傑作はまた次回

「どうせ捨てるならちょっとだけ時間ちょうだい」

そう声掛けられた相手が、下心だらけのおっさんだったら問答無用で飛び降りてたと思うけど、中学生のまま大人になってしまったみたいなダサいおばさんだったから、一瞬ためらってしまった。つーか、何でここに居るわけ? お仲間ですか? ビルの屋上で見つめ合っていると、誤解したおばさんは言った。「あ、ちがうちがう。ママ活じゃないよ」

 いい年して小説家志望を自称する彼女の家は、崩れそうなボロアパートの一階だった。「下読みしてほしいんだよね」渡されたのはタブレットだ。

「印刷するお金なくて。ごめん」

 あたしは仕方なく、彼女の書いた小説とやらを読む。クソつまんなかった。

「才能ないよ」

 あたしは半分も読まずに投げた。

「そっからがおもしろくなるのに」

 彼女はくちびるを尖らせる。メンタル強すぎじゃない?

「そこまで読むのが苦痛」吐き捨てると、やっと黙った。言い過ぎたかな。でも、頼んだのはあっちだし、あたしは別に関係ないし。

 小説とやらを読むなら生活は保障すると言われたから、あたしは思う存分ニートを満喫した。したかった。ワンルームの部屋の真ん中には大きな机が置いてあって、彼女は仕事から帰ると、一日中そこでキーボードを叩き続けていた。おばさんはヘッドフォンをしていたから、あたしはテレビを見ようが歌おうが自由にできたけど、すぐに食事を忘れるし、風呂にすら入らない。「片付けなよ」と言ったらタブレットを渡された。

「今度は初めっからクライマックスだから!」

 窓も開けないから部屋の空気はいつもよどんでいて、布団はつねに湿っていた。最悪。あたしはしぶしぶ、部屋をかたづけ布団を干し、財布を奪って買い物に出かけ、野菜たっぷりの煮物をつくる。これじゃお母さんじゃん。うまいともりもり食べる彼女をみてげんなりしたけど、不衛生に耐えられなくなった自分の負けだ。ま、金を払ってもらえるだけましか。

 彼女は全然上達しなかった。

「どうしてそんなに頑張れるの?」

 二十年ずっと一次選考止まりという悲惨な結果に驚くと、彼女は小さく笑った。「目標に向かってがんばる以外の生き方を知らないから」

 言ってることはかっこいいけど、全然実力が伴ってない。デビューするまで、という契約が一向に果たされなさそうで、あたしは業を煮やして、あれこれアドバイスを送った。のみならず、ハウツー本とか読んで、添削すらしてあげた。その甲斐あってか、彼女の小説はずっと磨いてきた泥団子みたいに少しずつ光り始めて、ついにとある賞をもぎ取る。とはいえ彼女は初老を迎えていたし、あたしは人生の折り返しに差し掛かっていた。

「おめでとう」拍手しながら、あたしは途方にくれた。希死念慮はとうに過ぎ去っていて、けれど彼女の世話を焼く以外に、生きていく術が分からなかった。

「ありがとう」そういう彼女も、なぜか途方に暮れていた。

「でも、わたしこれから、何を目標にしたらいいんだろう」


 十作目となる新作は割と好みだった。「傑作だった?」彼女は腰をのばしながら訊く。

「いい線行ってたけど、最後の男の行動が最悪」あたしはゆっくり本を閉じて笑う。

 はたして、どちらかが死ぬまでに、あたしが傑作と認める本はできるんだろうか。賭けの結果は、もうしばらく分からなくていい。

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