第23話 竜ヶ崎 般若院の枝垂れ その二
23竜ヶ崎 般若院の枝垂れ桜 その二
感動ものの桜であった。
何で今まで知らなかったのだろうと悔やむ。
とりあえずゆっくりとその姿を確認するために一回りする。
幸運なことに桜の樹をぐるりと回って見られるのだ。
雨が降ってくる前に本堂から遠い方からスケッチを始める。
車でないためにスケッチ用の荷物は必要最小限にしたため、椅子が無い。
立って描くしかない。
左手に持ったスケッチブックが重くてしびれてくるが
そんなこと構っている暇が無い。
来年にまたこの花を訪ねて来られるかどうか分からないので、
今日は欲張って最低四枚は描いていきたい。
今まで見てきた桜はぐるっと見ることが出来なかったように思う。
どんなに気に入った桜も左右二枚描くのがせいぜいである。
この般若院の桜は特に太い幹が真ん中から四方に伸びて
見る角度によって全然違う桜の古木に見えるから描いていて飽きない。
私の心は躍っていた。
この感動をどう表現したらいいのかしら。
どう表現出来るのだろう。
平日のせいか見物人も少ないので絵が描きやすい。
場所によっては私が絵を描いているのを承知の上でその前で写真を撮ったり
たむろしたり立ち話を長くしていたりと邪魔が入る事が多い。
他にも撮影スポットは沢山在るのに私がその場所に陣取っているために
そこが一番良い場所かと勘違いする人が思いっきり邪魔をしてくれるのである。
その点、ここは桜の樹をぐるりと歩いて見られるので
例え私が絵を描いていても一ところでずっと立ち止まる人は少ない。
どこでもそうだが、花見客は不思議とある波となって現れる。
数分から数十分程度ザワザワとしたかと思うと波が引くように
同じ程度の時間シーンとして人っ子一人見えないということが繰り返される。
何度経験しても不思議に思うことだ。
きっと何かの法則が働いているのだろう。
新たに人の群れが来るたびに、人々は口々に三春の滝桜と比べている。
まことに失礼な事である。
いまだにその姿を確認していない私にとってどっちがどっちとも言い難いが
それぞれがそれぞれの個性を主張していると思う。
枝垂桜好きの私が見た何十本かの桜はそのどれもが個性の塊であった。
桜の種類も異なるがその咲き方、色、花の付け方一つ一つが違う。
十人十色ということか。
だから私は好きなのである。
それぞれの個性がたまらなくいとおしい。
愛してやまない源である。
いつかは大きな紙にその全体像を描きとり
何日もその樹の前に立ち、色をつけ、完成させたい。
それが私の夢である。
体力と気力とそして少しばかりの経済力が必要である。
今は、その為の準備のときと思っている。
将来、其のときが来たときに描くべき桜を決めるための。
鉛筆だけでとりあえず東西南北と四枚を描く。
後は帰ってから色つけを楽しむとしよう。
スケッチプックを置いて改めて眺めるが、やはり素晴らしい。
もう一度ゆっくりと歩いて眺める。
胴体にセメントのようなものを詰められていたり枯れ枝があったりとしているが
四百年も経つのだから弱るのは仕方ない。
まずまずの艶姿に見とれてしまって離れがたい。
空はどうにか持ってくれた。
三時までは降らないように願ったとおりとなった。
本堂の観音様を拝ませてもらってから後ろ髪を引かれながら山門を後にすると
ぽつぽつと雨が当たる。
やがて本降りとなった。
帰り道他の寺などを見て回ってあてずっぽに駅を目指すが道に迷ったしまった。
竜ヶ崎観音のある所にでた。
水子観音だというのでお参りをしていく。
そういえば今日は姉の命日である。
三歳で死んだから水子のようなものである。
もしかして姉がそう仕向けたのかもと思いながらお参りしてから逆方向に来たことに気がつく。
今来た道を逆に歩くと駅だという。
余計に疲れが出た。
倍の距離を戻るというのは疲れるものである。
でも、私の心は今日の一日を満足している。
今は飛んで帰って早く色を付けたい。
そのことだけが頭を占めている。
さて、来週はどこへ行こうか。
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