デートとエアコン
ちくわノート
デートとエアコン
「またもや、冷房が破壊される事件が起きました。事件が起きたのは東京都新宿区の住宅街。家主が家に帰ると冷房が粉々に破壊されていたようです。これで、冷房が破壊される事件は四件目になります」
アナウンサーは原稿を読み終えると、スタジオにいる真面目くさった顔のお笑い芸人に意見を求めた。
「いやぁ、戸締りは大事ですよ。毎回留守中に狙われてるんでしょ。それにしても何が目的なんですかねぇ、この犯人は」
コメンテーター気取りのお笑い芸人は本職を忘れてしまったのか、笑いなどは一切取ろうとせず、誰もがわかっていることをあたかも専門家のような口ぶりでいう。そうすると、その芸人の隣にいた、一体何で有名になったのかは分からないが、よくテレビで見かける女が怖いわよねぇ、と同意した。
私はその番組をぼーっと眺めながらトーストを齧った。少し焦げていてほのかな苦味が口に広がった。その苦味を誤魔化すように珈琲でトーストを飲み込む。
彼は私の服を褒めてくれるだろうか。
今日のデートのために買った淡い黄色のワンピース。私にしては随分奮発をした。店頭で見掛けて一目惚れをし、色は彼の好きな黄色を選び、今日まで着るのを我慢してタンスにしまい込んでいたのだ。
でも、彼は服に無頓着だから私が今日のためにおめかししたことに気づかないかもしれない。
そんなことを考えていると番組が天気予報に切り替わった。聞きなじみのある女性アナウンサーの声でテレビに表示されているデジタル時計を見る。
まずい。遅刻だ。
私は慌てて残りのトーストを口に押し込んだ。そして、鏡の前に行って化粧を始める。こんなときに限ってアイラインがうまく引けない。むかむかしてはやる心を抑えつつ、慎重にやり直す。
化粧が終わるといよいよタンスに眠っていたワンピース(といっても昨日の夜もコーディネートの確認のために試着してみたのだが)に袖を通した。普段はこんな女の子っぽい服装をしないから少し気はずかしい。
鏡の前でくるりと回ってみる。
似合ってるかな。私には不相応じゃないかしら。いや、麻美にも見てもらったから大丈夫。なはず。
時計を見るとそろそろ出なくては行けない時間だ。私は鞄の中の持ち物を確認すると家から飛び出した。
○
彼は約束の時間から三十分遅れてやってきた。汗だくで息を切らせている。
「ごめん!」
私がどうしたの、と聞くと「いや、迷い猫を見つけて飼い主を探していたんだ」と言う。
そう、彼は優しく、正義感が強いのだ。
「飼い主さん、見つかった?」
「野良猫だったみたい」
そう、そして彼は馬鹿なのだ。でもそんなところが可愛らしい。
「じゃあ、行こっか」
彼の手に連れられて私は歩き出した。やっぱり、服には気づかないか。自分でもめんどくさいと思うが、ちょっとだけへこんだ。
しかし、歩き始めてから少しして、「今日、なんだか可愛いね」
彼は私の方を見ずに言う。彼の耳は真っ赤になっていて照れているのがわかる。
私は緩む頬を抑えきれず、にやにやしながら「ちょっと、褒めてもなんにも出ないよ」と言って、握っていた彼の手を大きく振った。
○
今日のデートは水族館だった。しかし、彼はあまり魚には興味がないようで、私が魚を見ている間うろうろとどこかへ行っては、戻ってきて私の顔を覗き込み、変顔をしてきた。
「見てみたい魚とかいないの」
私が聞くと、彼はうーんと唸って「くじら」と答えた。仕方がないので早々に魚を見るのをやめ、イルカショーが始まるまでの間、水族館の近くのカフェで時間をつぶすことにした。
ここのパンケーキがすっごくおいしいんだ、と彼はメニューを見ながら自慢げに言う。本当は麻美と何度か来たことがあって、私はパンケーキよりはワッフルのほうが好きなんだけど、と思いつつ彼の嬉しそうな顔に負けてパンケーキを注文した。
私がパンケーキを一口食べるとどう? と期待に満ちた顔で私の顔を覗き込む。少し甘ったるかったが私はおいしいというと、彼はでしょと言って彼もまたパンケーキを一かけ口に入れる。彼は甘いものがあまり得意ではないはずだが、大げさにおいしいと言う。彼の顔を見ると薄くクマができていることに気づいた。おそらくここのカフェも昨日、徹夜で調べたのだろう。
「ありがとね」
そう言うと、彼はきょとんとした顔をしていた。
私たちがパンケーキを食べ終えると丁度イルカショーが始まる時間になった。
私たちが席に着いたと同時に飼育員がイルカの名前を呼んだ。すると二頭のイルカが水中から勢いよく飛び出して宙を舞った。さらに飼育員がサインを送るとその場をくるくると回り始めた。それと同時に音楽が鳴り始め、イルカは音楽に合わせて泳ぎ始めた。そしてもう一度空高く舞った。
彼はほかの魚には興味を示さなかったもののイルカショーはお気に召した様子で、イルカがリングを通り抜けると大興奮していた。しかし、私がイルカ可愛い! 頭もいいんだね、とイルカを褒めると少しむっとした顔をしていて笑ってしまった。
イルカショーが終わると私は彼の手を引きお土産ショップに向かった。
お目当ては先ほどのイルカのストラップだ。丁度青色と赤色があり、お揃いにしようよ、というと彼はえー、と言いながらも嬉しそうにストラップを手に取った。
しかし、ストラップを購入しようとしたとき、私は違和感に気づいた。
ない。
バックの中をすべてひっくり返すが、見つからない。私の心臓がバクバクと激しい音を鳴らし始めた。
「どうしたの」
「財布が……」
私が涙目でそれだけ言うとわかった、ちょっとここで待ってて、と彼は言い残し、どこかへ走り去ってしまった。
私はなんでこんな大事なデートのときに、と自分の愚かさを恨んだ。いったいどこで失くしただろう。あの財布には彼から貰った大事なお守りも入っているのに。
少しして、彼は戻ってきた。やはり汗だくで、手には私の白い財布を持っていた。
「あったよ。さっきのカフェの店員さんが見つけてくれてた」
私は一人で待っていた心細さからか思わず泣いて彼に抱き着いてしまった。そんな私を彼は優しく抱きしめてくれた。
〇
帰り道、彼はちょっとごめん、と言って脇道に逸れた。そしてそのまま古民家の敷地に入ると、慣れた手つきで鍵を開け、家に入っていった。私も彼の後ろに続く。
彼は家に入ると黙って部屋を覗き込んでいった。私は小さな声でお邪魔しまーす、と言うと、彼の分も綺麗に靴を揃えた。
彼があった、と口だけ動かし、手招きをした。彼が手招きをした部屋に入るとひんやりとした空気を感じた。どうやらエアコンが付けっぱなしになっているらしい。そして、大きなテレビと高級そうなソファが目に入った。うわー、すごーい、と私はソファに体を沈ませる。ソファは私を柔らかく包み込んでなんとも良い心地である。
そんなことをしていると彼はどこかから椅子を持ってきて私の真向かいの壁際に置くと、その上に立った。彼の前にはエアコンがある。
彼は鞄からトンカチを取り出すと思い切りエアコンに叩きつけた。プラスチックの破片が辺りに散らばる。
彼は慌てた様子で私の方を振り返り、「ごめん、破片そっちまで飛んでない?」と聞いた。私は大丈夫、と手でサインを出すと、彼は安堵した様子でさっきよりも控えめにエアコンをトンカチで叩き始めた。
前に、なんでそんなことをするのと聞いたことがある。彼は平和の為に、と答えた。私が納得していないような顔をすると彼は地球温暖化だよ、とじれったそうに言った。なんでも地球温暖化は人間がエアコンを使うせいで起きている。だから、それを少しでも食い止めるためにエアコンを破壊するのだそうだ。それを聞いた時、やはり彼は馬鹿なんだなあと思った。しかし、それが自分のためでは無い、正義感の為に行っているものだと考えると彼のことを一層愛おしく思った。
彼は一所懸命にエアコンを破壊している。そんな彼を見て、私は「大好きだよ」と言ってみる。彼は聞こえなかったようで、滴る汗を拭いながら私の方を振り返った。
「ううん、なんでもない」
彼とのこの秘密の時間がいつまでも続けばいいのにな、なんてロマンチックなことを思いながら私は彼の作業を見続けていた。
デートとエアコン ちくわノート @doradora91
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます