動機

 数々の難事件を解決してきた名探偵の導き出した犯人が、実は冤罪だったと証明された。誤認逮捕されたAは、真犯人Bに弱みをにぎられて、うっかり犯人に仕立て上げられてしまったらしい。痛恨のミスをした名探偵はたいそう悔しがり、心配する助手の淹れた紅茶をカップごと叩き割ると、警察のつめたい目をものともせず、事件の真相を調べ始める。

 真犯人BがCを殺したのは、「Bの交際相手であったCがDと浮気していたから」だという。「まあ、デマなんですけどね」助手は呆れて合いの手を入れた。そう、そんな事実は一切ない。アイドル活動をしていたDには熱心なファンがいて、まったく無関係のCのブログとDのアップしている写真を無理やり捻じ曲げて解釈した結果、そんなデマができあがっただけだ。しかし、Bはそれを真に受けてしまった。

 BではなくAが疑われたのは、Aの事情聴取の際に、秘密の暴露があったからだ。Aは犯人しか知らないはずの、犯行時刻のアリバイを真っ先に証明した。そのうえ、Aはアイドル活動をしていたDの大ファンということで、なんとストーカーまがいの行為までしていた。当然、ファンの一部でささやかれていたCとの熱愛も知っていた。 

 それゆえに、容疑者の筆頭に躍り出た。「AとBとの接点は?」「Bが、Dのことを調べているときに、たまたまAのSNSを見つけたみたいですよ」助手はタブレットを操作しながらアカウントを表示する。「その過程でストーカー行為を知ったBに、そうとはしらず事件の秘密を暴露され、気づかずしゃべってしまったってのが、ほんとのところみたいですね」「よく調べたな」優秀な助手を褒めると、照れたように笑う。「このくらいしかできませんから」

 しかし、誰がBにAのストーカー行為を教えたのか?

 そもそも、どうしてCとDという根拠のないデマが流れたのか?

 謎は意外な形で明かされた。黙秘を続けていたBが、ある日面会にきた名探偵にとつぜん口を割った。事務所に戻ると、置いていかれた助手がくちびるを尖らせる。「お前だったのか」その言葉に、助手はそれまでの子どもっぽい表情を引っ込めニタリと笑った。「ようやく気付きましたか」

 CとDのデマを作ったのも、BにAのストーカー行為を教えたのも、助手だった。「別に、何一つ犯罪はしてないですよ」紅茶を注ぐ手つきはひどく滑らかだ。「ぼくは憶測を書き、教えただけです。何かをしろと命じたことも、誰かを中傷したこともない」「どうしてだ?」最後の一滴がカップに落ちて、助手はようやく顔を上げる。「失敗をみたかったんですよ」手渡されるカップを、反射的に受け取ってしまう。「完璧なあなたが、一度でもいいから失敗するところがみたかった」手の中からカップが滑り落ちる。すっかり冷めてしまった冷たい液体が、膝の上に黒いシミを広げていく。

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