紙と歯型

 次のボーナスで、今度こそ転生紙を買おうと決意してたのに、結局新しくハマったアニメの映像ボックスに使ってしまって、我ながら自己嫌悪に陥る。

「またやったの?」

 もう三枚も転生紙を買っている友人にまで、ガチで心配されてしまった。

「怒らないでよ」

「呆れてんの。あんた、このままじゃ本当にピリオドになっちゃうよ」

 眉根を寄せる彼女の背後で、にぎやかな子どもの声が聞こえる。三人も『写し』がいるなら、彼女の人生は大成功だろう。同じ歳の彼女との立場の違いに、わたしは呆然とするしかない。


 命は有限で、だからこの体に詰まった情報を永続的に保管するには、転生紙を使うしかない。

 体をすっぽり覆えるくらいの紙に、抜いたばかりの永久歯で自分の体を写し取れば、あたらしい『自分』が生まれる。わたしたちはそうやって、オリジナルを維持し続けてきた。

 けど最近、『写し』を作らないまま消える人が増えて問題になっている。

『ピリオド』と呼ばれるそういう人たちは、これまで連綿と維持していた情報を途絶えさせる存在として、後ろ指をさされてしまう。

 わたしももういい歳で、そろそろ抜きたての永久歯を使っても、写しが生まれなくなってしまう歳に片足をつっこんでいるらしいけど、どうにも実感が薄くて困る。べつに、作りたくないわけではないけど、転生紙は高いし、それよりもっとやりたいことが山ほどある。


 だから、いきなり実家から転生紙が送られてきたときには、驚きよりも呆れが上回った。文句を言っても「だって孫の顔が見たいんだもの」と泣き落されて、わたしは渋々転生紙を広げる。

 すべらかな表面は、確かに高いだけあって、まるでうつくしい人の肌のようにやわらかい。フローリングに広げた転生紙の上で、いざペンチを歯に当てたとき、ふいに怖くなった。

 これで写しができたら、当然面倒をみなければならない。常識を教え、正しく導き、生活を保障して、育てなければならない。わたしはまだ、自分の人生ですら生ききってないのに、他人の人生を背負えるのか?

 いったん落ち着こう、そう手を降ろした時に気づく。てっきり自分の震えかと思っていたけど、どうやら紙もまた、細かく震えているらしい。


 驚くべきことに、紙には感情らしきものがあった。やさしく撫でると震えは収まり、映画を見せると体を折って笑うように震える。

 わたしはおもしろくなって、色々な実験をした。悲しい映画を見せるとしなしなと縁が波打ち、天気のいい日に外に干すと、日なたの猫のようにだらんと繊維を弛緩させる。

 いつしかわたしは紙と過ごす時間が何より楽しくなって、お気に入りのマンガの新刊より先に、部屋の湿気取りを買いそろえる。


 母からの電話を切って、わたしは今日も紙と日なたぼっこをする。この時間を失いたくないから、きっとこの先も、転写することはないだろう。

 一度の転写で破れてしまうこともある紙たちの権利を求めて、最近は街頭デモにも参加するようになった。「たかが紙ぐらいで」ときっと昔のわたしだって嗤う。それでも、わたしの頬を流れる涙をそっと吸い込んでくれたあの子に、すこしでもいいから自由をあげたいと、どうしてもそう願ってしまうのだ。そっとうずめた紙の肌からは、かすかに草のにおいがする。

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