3――南部連合独立戦争

――1862年1月7日

「アルバート公子殿下がもう少し長生きしてくださったら…」

 ある議員はこう嘆息した。

 きっかけは「トレント号事件」であった。

 アメリカ海軍のチャールズ・ウィルクス海軍中佐が指揮する軍艦「サンジャシント」が英国郵便船「トレント」を拘束。南部連合の外交官、ジェイムズ・マレー・メイソンとジョン・スライデルの二人を連行した事件である。

 二人の外交官は、ヨーロッパ各国に国家承認をさせるべく、南部連合がイギリスとフランスに送った外交使節であった。この事実に、英国はアメリカ合衆国に対する態度を硬化した。戦争さえ辞さないという強硬な態度の政治家まで出始めていた。

 そんな状況に対して、エリザベス女王の夫であるアルバート公子は、英国と米国の関係改善に動いていた。漏れ伝わってきた噂によれば、自ら米国に向けて関係改善を訴える書簡を書き、英米の融和を図るつもりであったという。

 しかし、彼の早すぎる死によってすべては頓挫した。

 女王は喪に服しており、英米関係改善への行動など期待できなくなっていたのである。

 パーマストン首相は奴隷制を嫌悪しており、南部連合に肩入れすることに対して忌避感をあらわにしていた。

 しかし、日増しに強まる「合衆国討つべし」という世論を抑えきれなくなっていた。

 ついにカナダ軍の軍備増強を指示、砲兵や歩兵を本国から増派する。

 それに対して米国内でも英国に対する反発が強まり、当初は対英融和を志向していたリンカーン大統領も世論に抗しきれなくなっていた。

 英領カナダ国境での小競り合いをきっかけに、米国世論はさらに沸騰する。


――ついにこの日英国議会は、合衆国に対する宣戦布告を決定し、同時に南部連合との実質的な同盟関係を締結した。その証として英国は南部連合に対して軍事顧問団の派遣と武器や弾薬の補給を行う事となった

ここに、英国の南北戦争介入が始まった。戦争はアメリカ「合衆国」の戦略的敗北に終わり、ホワイトハウスが南部連合により再度焼かれることとなった。

 結局、合衆国は屈辱的な対英講和に応じざるを得なくなり、南部連合の正式な独立国化が決定的となったのであった。

 後世、この戦いは「南部連合独立戦争」と呼ばれる事となる。

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