川 玲衣

「ねえ、それ、何読んでるの?」


 私は巻坂君に話しかけた。


 巻坂君の見た目はさほど派手というわけではない。見方によってはむしろ地味目かも知れない。短めに揃えた髪は清潔感があるし、悪くないと思う。背はとっても高いというわけではなく、まあ、平均的だと思うが、私からしたら十分高い。多分、二人で並んだら、ちょうといい感じに見えるんじゃないかな? って私は何を言っているんだか。

 それよりも、だ。彼からは時々信じられないくらいのオーラを感じる時があるのだ。それが今もずっと謎だ。気がつけば、いつも巻坂君の背中を見つめてしまうのだ。


 授業中の巻坂君は、いつも何かを読んでいて、ノートも頻りに書いている。書き殴っているという感じだ。でも、それはおそらく授業と無関係だと推測される。いわゆる内職だ。

 巻坂君の席は、私の席から一つ斜め前なので、中途半端にその奇行が垣間見えてしまうのだ。気になって気になって、授業の邪魔だ。勘弁して欲しい。


 午前中の授業が終わり、クラスの大半が購買へと向かった。弁当組だけが居残った少し閑散とした教室で、授業が終わったことすら気がつかず、未だ本の虫となっている巻坂君を見ていたら、例の不思議なオーラに当てられてしまったのか、つい話しかけてしまった。


「ねえ、それ、何読んでるの?」

「えっと、理論書?」


 巻坂君は少しビクっとした後、私の方を振り向いてそう言った。

 何故、疑問形なのだ。


「随分と厚い本だけど、そんなに面白いの?」


 何の理論書かはわからないが、もしかしたら授業と関係のある書物だった可能性も僅かながら残っているのかも知れない。


「面白い? んー、そうだね。自分の知らないことを知るって意味では、確かに面白いよね。委員長もそう思わない?」


 巻坂君は私のことを名字で呼ばず、委員長と呼んだ。私がクラス委員長だってこと、覚えていたんだね。ああ、名字を忘れていたから、そう呼んだのかも知れない。席は近くとも、話す機会なんて皆無だったし、そもそも斜め後ろに座る私のことなんか、巻坂君の目にはほとんど入っていなかったのだろう。


「確かに、知見を広めるっていいことよね。同意するわ」

「おー、紗倉川さくらがわさんと意見が合うなんてラッキー」


 おや。どうやら私の名字が忘れられていたわけではないようだ。何てことはないんだけれど、名前を覚えていてくれるというのは、それだけで少し嬉しく思う。


 しかし、今まで巻坂君と私にはほとんど接点がなかった。にも関わらず、彼は私の名前を覚えていたのだ。もちろん、クラス委員長に選出されたということで、私が少し目立っていたことはあるかも知れない。だとしても、それを差し引いても、巻坂君が私のことを気に掛けていたのは事実だろう。気があるのかな? 困るんですけど。


「私と意見が同じだったからって、別にラッキーじゃないでしょうに」

「まさかまさか。だって、紗倉川さん頭良さそうだし、美人さんだし、スタイルもいいし。そんな女子と意見が一致したってだけで、男子としてはそれはもうウキウキで天にも昇る気分になっちゃうものだよ?」


 唐突に、それはもう唐突に今まで言われたことがない歯の浮くような台詞が出てきた。なに、こいつ、こんなに軽い奴だったの? 一気に幻滅した。話しかけなければよかった。そう思うと、何故か顔が火照って巻坂君を見ていられなくなり、顔を少し伏せた。


「やっぱりさー、見た目って大事だと思うんだよ。第一印象? 紗倉川さんはさ。クラスの中でも一二を争うくらい綺麗じゃない? そんな人が委員長やっちゃうなんて、このクラスで本当に良かっ」

「えっと!」 


 あまりに恥ずかしくなって、思わず張った声で巻坂君の言葉に被せてしまった。そういうの、いいから! まともに会話するのはこれが初めてなのに、何でいきなりそんな話題で饒舌になっているんだか理解に苦しむ。何だかもういろいろ限界なので、とっとと話題を変える。いや、戻す!


「で、でね! 何の本なのかなって。私、席が斜め後ろだからずっと気になってたんだよね。他にもいろんな本を読んでるじゃない。もっとすっごく分厚い本もあったよね? 広辞苑みたいなの」

「もっと分厚いやつ? ああ、これかな」


 そういうと彼は自分の鞄から、その分厚い本を取り出して見せてくれた。


「管絃楽法?」

「そ」

「管絃楽ってオーケストラのことだよね? あれ? でも絃の字が違うね」

「そう、古い本でね。中身も昔の漢字ばっかで読みにくいったら」

「へえ、巻坂君って音楽に興味があるんだね」

「まあね。バンドやってるからさ」

 やっぱり授業と関係なかった。音楽が趣味だから、授業中ずっと音楽関係の本を読んでいたってことなのか。


 それにしても………、バンドにオーケストラって関係なくない?



**********



「めぐみ~~~~」

「はーい、玲衣れいちゃん、こっちおいで~」


 巻坂君が教室から出ていくのを見届けた後、親友の恵を見つけた私は、さっきの恥ずかしい会話を唐突に思い出し、恵の胸に飛び込んだ。


 委員長という役職は、何かとストレスが貯まるのだ。なので、たまにこうやって恵に癒やしてもらっている。恵はほんわか系、胸も私より遙かにあるので、抱き心地がいいのだ。


「巻坂君にひどいこと言われた~」

「はーい、聞こえてたよー。でも、ひどいことは言われてなかったんじゃないかなあ? むしろ褒めちぎられていたんじゃないかなあ?」

「言われ慣れてないことを、立て続けに言ってくるなんて、いじめと一緒だよ~」

「いつも私が、かわいい、かわいいって言ってあげてるじゃない」

「かわいいは恵がたくさん言ってくれるけれど、美人とかスタイルいいは、初めてだもん」

「玲衣ちゃん? ちょっとイラってきたよ? それにしてもあんなに大胆に口説いてくるなんて、巻坂君って意外と積極的なんだね。玲衣はどうするの? 付き合っちゃうの? うりうり」


 は? 何故、そうなる?


 あれはからかわれていたのであって、口説かれていたのではない! 断じて!


 でも、なんか頭の片隅に巻坂君の言葉がこびりついて、忘れられそうにない。


 顔が一段と火照ってくるのが自分でもわかる。


「玲衣ちゃんってば、チョロいね~」

「チョロくない!」

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