メモ

@R-io

-1-(完結)


『十二月十七日 ①英』

 手の甲に、私はマジックでそう書いた。手の甲という名のメモ帳は非常に便利で、一日、二日ほど経てばその書いた文字は自然と消される。「お前は忘れやすいから、メモを取る習慣をつけとけよ。」そう言われて、始めたことだ。

 それから一週間経った。なぜか、まだ十七日の授業変更の文字は消えない。その文字は薄れることはなく、一週間前の状態を保ってくっきりと残っている。それに気を取られすぎたせいで、今日の提出物を持ってくることをすっかり忘れてしまった。

 明日は絶対に忘れない。そんな意思を込めながらまた今日も手の甲に文字を刻んだ。その文字も同様に、消えなくなった。


 更に時間が経ち、私は違和感を覚えるようになった。ぼんやりと、何かを忘れているような感覚。しかし、何度も思い出そうと試みるけれど、一向に分からないでいた。何か大切なものだったような…としか分からない。その感覚が、なんだか気持ち悪くて、私は更に手の甲に文字を書き込むようになった。

 そんな事を繰り返した結果、手の甲は両手とも真っ黒になっていた。ならば、と私はメモ帳を買う。が、一週間も経たずにそのメモ帳をなくしてしまった。三回ほどメモ帳に書くようにしていたけれど、結果は同じだった。

 メモ帳の他にも、私は沢山のものをなくすようになった。仕方ない、と私は腕に書き始めた。普段運動しないせいで、まともに筋肉が付いていない私の腕は木の棒のように細く、すぐに真っ黒になってしまった。


 自分の体に刻む文字数に反比例して、私の記憶容量は減っていった。

 雨の日のみに乗るバスの料金、クラスメートの名前、先生の名前…簡単に抜け落ちる私の脳がただひたすらに怖くて、必死に私の体に文字を刻み続ける。普段は深く考え込まない脳をぐるぐる回し、これ以上忘れないように努力する。

 まわりの人達は、黒く染まりきった体を気味悪がって離れていった。両親は私の事を心配し、病院に行かせてくれたけれど、最新の医療技術でも、忘れていく脳の進行を止めることは出来ないようだった。

 両親は嘆いた。可哀想に、かわいそうに、と。涙で目の前の事がかすんで、私の気持ちは見ていないようだった。

 その日、私は顔に文字を書いた。せめて、顔だけは書かないでおこうと思っていたのに、その日、何の抵抗も持たずに書き始めた。


 顔すらも真っ黒になった私の目に映る世界は真っ白だった。顔のないマネキン達が、歩いている世界。最初はモノを運んできてくれたけれど、今はぱったりと私に構う人はいなくなった。後は、暗くなるのを待つだけ。

 時間が進むごとに私の体は冷たくなっていく。それなのに、なぜか左手がなんだか暖かかった。もう完全に真っ白な世界になってしまったけれど、確かにそこに誰かがいる。

 ───あぁ、思い出した。最初に忘れてしまった、あの人だ。

そう、名前は───。



……


………


…………日が落ちた。

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